約束なんかすんな。バカ(side.K)
その日、三人はいつものように帰路についていた。寒い冬らしい、刺すような冷たい風が時々頬を撫でる。
「今度さ、三人でやろうよ。だからこれ、練習」
そう言って、森矢は二人に譜面を寄越してくる。クリップで留めてあるそれを開いてぎょっとしたのは自分だけではなかった。
「うわ、ナニこれ! 黒っ」
「上が矢橋で、僕は下。鷹野がコレね」
「はー? 誰だこんなアホみたいな曲作ったの」
ざっと見ただけでそれなりの難易度なのだとわかる。現代曲にありがちな妙な譜面運びがちらほら。森矢と自分でというのならこれまで組んできた経験もあるし、間合いも掴みやすいからまあいい。しかし三人でとなるとまた勝手が違ってくる。渋い顔をしてみるが森矢はガンとして譲らなかった。
「これ、ベースはデュオだったんだ。けど三人でできるように編曲もしたんだよね」
「オーマーエーっ…」
そんな暇があるなら寝るか食うかしろよと顔に書いてあるはずだ。毎度の事ながら人の心配などどこ吹く風、という調子がまた腹立たしい。
「確かにまあ大変っぽいけど……おもしろそうちゃう? あんたらとできるんやったら頑張る」
「おいぃ…これマジ大変だぞ。主にオマエが」
このメンツで一番技術力が低いのは矢橋だ。しかし負けん気は強いので、案の定こちらの言葉にむっとして「意地でもやったるわい!」と威勢良く返してきた。
「だよね! 大丈夫だよ。ちゃんと教えるし。…鷹野も。ね? ギターないとやっぱつまんないしさ」
「あーはいはい。どーせメインはそっちですよ」
口では悪態を吐きながらも話は乗るつもりだ。負けん気が強いのは矢橋だけではないし、森矢が用意してきた曲にも興味があった。さっきはああ言っていたがこれは【お詫び】の一つかもなと頭の片隅でちらり。楽しめそうな事なら乗らずしてどうする。
「やるのはええけど、あんた大丈夫なん? 色々」
「え? 何が」
「就活やら体やら」
「ああ、うん。へーきだよ。ちゃんとやるから」
「ホンマかいな?」
「やるからにはマジでやれよ。最後に半端なもん、演りたくねぇし」
「あんたもやっちゅーねん!」
「ははっ、よかった。楽しみだね、合わすの」
そう嬉しそうに笑った森矢は、結果として約束を果たせなかった事になる。
* * *
とんでもない土産ばかりを置いていってくれたものだと思わないわけじゃない。でも憎み切れないのはどうしてだろうなと目を閉じ、長息。譜面と一緒に仕舞われたルーズリーフを久しぶりに引っ張り出した。
鷹野恵亮様
鷹野に手紙を書くなんて初めてなので、何か変な感じです。書き方が変でも笑っといて下さい。
まずは謝らないといけません。約束したのに、言い出しっぺが弾けなくなってごめん。何とかなるかなと思ったんだけど時間が足りなかった。もっと早く作って譜面渡せばよかったね。ごめん。
鷹野はこういう時勘がいいからその内何か言われるかと思ってたけど、知ってたのかな。知らなかったなら謝ります。黙っててごめん。でも知らなかったら僕的には成功です。鷹野にまで病気の事であれこれ言われる方がしんどいから。最後までいつも通りでいられてよかったと思ってるよ。
海外行きの話はずっと前に断ってました。先生には病気の事も話してあったし、家族も反対したからです。さすがにいつまでもつかわかんない人間を行かせるほどのんきじゃなかった。残念(笑) 行きたかったのが本音です。だからってわけじゃないけど、鷹野が行かないって言った時、できるものなら代わりたいと思った。正直うらやましかった。こんな言い方すると縛りつけそうであれだけど、行って向こうでの話が聞けたら嬉しい。鷹野の人生だから無理は言わないけど、一回ぐらい国外に出てみたかったっていう夢があったってのは書いておきます。勝手でごめん。
もっと楽器やってたかったけどどうしようもないね。鷹野には面倒ばっかりかけてるなとちょっと反省してます。けど君は立ち回りも上手だから大丈夫かなとか。
大学で、二人とクラブのみんなとわいわいやれて本当に楽しかった。ありがとう。これを書いてる間もみんなに会いたくてたまんないです。一人ってつまんないなと思うばっかりで、早くクラブに行けないかなって思えるようになったのはよかったなと思う。昔より人といるのが好きになれた。
使ってきたマンドリンのことが心配です。誰か使ってくれるといいなと思ってます。矢橋が嫌がらなかったら、ぜひってことで…だめだったら、先生に預けて下さい。家族にも云ってあるのでよろしく。
最後にお願いをひとつ。どんな形でもいいから、楽器に関わり続けて下さい。君らの音がすごく好きだった。みんなで弾いてるのがぼくの楽しみだったから。できたら、渡した曲やってほしいな。二人でもうまくやれると思うよ。
森矢章仁
ルーズリーフに認められた文字に目を通して、何度読んでもやりきれないなと長息してしまう。
森矢の病気の事が周囲に明らかになったのは本当に間際のことで、その時には全部遅かった。何で隠したのかだとか色々言いたいことがあったのに、彼は喋るどころか目を開く余力すらなくて。やられたと思った。言い逃げかよ、とも。
手紙の最後の方は一体いつ書いたのだろう。字面からは余裕のなさをひしひしと感じるし、けれど思っていた事はいつもと同じで、馬鹿かと思う。死ぬかもって時にもっとあるだろうに、森矢はどこまでも楽器バカなのだ。
「そんじゃ、俺帰るわ。」
「あ。そう? ご飯ありがと」
「おー。そういや今度鍋しようかっつってたけどお前も来るか?」
「もう暑いのに鍋?」
「だよなー今高くつくだろうにな、鍋。カレーにしとけっつのな」
「はは。カレーならぜひ、」
まともに会った最後。いつものようにクラブ帰りに部屋へ遊びに行き、他愛ない話をしながらぐだぐだしていた。
「じゃーな。クーラー点けっぱで寝るなよ」
「お母さんみたいだなぁ」
「オマエみたいなでかいガキこさえてねーよ」
「だろうね。あははは」
ひらりと手を振ってみせる、はにかみ笑顔を思い出す。かっちりした細い手。元々痩せ形だったけれど本当に細かったんだなと最後に改めて見てみて思った。
普段はのんびりしてる奴だけれど、いざというときはさくさく事を進める奴だった。結局あの約束は永遠に果たされない物になってしまったが、自分はその譜面を今も持ち歩いている。彼女は――矢橋はどうだろう。思う事はあっても、何となく訊かないまま今に至る。もう五年も前の話だ。
――でも、何もこんなに急ぐことなかったんじゃねぇの
ただ、悔しい。置いて行かれたなどとは思っていない。今ではこう思うようになった。勝ち逃げされたのだ、自分は。
*
喪失と残滓に何を思うのか。
大学時代はここまでになります。色々至らない面はあるかと思いますが、三人セットのそれぞれの話はまだ続きます。次回からは時間軸が社会人時代へ移ります。よろしくお願いします!




