おかしいだろオマエら(side.K)
※鷹野視点に変わります
演奏会の後から変わった事。就活が本格化してきた。後輩が去年の自分らみたいに新体制でどたばたしている。師匠がレッスンで会う度海外行きについて本気で口説きに来るようになった。バイト先の常連さんに声をかけられ"一回の付き合い"があった。――手近な所ではこれぐらい。
変化には割と目敏い。女子が髪切ったとか装いが違うとか、口に乗せ褒めると会話になるし、嬉しそうにするから基本的にそうしている。が、これはどうするかなと気付いた時から考えていた。誰かに貰ったのかどうなのか。しっかり失恋したらしいが彼女はセミロングのままだし、気分転換に自分で買ったのかもしれない。
「ん?」
視線に気付いたらしい矢橋は目を上げる。それに「何か?」とちょいと目を剥けば「何やねん、ちゃうんか」という風にすぐにまた机に視線は戻った。講義の最中だったが教授の話は耳半分。試験はマークシートで出席していれば単位も安心牌な講義はこんなものだろう。
今まで矢橋はピアスをちょくちょく変えて着けてきているのは嫌でも知っている。しかしそのローテーションがぴたりと止んで、オレンジのピアスがそこに居座るようになったのは最近。
「森矢ーあんたもこれ食べん? 冬限定~」
「ん? ありがとう。食べる」
「りょーちゃん好きだよね、こーゆーお菓子」
「限定って書いたると買ってまわん?」
「おいしい。普通のって黒チョコじゃなかったっけ」
「冬やしあれちゃう? 春は苺のになるねんでコレ」
「へぇ、」
「森矢君、あんまり買わない人?」
「そうだね。…あぁでも、姉がよく買ってたかな…限定だからって、ホントに、いっぱい」
「棚の奴全部ーとか?」
「そうそう。こんなにどうするのって旦那さんに笑われて。皆の分も入ってるーって言いながら全部自分で食べてた」
「おもろいなぁ、おねーさん」
何となくだが、三人セットの中で距離感が変わってきたような気がする。それぞれ忙しくしているし、四年にもなればいつまでもくっついてはいられまい。しかしだ。あの二人、何とも……前より微妙に、近い。
ストレスを言い訳にするわけではないが、薄いメンソールの煙草を吸うようになった。(例の常連の女に貰って単に気に入っただけ。)
「体に悪い事覚えたね?」
ベンチに腰掛けて一服していた所に森矢がふらりと上がってきた。課外活動棟の外には喫煙スペースがある。(今の時季は寒いので不便。)そこに禁煙を促すようなポスターが貼られるようになったのはいつからだったか、何とも矛盾した景色である。
「いるか?」
「いらない」
「あっそ、」
薄いコートでよく寒くないなと思う。物が良いとそうでもないのかなと見やりつつ、ふう、と煙を吐き出した。
「鷹野さぁ、」
「んー?」
「矢橋見過ぎなんじゃない?」
いきなりだなと笑いながら返すと、森矢は「そりゃあね」と同じように笑う。何が「そりゃあね」なんだか。
「お前か。あれやったの」
「そうだよ」
清々しい笑顔だった。無駄にいい笑顔だなと思いつつ、灰皿に灰を落とす。
「ちょっとは悔しい?」
「何でそうなるかな」
「じゃあ意外?」
「……絡むなぁ今日」
「鷹野、いつもこうだよ」
「へーそりゃ知らなかった。……結構うざいな、コレ」
「でしょ」
反省しなよ、と彼は可笑しそうに目を細めながら言う。
「で? 何。妬けって?」
「まさか。鷹野は矢橋、違うんでしょ?」
「何で私には何にも無しなの?! 酷くない、あっくん!」
ぷはっ、と噴き出す。女が言うみたいに声を作ってみたのがウケたらしい。
「気持ち悪いなあ」
「妬いたにゃ変わりないだろ。満足か?」
「あははは! 満足。嬉しいよ」
バカ。気持ち悪ぃ、と苦笑いしか浮かばなかった。
「そんで、オマエ告ったのか?」
「え?」
「何、違うの」
好きな女(片思い終了直後)にプレゼント。つまりそういう事にはならなかったのかという単純な疑問だった。楽器バカで天然で人の機微に疎い森矢がピアスなんか寄越して、驚いたに違いない。現に使っているのだから、矢橋には嬉しい物だったのだろうとはわかる。
「そういうんじゃないんだよ」
「じゃあ何」
「色々心配かけたからってゆーお詫び」
「俺にはねーのかよ」
「気持ち悪いとか言うじゃないか」
「……言うな。うん」
「ほら見ろ。僕だってどうせあげるなら素直に喜ばれたいんだよ」
「だろうな、」
森矢の言い分は理解した。新しい煙草を引き抜いてくわえ、かちりと火を点ける。
「……勿体ねぇなーチャンスだったろうに」
自分なら逃さないパターンだろう。いつ渡したかはさておき、矢橋と森矢の間でこんな機会は多分しばらくない。しかし彼はそういう事を考えているわけではないようだ。やけにさばさばした空気。
「矢橋、言ってたよ。御利益あるかもって」
「何の」
「楽器の。僕があげたから、マンドリン巧くなれそうな気がするんだってさ」
そういうの、かわいいよね。
ぽつんと漏らした森矢の目はここから臨む景色を見ている。ビルばかりの市街地。
「あの子がマンドリン頑張れる力になるんだったらよかった」
「気持ちの問題だよなそーゆーの。つか簡単だなぁあいつ!」
「真っ直ぐでよくない?」
「いくつのガキだよってツッコみたい」
「鷹野はねえ……すっかり汚れてるからねぇ…ダメな大人になっちゃったなー、もー」
「オカンかよ」
「もーちょっと素直になりなよ。色んな意味で」
今更無理無理、とからから笑って。だろうねと森矢も呆れた様子いた。
「気に入ってくれたんなら、充分だよ。それで満足」
こいつは易い奴だなあ、と何度思ったか知れない。どこか現実離れした淡泊さと冷静さが森矢にはあって、男なら持って然るべき独占欲だとか支配欲なんかまったく見えないのだ。何かの雑談でそんな話になって「普通だよね」と小首を傾げるのを、その場にいた野郎共がいやいやと全力否定していた覚えがある。草食系男子にすら至らないそれは恋慕の念と言えるのか。
「じゃ、来年だな」
「何が?」
「オマエぇ…俺には世話になってないってか」
「ああ、その話ね」
そうだなぁ、とぼやきながらふらりと立ち上がって。
「素直で純粋な心の、いい大人になってたらね。お前が」
「はい無理ー」
「早!」
じゃあ無いなあ、と笑いながら森矢はそのまま歩き出す。外階段をとんとんと降りてゆく後ろ姿にふと違和感があったのだけれど、そんな物は「オマエやる気ねーだけだろ!」とけらけら笑う声に紛れてすぐ失せてしまった。
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