やかれる内が華(side.R)
※矢橋視点に変わります。
雨続きの日がぽつぽつ減ってじわじわ気温が高くなってゆく季節。
「ごめん、ちょっ……抜ける」
森矢がそれまでの調子を崩し始めたのはその辺りだ。練習中に席を外すなど、これまでなかっただけに周囲は当然不安や疑問を抱く。この時季に体調を崩す輩は少なくない。その中に彼もいて、勢いづいていた間の疲れが出たのだろうと本人もへらりと笑っていた。実際、しばらく休んだらまたけろっとしている。
「なぁ、大丈夫なん?」
「ん、平気。もー大丈夫」
介抱に回るのは大抵仲のよい鷹野か自分だった。何か心当たりはないのかと訊くが森矢の返事はいつもこれで――無いわけがないだろう。まさか【自分は規則正しく生活している】と思っているのだろうか。
「ちゃんと食べて寝ーへんからや」
「そんな事ないよ。食べてるし、昨日も11時には寝てた」
「ホンマかいな?」
「ホントだぞ」
ふらりとやってきた鷹野は「ほら」とミネラルウォーターのペットボトルを森矢に渡した。わざわざ買いに行っていたらしい。
「こいつ昨日泊まってったからな。飯食ってほっといたら床でころっと寝てやがんの」
「あんたら仲良ぇなーもー…」
「オマエも来りゃいいじゃん。来たけりゃ」
「いーらーんー!」
ならぶちぶち言うなよと鷹野は肩を竦めてみせた。仕草がいちいち気障なやっちゃな、とかこれがカッコいいとかおかしいやろ、とか思う。
「オマエは戻れってさ。練習練習」
「えー?…ああ、はいはい。あんたら余裕綽々やもんなー」
「わかってんじゃん」
はははは、と嫌味ったらしく空笑い。そんな彼をきっちり一睨みしてから腰を上げる。課外活動棟の一角は日も差し込まず、冬は馬鹿みたいに寒いのだが今はひんやりとしていて。森矢はその冷たい壁に凭れながらゆったりと呼吸していた。相変わらず細い。(多分標準体重いってない!)
「森矢、ホンマ無理せんときや」
「うん。ありがと。…頑張って」
「ん。じゃ、後よろしく。何かあったら――」
「わーったから行けって」
しっしと追い払われるとかどうなん、とは顔だけに出すに留めて練習室に小走りで向かっていった。
森矢の不摂生は今に始まった事ではないし、いくら言っても直らないのだから周りが気を付けてやるのも当たり前になっている。「食べたか?」とか「寝たんだろうな?」とかいう確認は同期や先輩からのみならず。
「先輩、顔貸して下さい」
「へ?」
「んー……何か元気ないよーな…昨日ご飯何食べました? 朝は?」
「え、ちょ、えーと…昨日? 昼はここで食べたよ。朝起きれなくてまだ――」
「って事は昨日の昼から食べてないって事で?」
「……だね」
「だめですよっ! 暑いし食べる気起きないのはわかんなくないですけど。何か口に入れて下さいホント」
「ええぇぇ? いや、大丈夫…燃費いいんだって僕」
「低燃費は車だけでいいんです。とりあえず何か食べましょうか」
「……ハイ…」
下の子からの押しにはたじたじで「今の子は強いよね…」と遠い目をしていたのはさすがに笑ってしまった。マメに気を回してくれて懐いている後輩をかわいいと思うのは普通だ。素直に喜べばいいのに。
「や、僕はほったらかしといてくれても全然…」
なんて言いながら困ったような顔をする。「無理です。嫌です」とすかさず切り返す辺りよくできた後輩達だと思う。おかげで自分や鷹野ばかりがフォローに回らなくて済む。その内言われる前にきちんと寝食整えるようになればいいのだが……多分、そうはならない。習慣を変えるというのはなかなか根気が要って、時間もかかるものだから。
夏バテにしてはおかしいが病気にしては元気な気がする、という曖昧さ。何というか波があるのだ。いい時はいいのにダメな時は本当にダメで、暑かろうが寒かろうがあまり顔には出なかったのが夏の盛りになると「暑い……」と唸りながら渋面になっていたぐらい。その逆に、いい時などすこぶる元気。丁度夏合宿の辺りが快方の波がきていた頃だ。去年と同じく夜中までマンドリンを離さず、周りに飯の時間だの風呂の時間だのと声を掛けられないと弾きっぱなしだった。
今思えばこの頃から森矢の体は壊れ始めていたのかもしれない。もしかしたらそれより前から、彼は内心焦ってもいたのではないかと思う。ひたむきに楽器に向き合う彼の横顔には、いつからか不意に必死さがちらつくようにもなっていたから。けれどそんな事を知らないまま「楽器バカ」と呆れて笑っていたのだ。自分も、彼も。
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