どいつもこいつもまったく!(side.K)
森矢は推薦枠にきっちり入っていて、卒業したらそのまま海外にという話は師匠伝いに聞いた話だった。各所にきちんと話を通して、親もすんなり了承したらしいとも。
普段の学校生活に加え客演なんかも引き受けて、去年よりばりばり弾ける環境に身を置いている。そうなると疎かになりそうな部活にも、きちんと顔を出している辺りが恐ろしい。【楽器に触れる時間が多ければ多いほどいい】という至極単純で純粋な気持ちがあるからだろうか。
「大丈夫なん? 森矢」
「さあ。本人がああなんだからほっときゃいいんじゃねーの」
「あんたなー……まあ元気そうやしええけども」
矢橋や他の部員も、【楽器まっしぐら】に拍車がかかった森矢の食生活のひどさは知っているのでそれなりに心配なのだろう。そんな周りの懸念を余所に、森矢は活き活きとしてエンジン全開という風な弾きっぷりを披露していたりする。コンダクターからの指示は的確に受け答えもして、帰りも「やっぱり合奏は楽しいな」とへらりと子どもみたいに笑って。(一時の落ち込みは一体何だったのか?!)
ただ、普通の遊びや飲み会には参加しなくなった。レッスンがあるだとか、進みの悪いゼミの中間レポートをやるだとかいうのが主な理由で。時々言い訳に困っている風な曖昧な笑いを浮かべているので「もしや女ができたのでは」と勘ぐる連中がいたりいなかったり……実際はあれだ。ただ音楽漬けになってあれこれすっぽかしてしまっているだけ。(音源を漁ったり譜面と睨めっこしているのは部屋へ遊びに行く時に見て知っている。)
「なぁなぁ、森矢の彼女ってどんな子ぉなんやろなー?」
お前がそれ訊くのかよ、と、ある日矢橋の言葉にげんなりした。そして誰が言い出したかわからないようなバカ話を信じるなよとも思う。森矢がそんな簡単にころっといくような質ではないのも少し考えればわかりそうなものを。
彼も彼で、自分が今どういう立場なのかとかをちらっとでも話してしまえばいいのに。いつまで黙っている気なのだろうか。(こちらは、勝手に吹聴して回るつもりはない。)
「あいつ、もしかして忘れてるんじゃねぇだろうな…」
「は? 何が?」
「別にー」
自己完結していて卒業間際に「あ。そういえば言ってないや」というオチだったら殴る。
しかしよくよく考えたらまだ一年以上先の話で、卒業後の進路など決まっていない側の人間が大半を占めている。(教職や院に進む奴は別だが。)ならまだいいかと思っているのかもしれない。万一海外行きが取り消しになったら笑い話になるだろうし。
それにしても、矢橋の"病気"は一体いつの間に成りを潜めたのだろうか。例の先輩は教職志望で、実習だ何だという理由で部活にはあまり来ていない。他の四回生も就職活動で頭が痛い時期だし、実質いないメンツばかりだ。
去年の暴挙に関してはお互い触れていなくて、彼女が先輩先輩と色めき立つのは見なくなったなと思い返し「やっとかよ」と妙に脱力し――…
――……何を気にしてんだか
思考は止めてギターをじゃらりと鳴らす。今日も相棒は機嫌が良い。長年連れてきたクラシックギターは師匠から「コレいるかー?」と譲って貰ったもので、後々聞いてみるとタダで貰うのはどうなのかというぐらいの値段だった。
使わないままでいると楽器は鳴らなくなる。どんな名器も弾いてやらないと古びてゆくばかりで成長もしない。師匠は他に何台か持っていて、その中からこうして見込んだ門下生に使わせている。このまま貰いっぱなしはいけないので一応幾らか返さねばとは考えている。(稼げるようになってから、だが…)
「鷹野先輩ーパー練しませんかってー」
「おー、すぐ行くー」
後輩の面倒を見るのは嫌いじゃない。自分で言うのもなんだが教えるのも巧いと思うし、新入生と打ち解けるのだって即だった。世渡り上手。全部"いい感じ"にまとまっていればそれでよい。大きな失敗もしないしするつもりもない。
他人の懐に入るのは簡単で、でも、本当に必要な時にそれができていなかったのだと知るのはもっと後だった。先入観というか、自分は失敗なんかしないと高を括っていた数年前の自分。ただ単に嗤っていられないぐらい、抱えている懸案事項に悩まされていたりするのはまた別の話。
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