オマエが一番変わらないと思ってた(side.K)
※鷹野視点に変わります。
「辛気くせぇの」
何をうじうじしてるんだか、と呆れながら缶コーヒーを差し出す。受け取った森矢は「ありがと」とだけ言って缶を手の中で弄んで――その顔・仕草からして辛気くさい。春で陽気も最高だというのに何なのかこれは。
新入生の歓迎会を兼ねて花見に出かけるのは春の恒例行事だ。大学の近くには市内の南北を貫く大きな川があって、春は桜・秋は紅葉とまあまあ景観がいい。皆それぞれ飲んだり食べたり遊んだりしているのに、森矢は土手に腰掛けてぼんやりしていた。輪から外れている人間は何となく気になるもので、しょうがねえなと寄っていった次第である。
年始にあった門下生発表会と国内コンクールの予選。期末試験に新学期の授業決め。周りから「忙しくて何より」とは言われても疲れは自然と溜まるものだ。自分もそこそこだと思うが、森矢はその上をいっている。精神的な意味で。
「まだ気にしてんのか?」
「え?――ああ…まあ……」
「あんぐらい皆一回や二回あるだろ。オマエは今までなかっただけで」
「んー……今まで運がよかったって事か、」
でもなあ、と森矢は小さく溜め息を漏らす。ようやく缶のプルタブを開けたと思ったら、口にしかけてまた溜め息。
「溜め息は幸せが逃げるぞ」
「………」
にやりとして言われた事がある台詞を返すと、森矢は「言ったことは自分に返ってくるってホントだね」と苦笑を浮かべてみせた。まったくだ。
応援がてら門下生発表会での演奏を聞きに行ったのだが、何となく森矢らしくない演奏だったのは記憶に新しい。ミスがあったわけではないのだが、いつもより聞き手を惹きつける力がなかったような感じがしたのだ。そして、コンクールでは予選落ち。珍しく生演奏での審査で、どうだったかと聞いてみたら
「ダメだった」
の一言で終了。
その時は笑っていたくせに本人の中では二ヶ月以上経ってもまだ燻っているようだ。今まで輝かしい――ある種神的な――中にいた彼が味わった挫折。一回ぐらいで大袈裟すぎるだろう、というのが何度か落とされた経験がある人間の見解だ。彼の先生も自分の師匠も含め、誰しも辿っているであろうこの道を森矢はひどく困惑しながら歩いている。まったく、天才は変なところで敏感で鈍感な生き物だと思う。
「偶々今だっただけじゃねーか。オマエ、自分だけいい目ばっか見れるとか思ってた?」
「そうじゃないけどさ。いや……意外とショックなもんなんだなって」
「一回休めると思ったらラッキーじゃん。この隙に何か違うことしてみれば」
「違うことね……」
難しいなあと森矢はぼうっと中空を見やる。楽器以外特にこれといった趣味もない彼にしてみれば難題なのかもしれないけれど。大学生はもっと遊んでもいい時期なのに、彼は授業・楽器ばかりの生活なのだ。ストイックなのか真面目すぎるのか……
「バイトしねぇの」
「図書館バイトはしてるよ」
「学内じゃん」
「学外で?……無理だと思う」
「あー……親、厳しいと面倒な」
「はは。超過保護キモイとか笑ってたよね、鷹野」
「一人暮らしOKで何でバイトはダメなんだよってマジ疑問。黙ってやりゃいいのに」
「嘘下手だからなあ…隠せない、かな」
「話題にしなきゃいんじゃね?」
「んー………いや、やっぱり僕はいいや。次は出たいし」
頑張らないと。……結局、彼には楽器の事しか頭にはないらしい。
そもそも楽器は娯楽の一つで、誘われている海外での勉強すら迷っているならもっと気楽にやればいいのにと思うのだ。「堅気でいたい」と言った立場から言わせると、森矢は何だか――
「……オマエ、まさか行く気? そんでそんな必死なわけ?」
「え? どこに」
「だから海外」
「ああ。……行きたい、かな。うん」
英語とか全然だけど、と森矢は曖昧に笑う。半年ほど前はまだわからないと言っていたのにいつ決めていたのだろう。(師匠経由でそんな話も聞いていない。)驚いてぽかんとしていると、彼は「意外?」と首を傾げた。
「もしかしたら枠埋まるかなあ…やばいな」
「そーゆー大事な話はちゃっちゃとしとけよ!」
「だよね。うん。先生にまだ言ってなくて。電話しとかないと」
「違うっ! いや違うくねんだけどっ」
「? 鷹野意味わかんない」
意味わかんないのは オ マ エ だ !
今までそんな素振りは欠片も見当らず、しかし森矢の弾き方を思い返すと海外行きを意識したが故のあれだったのかと推測はできた。彼は彼なりにやろうとしていて、しかし彼らしくない"欲を持っての演奏"だったからそれが音に出ていたのかもしれない。彼の音は有りの儘の彼であるからこそ活きるのだ。それは付き合いの長さやこれまで音を聞いていた経験から知っている。
行くのか、と唖然として、何だか不意打ちを食らった気分だった。ただでさえ才能がある森矢が【もっと、もっと】と欲を出し、海外であらゆる見聞を広め、色んなものを吸収してきたらどんな化け方をするのだろう? 昔から底が知れないと師匠や先生は言っていたが――そういえばこうも言っていた。先行き不安、と。単純に音楽に浸っている間の森矢は本当に天才的だが、それとは違う、目的を持って別の意識をすると失われるものの危うさを見越していたのだろうか。
「オマエ、どーしたよ」
「は?」
「いや、だって、オマエ今でも全然…つか何。マジ、プロになりたいとかそーゆー話?」
「何それ。……おかしいって言いたいの?」
「らしくねえな。賞とか別によくて、ずっと弾けてりゃいいとか言ってたろ。海外行ってキャリア積んで~とかそんな欲張るようなタイプだったかオマエ」
「言った。だからその為に行きたいと思ったんだよ。キャリアになるかはわかんないけど出来ることはしたいじゃないか。…らしいとからしくないとか、鷹野に僕の、何がわかるの」
何がわかる、だと?
森矢にしてはやけに刺々しい言い方だったのは驚いたし、かちんともきた。
人付き合いは軽く。そんな自分が彼とはここまでお互い長く付き合いが続いていて、楽器無しにしても信頼だってしてきた。こうなって、何だかんだ言いながら森矢とはいい友達で、それこそずっと手近にいるような気でいたのに気付かされる。
下らない。
20歳にもなってそんな幼稚な、とはたと理性の歯止めがかかった。人はいつまでも仲良しこよしとはいかなくて、大人になりそれぞれ行き先が違えば自然と距離もできる。それが森矢に限って無いだなんて事はないのだ。例え国内にいようが同じで、ここで噛みつくよりむしろ海外行きを応援してやった方が断然関係は良好だろう。計算は早かった。
「……まあ、そんだけ言うなら大丈夫じゃねーの」
「え、」
「行けばいんじゃね。オマエが海外でどんな生活するんだか心配だけどな。つか電話なり何なり早くしろよ。花見してる場合じゃねーだろ」
「………」
「何だよ。俺が怒るとか反対するとか思ったか? オマエの人生じゃん。良いようにすればいいんじゃね?」
「…ごめん」
「あ? 謝るよーな事無かったろ別に」
「いや、……うん、言い方おかしかった。ごめん。何か変でさ。かりかりしてるのかも」
額に手をあてながら、森矢は地面に目を落とす。
「珍しいな。つか今のでかりかりしてるとかちょろいって」
森矢のかりかり具合などたかが知れている。矢橋なんかあからさますぎて笑えるぐらいなのに。
「……ちょっと離れようって思ったんだよ。のんびりしてる場合じゃないなとかさ」長息。「……僕、先生のとこ行ってくる。皆にごめんって言っといて」
「おー。そんじゃ、明日な」
ひらひら手を振って送り出す。軽く、軽く。
森矢は手の掛かる弟みたいな奴で、けれどいつまでもそうじゃない。あの、いつまでもぼうっとしていそうな友人の一大決心に背中を押してやらずしてどうする? そう思えば全部すきっとした。これでいい。
自然な流れなのだ。今ばかりみていられなくて、皆自分の中であれこれ決めて進んでゆく。それは自分も例外ではなくて。
だからだろうか。毎年後輩が出来て、彼らが今ある時間だけを見つめてわいわいやっていると「ちょっと前まではあんなだったな」などとほんの少しセンチメンタルな心地になってしまうのは。先輩達もきっと自分らを見ている時同じような目をしていたのだろう。懐かしくて、離れがたい空間を見る目。
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