誰がブレーキだ。誰が(side.K)
各大学、演奏会に向けてラストスパートがかかるのは10月辺りからだろう。連盟に所属している各校同士宣伝にチケットを送り合ったり、ビラ挟みに出た時に顔を合わせる機会もまあまあ。年一回合同演奏会の練習時に仲良くなった連中もいるので差し入れなんかもする。駄菓子や酒だったり、ミニブーケやマスコットだったり。そこは人それぞれだ。
自分も差し入れし合う程度には人付き合いはあって、女子の割合が高いのは偶々だと思う。(勿論男友達だっているのだが……)女性関係で冷やかされるのには慣れっこだが放っておいてくれよと苦笑い。 演奏会を観に行く前に差し入れを買っていこうという流れになって、三人で待ち合わせして手近な店であれこれ選んだ。矢橋の意見もちょいちょい聞きながら。(意外とかわいいもの好きなので割といい感じの差し入れが買えた。抜かりなし。)
「何時からだっけ」
「18時開場。いい時間ちゃう? 行こかー」
「オマエちゃんと買ったのか?」
「え。うん。お菓子詰め合わせでどーんと」
「あー、間違いねえわ」
「鷹野はマメだよね。一個一個とかエライ」
「あんたもちょっとは見習いぃな」
ああだこうだ言い合いながら電車を乗り継ぎ、会場に着くといい頃合いだった。さすが部員100人規模の大学の演奏会は観客も多い。開場すると列はゆっくり動き出して、皆席取りや差し入れ受付に流れる。
「先差し入れしてまう? 席取っとこか?」
「聞けたらどこでもいい」
「じゃあ差し入れが先でいいかな?」
「ウチはどっちでもー」
それぞれ受付で差し入れを預け、さて、と見てみれば二人は少し離れた所で喋りながら待っていた。いつの間にやら先輩と後輩が何人か混ざっている。
「こんちはー」
「よっ」
「何となく揃うもんねぇ」
「ここは外さないっしょ」
規模がでかいというのもあったが他にも動機はある。曲目が被る事はしばしばあって、偵察と言うか見学というか、それも兼ねての鑑賞なのだ。勝ち負けの話ではないのだけれど、さて先方はどうまとめてきたかというのは気になる所で――楽しみ方は人それぞれだ。
二階席もあるので入りきらないという事はなさそうだが、客席に行ってみると六割方の席は埋まっているらしかった。各々適当にばらけつつ、しかし何となく三人はまとまるのが自分らの奇妙な所だったり。
「あ、あの辺は?」
「いんじゃね?」
森矢が見つけた空席に陣取る。内側から森矢、矢橋、自分の順なのは何でもない流れだ。隣が誰であれ聞こえが悪くなるわけでもない。
「定番っぽいなぁ、委嘱あんの」
「顧問の先生が作れる人だしね。好きなんだーこの先生の曲」
「オマエ、和風なの好きなー」
「洋楽器で和風とか面白くない? こんなのできたらいいなとは思うけどね…」
ううん、と森矢が唸るのを矢橋はすかさず「あんたも作るん?」と突っ込んだ。「いやいやいや、まさか」と森矢は肩を竦めてみせるが、彼がちょこちょこ楽器をいじりながら譜面に書き付けているのは知っていた。一人暮らし同士行き来しているのでお互い何かと知り知られる側面も少なくない。
「アレンジはやるだろ。余興のもデュオ版でやるじゃねーか」
「遊びでならって話。本格的には難しい」
「いじれるだけすごいわ、あんた」
弾くだけで手一杯、という矢橋は感心した様子で。森矢は弾くだけなら他よりいくらか余裕があるので、遊び半分で譜面をいじるぐらいはできるわけだ。自分はその余裕をごく普通の余暇にあてている。(例えばバイトやデート。)ほぼ全て楽器関連に遣う森矢の方が普通とは違う。
通路側の端に座っていた所為か二人の会話に参加していなかった所為か、会場内でふと知った顔に目が留まった。お、と思うだけにするか声を掛けようか迷ったのはあれだ。相手に連れがいたからである。
――ありゃあデートって感じか?
空席を探しているらしい。そんな中で「あっ、」とこちらに気付いたのは彼女側で――目も合ったし小さく手を振ってくれたりもするので、応じないわけがない。
彼女が誰か見つけたらしいとは素振りでわかったようで、彼氏側――弥坂もこちらに目をやった。そして二、三言交わす二人。(弥坂が軽く顔をしかめたのが見えた。多分「挨拶しなくていいの?」だとか言われたのだろう。)彼女がまたひらひら手を振る。今度は少し眉尻が下がっていたので、違う方向の座席にしようとでも促されたのだろう。
あの二人が来なくてほっとした。色んな意味で気を回さねばならなくなるからだ。ひとまずは落ち着いて観賞にふけれるなと、座席に身を預けた。今頃舞台裏はしっちゃかめっちゃかしているのだろうなとは経験者は皆想像がつくわけで……更に知り合いがいるのだから、さてお手並み拝見とにんまりしてしまう。我ながらいい性格してる。
「開演五分前です。ロビーにおられる方は座席へお戻り下さい。また、携帯電話をお持ちの方は電源をお切りいただきますようお願い申し上げます」
アナウンスが流れ、ビーッ、とブザーが鳴る。
「あんた、そのにやけ顔仕舞いぃな」
「え。う、うん」
無意識に顔がにやけるのはどうやら自分だけではなかったらしい。だが森矢はいい音を期待してのにんまりであって、自分のとはまったく別物である。両手で頬をぐにぐにと撫でる彼を横目で見、苦笑を浮かべるのも演奏会での恒例となりつつあった。
* * *
期待通りの演奏会で、音の波にどっぷり浸かった。心地よい疲労感と「弾きてえ!」と刺激を受けたが為の高揚感があった。
「やーべ、超弾きてえ」
「僕も。あーうずうずするー」
「あんたらホンマ……まあええけど」
矢橋の呆れ顔には「これだから楽器バカは…」と書いてある。ははは、と笑うのは終演後に合流した同期だ。
「ウチ、ちょっとお手洗い行ってくるわ」
「あ、凌ちゃん、あたしも行くー」
「ここで待ってるからねー」
帰りは三人セット+αだ。途中で夕飯でもとなったりならなかったりはメンツによる。部員同士仲良しなのはいい事で、こうしてわいわいやるのは好きだなと思う。手軽で楽しい事は大歓迎。
「やばいよなー完成度高すぎじゃない?」
「うちも負けてらんないよねっ。びしびしいかなきゃ」
「うえぇサブコン鬼ぃぃ」
「LからーLから〜」
「やーめーんーかー!」
「ありゃセカンドいじめっすよね、はははは」
時間なんてあっという間だなと最近殊に感じる。他愛ない雑談。練習(チーフコンダクターを筆頭に幹部が鬼化する定演前は特にひどい)。バイト。もちろん学生の本分だって皆あるわけで、ぽんぽん立ってゆく予定を消化していると一年なんか瞬く間に過ぎ去ってしまう。歴代の四回生が「四年なんかホントすぐ」と卒業時に口にするのもあながち間違いではなさそうだ。
「お待たせでーす」
「おー。矢橋どないしたんじゃ?」
「まだでした? あれ?」
「迷子かあ?」
「いやいや、矢橋先輩そんなキャラじゃないでしょ」
「知り合いでもいたんじゃないの」
他のメンツは揃っている。まごまごしていても仕方ないなと「回収してきます」と言い置いて輪を離れた。「回収係! ゴー☆」と言われる前に。
まだロビーでは出演者や観客があちこちで喋っていて、さてどこ行ったと視線を移しながら歩く。いないなあいつとふとロビーの片隅に目をやって「うげ、」と声が漏れた。矢橋一人じゃなかったのとその相手も顔見知りだったのがそうさせたのだ。
――おいおいおい……!
矢橋の向かいには弥坂の彼女さん。何やってんだよと思わず舌打ちしてしまった。人を避けながらつかつか歩み寄る。
「――あたし、弥坂先輩が好きなんです」
「へ?」
聞こえた言葉に、こんなとこで――! と叫びそうになった。周り見ろと全力でつっこみたい。相手を見ろ、素でぽかーん、だ。
これまで矢橋が一方的に避けていたから、彼女は矢橋に好意はあれどどんな女かは知らない。【恋人の後輩】で【森矢や俺の友達】から成る好意。そんな相手にあんな台詞を突き出されれば当然呆けるだろう。まずい。色々やべえ。思ったが早いか、乱入する為のノリは出来上がっていた。
「っと――マジで? 俺も先輩ちょー好きなんだけど?」
どん、とのし掛かるように矢橋の肩に腕を回す。にかっと歯を見せて笑えばチャラさ全開。自分の顔とキャラは巧く使う事だ、とは経験上熟知している。
「ちょ、なんなんあんたっ」
「どーもっす、シャオさん」
「鷹野君だー久しぶりだね!」
嬉しそうに弾んだ声。シャオさんは明るい表情で人懐っこい。「これがあの先輩の彼女? マジ?」と最初二度見したぐらいキャラが違う。ちなみに、彼女と自分は結構仲良しだ。
「何でおんねんっ」
「えーお前以外揃ったし? 回収係だし俺。んで大っ好きな先輩の話してるし乗っかって好きって言ってみた」
へらりと笑っているこちらとは対照的に矢橋は不愉快極まりないというように顔をしかめてみせる。ぺし、と雑に手が払われたのを「いってえ!」と大袈裟に痛がっておきつつ……
「…で、俺に先輩くれません? どっちかっつったらシャオさんのがウェルカムなんすけど、俺まだ死にたくないんで〜。ダメっすかね」
きりっと顔を作り直してのこれ、だ。
場の空気を変えるのは手慣れているし、軽いキャラだと知られているからこそ笑いにだって転じる。案の定、シャオさんはあははと声を上げて笑い出した。
「鷹野君ったら」
「えー、マジ好きなんすもーん。下さいよー!」
「はは、ごめんね。私も怒られたくないから勝手にはあげらんないや」
「えーーー…ですよねーシャオさんも長生きしたいですよねー…あーあチャンスだったのに」
「ふふっ、おかしい、」
鷹野君って面白いね。
何度も言われる台詞だ。顔もまあまあな男は、ツンケンして近付きがたいよりもある程度軽くて面白みがある方が生きやすい。周囲にも溶け込みやすいし楽しいことが自然と寄ってくるのも経験上知っている。頭の中まではチャラくないのが自分で、偶に疲れるのは自業自得と割り切る他ない。こういう身の振り方以外知らないから。
ちぇっ、と肩を落としてみせるとシャオさんはよしよしと頭を撫でてくれた。何度も言うが、こんなほわんとしてかわいくて純そうな人があの無愛想の塊な先輩の彼女だとか意外すぎる。(ウェルカム、というのもあながち嘘ではない!)
「シャオさんホント先輩好きっすもんね」
「えっ!? いや、えぇっ……」
目元を赤くしながら言い淀む様すらかわいらしくて、年上の相手ながら色々からかいたくなってしまう。後々焼きを入れられるのが怖いのでそこまではしないけれど。
「ははっ。まあそんなわけで、俺とか狙ってる奴もいるんで目一杯ラブラブして見せつけて下さい。じゃないと奪っちゃいますよ」
「う、うぅん……いやあ、そーゆーキャラでは…ででででもっ奪っちゃだめ!」
「うわーもー、シャオさんその反応がマジかーわいいっすわー。ホント、先輩そこ代われ! みたいな」
「ちょ、もう――!」
「こら。人がいない間に何遊ばれてんだ」
ぽん、と彼女の頭に置かれた手は戻ってきた弥坂のものだった。【遊ばれている】とは彼女に対してとんだ言い種だがこれが通常営業だとはこれまで見てきて知った事。
「どーもっす、先輩」
へらりと笑いながら挨拶すると弥坂は半眼で溜め息を一つ。
「お前もこいついじるのやめろ。人の弱み握る気満々じゃねぇか毎度毎度」
「あ。バレてるし」
「わからいでか。ったくどいつもこいつも…」
からかいのネタにされるのは余所でもほぼ定石らしい。
「いっつも思ってたんですけど、こーゆー時でも【俺の女にちょっかい出すな】とは言わないんっすよねー俺だからまああれですけど。うっかり持ってかれたらどーすんですか先輩」
「アホか」
「あ、さすがに照れます?」
「……」溜め息。「出されんのはどうしようもないけどな、簡単に持ってかれるほど易い付き合いじゃねぇんだよ。うっかりとか誰が許すか、そんなもん」
「ひぇっ、」
「お?」
それはそれは不機嫌そうな声で。しかし珍しくさらりと言い切ったなとこちらが目を瞠るには十分の威力だった。そして先の悲鳴のような小さな声はシャオさんのものだ。驚いたのは自分より当人の方らしい。(変な声が出た所為か更に赤面。かわいいなちょっともう。)
彼女とはメールのやりとりや遊びに出る事もある。からかい半分に「いいんですか? 先輩のいないとこで遊んでて」と聞いたら「お前は本気じゃないからいい」という言葉が返ってきた。つまり本気の相手には容赦ないのだなと理解してにやついてしまったし、好きな相手に関してはなかなかかわいい先輩だなとも思う。こんな恋、見ているだけで「ごちそうさま」だ。
「あははは! すっげあてられました。ごちそうさまです」
「鷹野君!」
「お前がそうやっていちいち反応するから調子乗るんだぞ。こいつ」
「ええっ?! 私の所為?!」
「他に誰がいるよ」
「まーまー痴話喧嘩はその辺で。いやあ満足した。――そんじゃ、先輩も戻ってきたし退散します。また近い内にって事で。引き留めてすんませんでした」
「うー…うん、またね」
ひらひら手を振って、まだ顔が赤みがかったままの相手に背を向ける。矢橋はいつの間にやらいなくなっていて、あちらも退散したなよしよしと仲間の元に戻る。
「あれ、矢橋は」
「先帰るってさ」
「あっそ、」
そりゃあさっきの今の闖入で一緒に帰ろうとは思うまい。
「何かあった?」
森矢が訊くのに「や? 別にー」とだけ返す。ふうん、と深く訊いてこないのは森矢が鈍いからであって空気を察しているわけではない。こういう時は変に言い訳を考えずに済むので気楽な相手だ。
矢橋は気が強いくせに悪者にはなりきれないタイプだと思う。いきなり突っ込んでいくくせに、後でじわじわ後悔したりするのだから非常に面倒くさい。夏合宿のあれも、他の飲み会での事も本人は地味に「やってしまった」と反省しているご様子。「気にするな」などとフォローするつもりはなく、ああして横入りして牽制はする。彼女が痛い目をみるからではなくて、迷惑被るのは御免だからだ。
この件に関して波風立たせるなよと何度思ったかしれない。彼女は昔から、言い寄られる事はあっても自分から一直線に人を好きになった事がないはずで。それが偶々あの先輩で、偶々自分も居合わせている今だったのは果たして……。
「鷹野、溜め息は幸せが逃げるよ」
「うるせー」
誰の所為だと思ってんだ、とは言っても通じまい。
森矢が矢橋を好きなのも偶々ながら面倒くさくて。偶然が重なるとろくなもんじゃないなとため息吐かずにはいられない。ひやりとした夜の空気だけではすっきりしない胸の内。
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