*プロローグ*
ひたむきに誠実に。それが彼の楽器への姿勢を表す言葉だ。純粋な熱意を注いで注いで奏でられる音は人の心を打つにふさわしい。衝撃と言うものとは違い、ふっと何かに余分な力を抜かれるような心地よさがあった。それは彼の柔らかい人柄によるものだろうか?
かと思うと、一度コンクールなんかに出ると鋭く切りつけるような演奏をしたりする。纏う空気もがらりと変わるのだ。顔つきの違いは「緊張するから」だと言うけれど、普段の彼とは違う音が場の空気を更に張りつめさせた。震撼とはこれを言うのかもしれないと客席で息を呑んで、10分弱の演奏でどっと疲れたのもよく覚えている。
テープ審査や予選もあり、この業界では名だたる国内外の出場者がいるような競争の中なのに、順番待ちの間の彼はどう見てもいつも練習室にいる時と変わりなくて――一体どんな神経をしていれば「終わったらご飯ー今日こそ寿司っ」と先の楽しみなんかしていられるのか。そんな彼だったからかは知らないが、彼は大抵一位にはならず"一位不在の二位"という評価をいただくのだ。まったく不思議な奴だと思う。
そんな変わったところのある彼とは中学時代に知り合った。お互い楽器ケースを背負っていて、楽器の師匠同士の引き合わせにより対面を果たした。そこから高校大学と付き合いが続くなどとは思っていなかっただろう、お互いに。性格も外見も似てない自分らだけれど、発表会なんかではよく組んで弾いていた。「あいつ練習ん時ねちねちうるさいしヤなんすよねー」と愚痴ると「我の強いところは同じなんだよね、君ら」と師匠はけらけら笑ったものだ。
ずっと弾いてられたらいいなぁ、と彼の口から漏らされた希望は楽器に心酔した人間にはよくあるもので、しかし実際にそれが叶ったのかどうかはよくわからない。
当時は学生の本分だってあったし、大学生ともなればバイトだ何だと生活の中には案外隙がないものだ。どうでもいいような雑談だってしていたし遊ぶ時はとことん遊んだ。彼のはにかみ顔ばかり思い出すのは、何だかんだでそのどうでもいいような時間が好きだったからだろう。彼と自分ともう一人も。
思い出に浸る事と、過去にとりつかれる事とはまったくの別物だと思う。自分は前者で、もう一人は今や後者になりつつある。
皆中身はまだまだ子どもで、色んな物と出会い、ぶつかって、悩み、笑い、今思うと好き勝手やらかして過ごした日常。ひどく滑稽な、けれど自分達三人にはなくてはならない学生時代の話。
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