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新しい日々  作者: あきら
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2

 冬が近づくにつれて、彼女がいない時間はより寒々としてきて、彼女と一緒の時間がより暖かくなる。

 久しぶりに大学に行くと友達は僕を珍獣扱いする。たまっていたプリント類とレポートのコピーを受け取って、とりあえず課題は提出する。授業の出席も友達に頼んでおけば、一週間に一回学校に行けば用は足りる。これも日頃の人徳のなせる技だ。などと悦に浸ってはいけない。これから出席を頼んだ友達の奴隷のような、って言うと言い過ぎかもしれないが、お願い事を聞いて回らないといけない。まるでサンタクロースだ。

「ま、自業自得でしょ」

 友達の細野がそんな僕を面白そうに眺める。彼のお願いは今食べてる学食のAセット。まだまだ5食分も残ってる。

「バイト代がみんなに費やされていく。今月、俺飢え死にするかも……」

 実際、自分に費やす金よりも、そうやって周りにつぎこむ金額の方が多いのだ。彼女は彼女で色々欲しがるし……。こうやって友達におごってばかりじゃ金を貯めるなんて事は夢のまた夢だ。細野の言葉を借りるなら、全ては自業自得ということか……。

「誰のおかげで単位がとれると思ってんだ?」

 と、細野は僕の目の前でAセットのステーキをひらひらさせた。

 とにもかくにも、友達は多くて損はない。寂しがり屋な僕は常に誰かといないと落ち着かないのだ。学校には友達に会うために来てると断言できる。だからいばって言う事じゃないって? ごもっとも!

「なぁ、今度のライブのことなんだけど……」

 突然、細野が話を変える。こいつはいつもそうだ。思いつきが激しい。ついでに思いこみも激しいのだが……。

「やる曲目はきまったのか?」

 中学時代、真面目な吹奏楽部員が何を踏み外したのか高校から軽音部に転向した。動機は滅茶苦茶不純でかっこいいから。

「とりあえずは、いつも通り客受けのいい有名どころのカバーなんだけど、そろそろオリジナルの曲やってみたいと思わないか?」

「ああ、だめだめ。オリジナルやったって聞いてる奴ら引くだけだって」

 ライブと言っても僕らがやるのはいつもキャンパスの通り道。僕らの実力だって大したことはないのだ。

「そうかなぁ? カバーだけのライブならお昼の放送で本物流してた方が何倍もいいだろ?」

 身もふたもないことを言う奴だ。返す言葉が見つからない。

「じゃあ、決定な。んじゃ作曲頼むわ」

 え、ええ? 作曲? 僕がやるのか?

「あん? 作れるわけねぇだろ?」

 当たり前だ。今までそんな事やったこともない。今までカバーだけしかやったことないし。

「大丈夫だって。とりあえずメンバー全員で曲作ってみて、いいの選ぶから」

 細野の思いこみの激しさが、こんな形で僕に被害を及ぼすとは……。

「一番暇そうにしてるんだから、それなりの物、期待してるぜ」

 そう言って、細野は食器を返しに去っていく。

 どーしろって言うんだ、まったく。


「ただーいまっと」

「おかえりー」

 家に帰ったときに、誰かがいるってことが、こんなにも心を暖かくさせるものなんて実家にいるときは気付きもしなかった。

 彼女は、大野美麗。デザイン系の専門学校に通う、僕とつき合ってる奇特な女の子。同い年で、僕の方が半年ほど早く生まれてる。でも、なんとなく年上のような雰囲気だ。彼女は自分の名前が嫌いと言う。大飲み麗って友達から呼ばれてるらしい。実際、大飲みだからしょうがないじゃん。そんなこと本人には怖くて言えないけど……。

「なにしてたの?」

 テーブルの上に出ていた資料の山を見ながら聞いてみる。

「ほら、この間小包届いたじゃない? いづるに頼んだやつ」

 例の「藤原さつき」からの贈り物だ。

「いっぱい資料送ってもらったんだけど、まだ整理しきれなくて」

 なにやらデザイン系の画集みたいな物を見ながら彼女が答える。

 結局、送り主の「藤原さつき」については聞きそびれたままだった。今更、初恋がどうのこうの言って、今の関係に少しでも影響が出るのが嫌だったし……。とても、あの初恋の相手の「藤原さつき」とは思えない。さつきがデザイン関係の何かをしてるとは思えなかった。同姓同名の誰かだろうと、たかをくくっていた。

「それにしても、本当にわけわからないな、デザインて」

 彼女が見ている画集には、理解を超えた絵が並んでいる。子供の落書きと大差がないように見えるのだが、そんなことを一言でも言おうものなら、一晩中デザインについて語られるのが落ちだ。そんなことは一回でもうこりごりだ。

「そう? このラインの使い方っていいじゃない? こんな感じのラインだと丸さの中にも切れが出てくるじゃない?」

 嬉々としてデザインの話をし出す彼女を止めるすべはない。それから数十分の間二人で画集を眺めて、彼女の講釈を聞く羽目になってしまった。彼女と語る時間が持てたのは嬉しいことだが……。

 それでも、いい加減飽きてきたので……。

「ねぇ、みれー。腹減ってない?」と切り出してみる。

 案の定、「そーだねぇ。ご飯にする?」とのお答えが……。

 今日のご飯当番は彼女。早速、彼女は台所に行き、下ごしらえを済ませてあった、いくつかの料理を作り出した。彼女の料理は少なくとも僕の料理よりうまい。しかし……。まぁ、お互い一人暮らしを初めて2年たってないのだ。

 彼女が料理を作っている間に、今日頼まれた作曲について思案を巡らす。オリジナルって難しいよなぁ。思い浮かぶメロディーはどれもどっかで聞いたことのあるような物ばかり。僕はクリエイティブな職業には向かないらしい。

「はぁーい。できたよー」

 彼女がお盆にディナーを乗せて戻ってくる。今日のメニューはシチューにコンソメスープ、そしてご飯だ。ふらり暮らしだと野菜を残して腐らすことがなくて経済的だ、といつだか彼女が言っていたが、それにしても、このシチューには野菜がてんこもりだ。

「どーしたの? さっきから何か考えてたみたいだけど」

 彼女がテーブルに食器を並べながら聞いてくる。

「いやね、サークルで今度のライブ、オリジナルの曲やるみたいなんだ。それで、その作曲」

「作曲? すごいじゃない! できたら真っ先に聞かせてね」

 彼女の目がキラーンと光った気がしたが、気のせいだろう。

「でもうまくいきそうもないなぁ。あ、そだ」

 彼女もまだまだ卵と言ってもクリエイター志望なのだ。創作に関して何かアドバイスが聞けるかもしれない。

「なに?」

 茶碗にご飯をよそいながら彼女が答える。女の子がよそうとご飯が数倍も美味くなるのはなぜだろう?

「ほら、オリジナル作ろうとするとさ、どうしても誰かの作品をパクってる部分が出てくるじゃない? それって、どーにかならないのかなぁ?」

「うーん、いきなり難しいこと聞くのね。たとえばデザインの話だと、やっぱ自分のデザインって胸張って言える物作れるようになるのは何年も仕事してないと無理だと思うの」

 彼女が僕につき合って真面目な話をしてくれる。元々デザインの講釈で一晩語れるぐらいだから、この手の話は好きなのかもしれない。

「中には才能のある人がいて、いきなり自分の世界を作れる人もいるけど、そういう人は少ないじゃない? だから多くのデザイナーはまず真似から入ると思うの……」

 彼女の話は終わる様子がない。この手の話が好き「かも」じゃなくて好き「なんだ」ってことがよぉぉぉっく解った。

 この日の夕飯は彼女の創作と才能に関する話で盛り上がった。結局、僕から言わせてもらえば彼女も才能のある人間の側なんだ。自分の好きなことに関して、これだけ熱心になれるのは才能という以外ないだろう。時々、彼女が僕よりデザインの方が好きなんじゃないかと不安になる。比べる物じゃないって頭で解っていても、それは仕方ない。




 そういえば、今思うと「藤原さつき」もクリエイティブな奴だったかもしれない。単に文系って話だが……。陸上部のくせに図書館の常連だったし、作文、習字はお手の物。そう考えると彼女も女の子らしいところが沢山あったんだぁっと感慨にも似た感情がわき上がる。

 それらは全て、彼女の女らしくないというコンプレックスから来る努力の結晶だったのかもしれない。少し見直した。惚れなおしたとゆーべきかな?

 詩も書いていたような覚えもある。いつだったか、彼女のノートを奪って遊んでた時、中が見えて彼女がぶち切れた事があった。結局、内容までは見えなかったけど、さつきの友達……例の仕切り屋、美樹……から仕入れた情報によると詩を書いたノートとゆー話だ。さつきが書いた詩ってどんなのだろうと、その時は思いを馳せてずいぶん楽しんだ物だ。

 ある時、「今度俺にも詩を見せてよ」と頼んだ所。

「あんたに見せるぐらいなら親父に見られたほうがましだわ」

 なんて言われてしまった。

「なんだよー。俺にはみせられないのかぁ?」

 などと期待を含めて言ってみた。この時は高梨先輩の話が出てくる前で、単に片思いに悩んでいた頃だ。

「あんたに見せても、私の詩のレベルは理解できないもの!」

「げぇ、そんなにすごい詩、かけんのかぁ? 人間、謙遜って物がなくなると怖いもんだねぇ」

「うるさいわね! あんたなんか、小学生向けのギャグ漫画がお似合いなのよ」

 中学2年の男子にはきつーいお言葉なのでした。このころは、会えば喧嘩みたいなのをしてた。クラスの友達からは仲いいなぁ、などとひやかされたりもしたが、実際は喧嘩する度に嫌われたんじゃないかと自己嫌悪の日々だった。彼女は僕を喧嘩友達か幼なじみの使えない奴程度に思っていたのだろう。




 あの頃を思い出すと、ほんとにとりとめもなく思い出される。主に「篠原さつき」がらみの思い出だが、他にもいろいろ。学校の先生のいやみなんか一つ一つ覚えてたりして……。

 おっと、思い出に浸ってる場合ではないのだ。結局一晩経って、楽譜に並んだものは、タイトルと、書いては消した跡と、消しかすの山。気がつけば外は明るくなってるし……。

 キーボードにイヤホン付けてカタカタやってる姿はけっこう間抜けらしく、彼女に何度も笑われた。

「なんか、いづるって文化的活動してると妙にはまるのよねー」

 これが笑いの理由らしいが理解はできない。所詮、彼女は僕の理解の向こう側の人間なのだ……と、いじけてみる。

「いづるがそうやって、何かに真剣になってるところ久しぶりに見た。だから、なんとなく嬉しくって……。それで笑っちゃうのかな? ごめんね、悪気はないのよ」

 僕がいじけてるのが解ったようで解説だかフォローを入れてくれる。

 その彼女も、今はベットの中で寝息をたてている。

 ふと思うのだが、彼女と僕とではやっぱり不釣り合いのように思う……。彼女は綺麗だし、性格も申し分ない。文句を付けるならば、相手に理解を強要してしまうところだろうか? そんなところも僕には魅力的に見える。自分の好きなことに熱心だし、才能もあるのだろうと思う。それに比べ僕はと言えば、見た目もそんなにかっこいいわけでもなく、性格もどちらかと言えば暗い方に属すのだろう。優柔不断で、理解力も無し。運動が得意でもなければ、頭も良くない。学校はさぼるわ、料理はまずいわ、おごってばかりで金もない、車ももってない。特にこれといった才能はなく、クラスでも普通にしていれば目立たない。彼女いわく、僕のいいところは優しくて、一緒にいて落ち着く、口うるさくない、という事らしい。優しいってのは強くないし優柔不断って所を勘違いしてる気がするし、落ち着くってのも僕がのんびり屋すぎる所や何に対しても無気力な所を見て言ってる気がする。ようするに自分で自分を一言で評価するなら「グズ」ってことなんだが……。今のところ彼女の目には「グズ」のいいところしか見えてないらしい。

 なぜ、彼女は僕なんかと一緒にいるのだろう?




「大野美麗」。彼女との出会いは、1年半以上前にさかのぼる。

 大学に入ったばかりの僕は、新しい街を理解するために夜な夜な外に出て遊んでいた。サークルの先輩とやれ飲み会だ合コンだと、連れていってもらったり、クラスの友達と親睦会と称してカラオケに行ったりボーリングしたりビリヤードしたり、やっぱり飲み会したり……。

 でも、女の子と仲良くなる機会は少なかった。合コンって言っても結局その時だけだし。それは僕の要領が悪いだけかもしれないが……。今までが今までだっただけに、積極的に女の子に話しかけることができなかった。

 そんな日々の中で、ある時ゲーセンで遊んだことがあった。一緒に行ったのはクラスの友達で、でも同じサークルの細野はいたな。遅くまで遊んでいたせいで最終のバスに間に合わなくなってしまった。他の友達は電車で帰れたので、そんな僕をおいてさっさと帰ってしまった。友達を選び間違えたか、とバス停でうなだれていると、一人の女の子が走ってきて時刻表見て……。

「えー! 最終もう出ちゃったのぁ? 最悪ぅ」

 と、悪態ついてバス停のポールをけっとばしていた。

 内心、こえー女ぁ、近づかないようにしとこ、と思っていたら……。

「ちょっとあんた!」

 などと話しかけられてしまった。

 よく見ると彼女はひどく酔っていらっしゃるようだ。

「な、なんすか?」

「なんすかじゃないわよぉ! これどーすんのよぉ」

 見ればけっとばしていた所が少しへこんでいた。災難だ、こんな凶悪な酔っぱらいにからまれるとは……。自分の不運を呪いつつ。

「あぁ、誰かにみつかったら器物破損で罰金ですよぉ?」

 なぁんて言ってしまってから後悔。

「あ・ん・た。ばっきん? 私が? ふざけんじゃないわよ。私がお金もらいたい方だわ。今日はふられるし、やけ酒飲もうと思って友達誘っても誰も来ないわ、飲み屋で頼んだのと違う酒もってくるわ、隣で座ってたネクタイ頭に巻いた変なおやじにからまれるわ、最終のバス逃すわ、蹴ってたらなんかへこんでるわ、こぉんな訳の分からない男に説教くらうわ、これから歩いてかえんなきゃ行けないのよ? そしたらきっと痴漢に襲われるんだわぁ。それでまわされて、子供できちゃって、シングルマザーとかゆーのになって、子供のためにしょうがないから、身体売って。気付いたら麻薬なんかにも手を出して、ヤーさんの女になって入れ墨いれて、対抗してる組の討ち入りに巻き込まれて拳銃に打たれて死ぬんだわぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 この人、呼吸してるんだろうか? などと思いつつ。こんな訳の分からない男? 説教?

 別に説教なんかしてないぞ! でも直接声には出さなかった。僕にはこれでも自分の身を守るぐらいの知恵はあった。

「あぁ、なんだか頭クラクラしてきた」

 当たり前だ。あれだけしゃべりまくったら、頭に酒もまわるだろう。これも声には出さなかった。

「大丈夫ですか? タクシーに乗った方が……」

 言いかけたとき彼女が、僕にしなだれかかって来て。(でも、この時ばかりは嬉しくもなんともない!)

「お願い。トイ……うげぇぇぇぇ……」

 やられた。泣きたかった。僕の服は酒の混じった異臭にまみれていた。




「くくくく……」

 思い出す度、笑えてくる。

「なによぉ? いきなり笑い出してぇ」

 彼女が朝の身支度をしながら聞いてくる。

「いやねぇ。なんとなく、みれーと出会ったときの事思い出してたら……」

 彼女の顔が見る見る赤く染まっていく。それが怒りなのか恥ずかしさなのか……。

「そんなの思い出すんじゃないわよぉ!」

 両方らしい。

「ほんと、なんであれから二人が一緒に暮らすようになったか疑問だよねぇ。くくく……」

 意地悪く笑い続けてみる。

「もお! いつまでも、そんなこと覚えてないで、もっとましな事に頭つかいなさい!」

 ハンドバックが飛んでくる。凶暴なところは今も変わってないらしい。

「いってきます!」

 怒ったまま彼女は出かけていった。ほんとにクリエイティブな人間には気性が激しい人が多いもんだ。

 さてと、疲れたし寝るかな。

 散らかったテーブルの上を片づけて、布団に潜る。

 数十分前に彼女が寝ていたので、ほのかな温もりがあった。それと彼女の香りも少し。なんとなく嬉しくなって、布団の中で深呼吸してみる。って僕は変態か?

 と、自分につっこみを入れて自制する。




 結局、吐いている彼女をほっとけずに、彼女が落ち着くまでそばにいた。

「あんた、何みてんのよぉ」

 と怒られたりもしたが、もう頭にはこなかった。諦めに近い感情が芽生えていたからだ。

 落ち着いてから、

「ねぇ、タクシー乗って帰りなよ。そしたら痴漢になんて会わないだろ?」

 と話しかけてみた。彼女はけっこう青い顔をしていた。

「たくしぃい? そんなお金ないわよぉ。ぜーんぶお酒に使っちゃったものぉ」

 おいおい、大丈夫か? この女。

「それよりぃ。あんた! 早く服着替えなさいよぉ」

 ってお前がぶっかけたんだろ! 幸いジャケットだけですんだみたいだけど……。

「困ったな。俺もそんなに金持ってる訳じゃないからな」

 財布の中身は……三桁しかなかった。ゲーセンで派手に使ってしまった。部屋に帰れば生活費がとってあったのだが……。

「いいわよぉ。歩いて帰るからぁ」

 よろよろと歩き出した。

「ちょっと、そんなんでちゃんと帰れるわけないだろ? しょうがないから家まで送ってやるよ。どこに住んでんの?」

 彼女のよろよろした歩き方を見ていたら、ガラでもないことが口から飛び出した。

「そぉーんなこといってぇ。送り狼になるつもりでしょぉー? ふふふふ……」

 こ、この女は……。

 ほっといて帰ろう! 何度も自分に言い聞かせた。でも、やっぱり放ってはおけないのだ。損な性格だ。などと考えていると、彼女が近づいてきて、

「いいわよぉ。教えて、あ・げ・る」

 と、艶めかしい声で言う。

「え? え? な、なにを……」

 うわぁぁ、なにを言い出すんだ、こいつ。

「えへへ……変な事考えたでしょー? 住所よ住所!」

「あ、じゅうしょ……ね」

「もー、これだから男ってやーねぇ。すーぐにエッチな事考えるんだからぁ。和志もそー。

光もそー。悟もそー。仁史もそー……」

 指を折々、数えながら男の名前を並べる彼女。

「……もそー、そーしーてぇ、あんたもそー」

 え? 僕? 最後に僕まで持ってくるかなぁ?

「俺をそこに加えるんじゃねぇよ」

「だってぇ、さっきエッチな事考えたでしょー? すーぐに顔に出るんだからぁ……男なんて……男なんて……男なんて……うぅぅ」

 怒りの口調から、やがて泣き出してしまった。感情の起伏が激しいな。酒飲んでるせいだろうな。(この時はそう思ったが、後からそれが素だと解った)

 人もまばらになった駅前、でも無人ではなかった。周りの人たちがこっちを見ていた。

「え、えっと、とりあえず。移動しよ」

 彼女の腕を引っ張って誰もいないところに連れていった、って別にやましい事しようって訳じゃないぞ!

「ねぇ、どこまで行くのよぉう?」

 さすがに彼女も身の危険を感じてつぶやいた。

 それでも気にせずに引っ張っていった。これじゃ、見た目完全に犯罪だな。

 途中、くずかごがあったので、ゲロまみれのジャケットを捨てる。これからこのジャケットを持って歩いて家まで帰るのを考えると、捨てたほうがいいかなと思った。

 さらば2万円。

「と、ここらでいいだろ」

 路地裏の人影もない場所。男と女の二人きり……しかして彼女は凶暴酔っぱらい女。

「ね、酔っぱらいさん。あなたのおうちはどこですか?」

「なまえーをきいてもわからない♪ おうちーを聞いてもわからないー♪ にゃんにゃんにゃにゃーん♪」

 って誰が続きを歌えって言ったよ! この酔っぱらい!

 一回吐いただけじゃ、こいつは止められないらしい。

「さっきまで泣いてたと思ったら、急に陽気になりやがって」

「泣いてた? ないてた……ナイテタ……ううぅぅ」

 って思い出したように泣き出すなぁ! この酔っぱらい!

「泣くのはいいけど早く住所教えてよ。送るに送れないだろ?」

「ううぅぅ……ねぇ? ……あなたはどーして私にかまうの? ほっといてよ、私なんて……」

 最後は消えるような声で、でもすぐ後に怒鳴り声で。

「私なんて、ほっといてよ!」

 むかぁ! 頭に来た。さすがにこれは頭に来たぞ。何様のつもりだ? ゲロぶっかけておいてほっとけだ? 誰があの2万円のかたきをうってくれるんだい?

 いくら僕がお人好しでも、これ以上は我慢できなかった。

 あぁ! いわれたとーりに放っといて帰ってやるよ。じゃねー! とばかりに、ふいっと振り返って歩き出した。

「あ……」

 後ろで彼女がつぶやいた。聞こえないふりして歩き続けた。

「……」

 歩いた。

「……」

 ついてきた。

「…………」

 それでも歩いた。

「…………」

 それでもついてきた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 お互い無言のまま、しばらく歩いた。いい加減、精神的に疲れたので振り返って、

「あんた、いつまでついてくるつもりなんだ?」

 と話しかけた。僕としては、それは最後の助け船のつもりだった。

「あ、あの……私もこっちなの、帰り道……」

 消え入りそうな声で返事が返ってきた。薄暗い歩道の上で彼女自身も消え入りそうだった。車が通った。ライトの明かりが彼女を照らした。泣いていた。

 僕の方から近づいていった。8メートルほどの距離。彼女はずっと無言の僕の後ろを、ずっと無言でついてきた。近寄らないように、見失わないように……。その距離が8メートル。この8メートルを歩いた時、彼女の8メートルを思って、なんだか彼女がものすごく切ない生き物のような気がした。彼女のことを、少しでもいいから守ってあげたい気がした。もしかしたら、この時から好きになったのかもしれない。

「知らない男に、ひょいひょい、ついてくるんじゃねーよ」

 彼女に近づいて、このとき初めて、綺麗な人だと思った。

「……私ね……私ね。今日ふられたの……。つまらない男だったわ。それでもやけ酒飲まなきゃ忘れられないぐらい好きだったの。今でもまだ好き。だから寂しくて……」

 彼女の目は赤くなっていた。あれからずっと泣いていたのだろう。罪悪感で胸がいっぱいになった。彼女は話を続けた。

「寂しいくせに、放っとけなんて言って……。ほんとは放っといてもらいたくないのにね。ずっと考えてたの。あなたが歩き出した時、私すごく後悔してた。助けてもらったのに、ひどい事言って…………」少しの間沈黙して、「ごめんねぇ。酔いも吹き飛んじゃったぁ。あはは……」と明るい声で言った。

「それ言うために、ずっとついて来たの?」

「それもあるけど、私の帰り道もこっちなのよ」

「……って、当たり前か。同じバス乗ろうとしてたんだもんな。方向同じなの当たり前じゃん。気がつかなかった」

「けっこう、間抜けなのねぇ、あなた」

「む! すっかり復活しやがって、これだから女ってやつぁ」

「あー! 男女差別だぁ」

「あんただって、さっき男なんてとか言ってたじゃないか」

「私はいいのよ。か弱い女の子なんですから」

「自分で男女差別してんじゃねーかよ」

「うるさわねぇ。細かいことをうじうじと。それでも男なのぉ?」

「ほら、また差別した」

「あ、あんたね!」

 彼女がふざけて腕を振り上げた。

「それじゃ途中まで一緒に帰りますか」

 手をさしのべる。彼女が振り上げた腕をおろす。そして、僕の手を、ぱちん、と叩く。

「変なことするんじゃないでしょうね?」

 彼女が真っ赤な目とは裏腹な笑顔で聞いてくる。

「もちろん」

 できるだけ明るく答えた。彼女がうなずいて……。

「それじゃいきましょうか」

 彼女から歩き出す。

 僕は彼女の隣に並ぶ。

 それからお互いのことを色々話した。二人が住んでるとこが以外にも近かったことや、彼女がデザイン系の学校に行ってることや、僕がベースをやってる事……色々。


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