2話ー③:交際の条件
「1週間だけ?」
「そうです」
ルシアンから提示された”お付き合いの条件”は、「1週間限定」だった。
「えー! 一度了承したくせに! 話が違うわ!」
不満げなリリアナに対し、ルシアンはきっぱりと言い切る。
「さすがに旦那様に内緒で、こんなこと……
いくらリリアナ様の命令でも、期間限定でないとできません」
そう言ってから、少しだけ視線を逸らし、ぼそりと付け足した。
「それに、あまり長くなったら、勢いで押し切られそうだし……」
「え? 何か言った?」
「いえ、何も」
ルシアンは、いつものようににっこり笑って誤魔化した。
リリアナは一瞬だけ考え込む素振りを見せたが、すぐに顔を上げる。
「ちょっと気に入らないけど、まぁいいわ!
”まずは”それで手を打ちましょう」
「……まずは?」
ルシアンは怪訝そうに眉をひそめる。
「いえ、何も」
リリアナも、同じようににっこり笑って誤魔化した。
――そう。
納得したかのように見せかけてはいたが、それはあくまで“今は”の話だ。
ルシアンに気づかれないよう、ほんの一瞬だけ、口元を吊り上げる。
(流石のルシアンも、1週間もあれば自分の気持ちに気づくはずよ。
そうなれば、こっちのもの。
あとは自然に、正式なお付き合いに移行するだけ――)
胸の奥が高鳴るのを感じながらも、リリアナはそれを、勝利の予感として受け止めた。
(――この勝負、もらったわ!)
そんなふうに内心で意気込んでいると、ふいに、ルシアンが口を開いた。
「そういえば……一度、聞いてみたかったんですが」
「何?」
「リリアナ様は、僕のどこが好きになったんでしょうか?」
軽い調子で投げかけられた言葉だったが、その視線だけは、探るように、真っ直ぐリリアナを捉えていた。
――いつもなら、こんなふうに踏み込んでくる人じゃない。
「え……?」
普段とは明らかに違う熱を帯びた視線に、胸の奥が、どくん、と跳ねた。
(わわわ! どうしよう……!?
そんな目で見つめられたら、何も考えられなくなるっ……)
ついさっきまで得意げに思い描いていた、策も計算も――
きれいさっぱり、頭から消し飛んだ。
リリアナは慌てて視線を逸らそうとしたが、なぜか体が言うことをきかない。
逃げ場を失ったまま視線を返してしまい、その瞬間、瞳、肌、髪――
目に映るルシアンのすべてが、やけに鮮明に流れ込んできた。
(な、なんか……
いつも以上に、オーラがすごい……!
何で……?)
リリアナの頭は一瞬で真っ白になり、ただ、目の前のルシアンを見つめ返すことしかできなかった。
そんな様子を見て、ルシアンは何かを察したように眉をぴくりと動かす。
そして一瞬、視線を外し、どこか遠いものを見るような目をしたあと、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、“顔”、ですね……?」
「へ?」
その言葉と同時に、ルシアンの視線から、先ほどまでの熱がすっと引いていく。
――あ。
じっとルシアンの顔を見つめていたせいで、自分の答えが“顔”だと受け取られたことに、リリアナは遅れて気づいた。
リリアナは慌てて首を振る。
「ち、違うわよ! ちゃんと中身も見て――」
「正直なところ、顔が良ければ誰でもいい、という感じでは?」
さっきのリリアナの態度が、ルシアンの中では、もう答えになっていて、その言葉は、ほとんど届いていなかった。
「いや、そんなこと……」
「そうとしか思えませんが?」
淡々とした口調なのに、答えを決めつけるような言い方で、いつもより圧を感じる。
普段のルシアンらしくない。
やや違和感を覚えつつも、ルシアンに詰められ、上手く言い返せずにいた。
けれど、ふと気づく。
「って自分で言うの?
”顔がいいって”」
思わず口を突いて出た言葉だった。
「あなた、意外と図々しいのね……!」
「あ……」
さっきまでの落ち着いた様子が消え、視線が泳ぐ。
「ち、違いますよ!
あまりにも、みんなにそう言われるから……
そういう理由なんだろうなって」
そう言って、ルシアンは気まずそうに視線を逸らした。
「別に、僕が自分でそう思ってるわけじゃなくて……」
いつもの理路整然とした落ち着きは見る影もなく、あたふたと弁解するその様子に、リリアナは思わず目を丸くした。
「いや、本当に違うんです。
そんな奢った考えなんて、持っているわけではなくて……」
それでもなお、言い訳を続けるルシアンに、リリアナは思わず吹き出した。
笑いが止まらなくなる。
「ふふふ。おかしい……」
「そんな笑わなくても……」
ひとしきり笑った後も、しばらくは肩を震わせるほどだった。
ようやく笑いが収まり、バツの悪そうな顔をするルシアンを見て、リリアナは小さく息を整える。
「でも、嬉しいわ。いつも壁があるように感じてたから。
やっと本当のルシアンが見れた気がする」
そう言って、リリアナは顔を上げた。
――その表情を見た瞬間、ルシアンの胸が、きゅっと鳴った。
心から嬉しそうに笑っている。
からかいではないと、ひと目で分かる笑顔だった。
失態を見せただけで、褒められるようなことなど、何もしていない。
なのに――
(……ま、まさか、本気で僕のこと……?)
反射的に浮かんだ考えを、ルシアンは即座に振り払う。
(いやいやいやいや。落ち着け、ルシアン。
さすがにそれは思い上がりだ)
ついこないだ、自分で言ったじゃないか。
恋に慣れていないからこその、勘違いだと。
恋愛がしたくて、相手としてたまたま手近にいた僕を選んだだけだと。
さっきの反応だって、今この場の空気に浮かされていただけ――
そう判断するのが、正しいはずだ。
「……ルシアン? どうしたの?」
考え込んでいたのは、ほんの一瞬のつもりだった。
気づけば、リリアナが怪訝そうにこちらを見ている。
(あ、あれ? ま、まずい……
思考に没頭してたみたいだ……)
普段と違う自分に動揺が隠せない。
さっきまで冷静だったはずなのに、もう調子が狂っている。
胸の奥に芽生えかけた温度を、ルシアンは慌てて押し込めた。
息をゆっくり吐き、何事もなかったかのように、平静を装って言葉を返す。
「いや、だって、リリアナ様がそんなこと言うなんて。
壁があったのはリリアナ様の方ですよね?
どちらかというと僕のセリフですよ」
ルシアンにそう言われ、リリアナは一瞬言葉を詰まらせる。
「そ、それはそうだったわね……
恥ずかしいから、もうあの時の話、しないでくれる……?」
黒歴史を掘り起こされ、リリアナは視線を泳がせ、居心地悪そうに肩をすくめる。
先ほどまで浮かべていた落ち着いた笑みは消え、今はすっかり調子を崩した様子だった。
その、取り繕いきれない反応に――
ルシアンは思わず吹き出した。
格好がつかないところを見せたのは、どうやら自分だけじゃなかったらしい。
胸の奥が、ふっと緩んだ。
(……確かに、これは嬉しいかもしれない……)
「もーからかわないでよ! 本当に忘れて欲しいのにっ……」
過去の失態が頭をよぎったのか、リリアナは真っ赤になって俯いた。
そんなリリアナを、ルシアンは穏やかに見つめる。
(……本当に、面白い人だな)
学院に来た当初――
過剰に距離を置かれ、目も合わせてもらえなかった日々を思い出す。
あの時は、こんな軽口を言い合える仲になるなんて、思いもしなかった。
(……こんなふうになれるなんて、まるで夢みたいだ)
ルシアンは、二人の関係が近づいたことに、喜びを噛み締めながら――
それでも、胸の奥に拭いきれない違和感が残っていた。
(だけど、さっきからずっと動揺しっぱなしで、情けないな……)
リリアナの気持ちが、”本気”なのか、それとも”恋に恋しているだけ”なのか――
答えが出る気もしないのに、同じところをぐるぐるしてしまう。
(今、深く考えるのはやめよう。それがいい……)
ルシアンはそう結論づけて、無理やり思考に蓋をし、何事もなかったように話題を切り替えた。
「でも、”お付き合い”って何をするんでしょうか?」
「え?」
ルシアンの言葉に、リリアナは、俯いて、一瞬固まる。
一気に、色々なことが頭にいっぱいなった。
(ええええええ。
これって、なんでも言っていいのかしら……?
で、でもいきなり言ったら引いちゃうわよね……!?)
「そ、それは……」
「それは?」
ルシアンに言葉を促すように見つめられ、さらに思考がまとまらなくなる。
(マイルドに伝えるには、どうしたらいいの……?)
リリアナは、混乱しつつ、モジモジと言葉を続けた。
「ほ、ほら、ミラちゃんたちも最近恋人になったみたいだし、
ああいう感じっていうか……」
「ああいう感じ……」
その言葉を聞いた瞬間、ルシアンは、ようやく合点がいった。
(なるほど。そういうことか……
ミラちゃんたちの影響だったんだな)
(あれだけ目の前で見せつけられれば、無理もないな……)
胸の奥で、張りつめていた何かが、すっと緩む。
(……それなら分かりやすい。
あんな動揺することでもなかったな)
最近になって、急に距離を詰めてくる理由。
拭えなかった違和感が、ようやく腑に落ちる。
仲の良い友人が恋人同士になり、それを間近で見て、自分にも同じものを求めた
――ただ、それだけ。
そう考えれば、説明はつく。
さっきまでの彼女の態度が、まるで最初から好意を向けられていたように見えたのも、やっぱり気のせいだったのだろう。
――友人に触発されただけ。
そう思う方が、ルシアンにとってはよほど理解しやすく、安心できる答えだった。
(危なかった。危うく盛大な勘違いをするところだった)
それでも、どこか腑に落ちきらず、ルシアンは質問を続けた。
「ミラちゃんたちみたいな、”ああいう”、とは?
具体的には何を?」
「へ?? 具体的に??」
声が裏返る。
リリアナは一瞬固まり、目を泳がせたかと思うと、顔がみるみる赤くなっていった。
「それは、ほら。
”恋愛小説”にあるみたいな、ロマンチックで、燃え上がるような……」
リリアナの声はどんどん小さくなり、それにしたがい顔も真っ赤に染まっていく。
――その様子を見て、ルシアンは「全てを察した」と思い込んだ。
(なるほど。そういうことか。 それなら全部辻褄が合う)
恋愛小説に憧れて――
それは、いかにもリリアナらしい。
今まで見てきた彼女の延長線上にある行動だ。
頭の中にかかっていた靄が、ゆっくりと晴れていく。
ばらばらだった考えが、きれいに一つに繋がった。
頭の中が整理され、いつもの落ち着きを取り戻した。
(よかった。これで全部解決した)
ルシアンは小さく息を吐き、自然と穏やかな笑みを浮かべていた。
――だが。
(いや、待てよ。
恋愛小説に憧れて、ということは――
”お付き合い”って、あの小説みたいなことを想像してるってことか……)
リリアナは恋愛小説が好きで、特に『愛の逃避行』シリーズを好んでいた。
愛に満ち溢れた情熱的なラブロマンスだと、本人は言っているが、
実際は、夜の場面がやたらと多い小説だった。
ルシアンは大きく息をつく。
(リリアナ様が、頑なに内容を見せたがらなかったのも、無理はないな)
――気になったルシアンは、既に取り寄せて読破していた。
自分でも、何をしているんだと思いながら。
小説のめくるめくラブシーンの数々が頭をよぎり、思わず背筋がぞくりとした。
(これは、まずいな……
あの小説みたいなことを求められでもしたら、旦那様に顔向けできない)
いや、それだけじゃない。
(もし、あれを“命令”なんて言われたら……
どう断ったらいいんだ……?)
どんなに軽いことでも、一度でも受け入れたら終わりだ。
今まで積み上げてきたものは、全部終わる。
旦那様に知られたら――クビだろう。
最悪、本当に首が飛ぶ可能性だってゼロじゃない。
思うだけで、心臓が跳ね上がる。息も詰まりそうだ。
目の前のリリアナに視線を戻すと、
顔を真っ赤にして、ぎゅっと拳を握りしめている。
そして、意を決したように、顔を上げる。
(まずい……!
これは、完全にまずい……!)
リリアナからの“爆弾”を察したルシアンは、言われるより早く、慌てて言葉を差し込んだ。
「じゃあ、まずはキ……」
「特にご希望がないようでしたら――」
「へ?」
言葉を遮るように、ルシアンが静かに続けた。
「放課後、リリアナ様のお部屋に僕が伺って、お茶でもご一緒する、ということで」
「え!!それだけ!?」
「今のところ、特にないようでしたので。
他にご希望があれば――
“具体的に”教えていただけると助かります」
ルシアンは、いつも通りの穏やかな表情で、リリアナを見つめた。
「え!? さっき言おうとしたのに!
もう1回言うの!?
無理よ!」
リリアナは両手で口元を押さえ、今さらのように顔を伏せた。
耳まで真っ赤に染まり、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「だ、だって……
そんな何回も女性から言うものじゃないでしょう……っ」
「“具体的に”、はっきり言ってもらえないと分からなくて。
リリアナ様もご存知の通り、僕は恋愛事に疎いので。
申し訳ありません」
ルシアンは困ったように、しかし穏やかに微笑んだ。
「え、いや、その……ほら、色々あるじゃない?」
リリアナは恥ずかしそうに俯く。
「色々とは? ”具体的に”お願いできますか?」
ルシアンは確認するように、少しだけ身を乗り出して、リリアナをじっと見つめた。
ルシアンの視線を正面から受け止めた瞬間、リリアナは、ぴたりと動きを止めた。
視線が宙を泳ぎ、何か言いかけては、口を閉じる。
その間にも、頬はみるみる赤くなっていった。
「え、えと……それは……」
声はかすれ、それ以上、言葉は続かなかった。
ルシアンは、それ以上促すことなく、穏やかな笑顔でリリアナを見つめたまま、じっと様子を見守る。
リリアナは、答えを探すように口を開いては、閉じて、そして、絞り出すようにつぶやいた。
「……特にないわ……」
それ以上は、続かなかった。
「では、僕の提案通りということで」
そう言って、ルシアンは静かに息を吐く。
(これで、最悪の事態は免れたな……)
そして、静かに口元を緩めた。
その穏やかな笑みに、リリアナの頬がわずかに膨れる。
「思ってたのと、全然違う……」
「……何か言いました?」
「いえ、何も」
こうして二人は、
「お付き合い」という名目で、放課後のお茶会を始めることになったのだった。




