3話ー②:不器用な男
翌日。
授業の後。
「え? 何で急に?」
セリスから、リリアナが体調を崩したと聞かされ、ルシアンは思わず声を荒げた。
「昨日までは、元気そうだったよね?」
「うん。というか、直前までは特に変わりなかった」
その返答を聞いた瞬間、ルシアンの表情がすっと消えた。
「……本当に?
セリス、ちゃんと見てた?」
言葉の端に、苛立ちと不安が滲む。
「本当だよ。
ルシアンに言われた通り、体調にはちゃんと気をつけてたし」
「……じゃあ、どうして急に?」
ルシアンは頭の中で原因を探る。
――リリアナの力は、防御と治癒に特化した特殊なものだ。
周囲の魔力を取り込み、浄化し、変換することで成り立っている。
その代償として、負の魔力や毒素を体内に溜め込みやすい体質だと、第一使い魔として仕えることになった際、教育係から説明を受けた。
入学して間もなく、彼女は一度倒れている。
一週間、丸々学院を休むほどの大事だった。
危険だと聞かされていたはずなのに。
まだ距離もあり、踏み込むことはできなかった。
ただ、歯痒さだけが残った。
――彼女が倒れる光景を、もう二度と見たくなかった。
そのことがあってから、ルシアンは彼女の体調に人一倍気を配るようになった。
魔力の乱れ。
疲労の兆し。
ほんの些細な変化でも、見逃さないように。
それでも、軽い体調不良は度々あった。
一日休めば回復する程度のものだが、そのたびに、自分の力不足を思い知らされた。
やがて彼女と打ち解け、そばにいることが自然になってからは、必要とあらば治癒魔法で補い、無理をさせないよう先回りすることもできるようになった。
その甲斐あって、最近では学院を休むこともなくなっていた。
だからこそ。
セリスにも同じように注意するよう、何度も念を押していたはずだった。
「お医者様は何て?」
「あ……症状は、いつもと同じだって……」
「でも、こんなに急に悪化すること、今までなかっただろ?」
セリスは、視線を泳がせた。
「それは……」
「……言えないの?」
ルシアンは短く息を吐いた。
「……様子を見に行ってくる」
それだけ言って、リリアナの元へと向かった。
◇
(久しぶりだわ……こういうの)
リリアナはベッドに横たわり、全身を覆うような強い倦怠感に身を委ねていた。
指先に力が入らない。
身体が、鉛みたいに重い。
目を閉じると、自然と、あの光景が浮かんでくる。
――ルシアンとエレノア。
二人で並んで、顔を近づけ、楽しそうに談笑していた姿。
エレノアが話すと、照れて困ったように顔を逸らす。
普段の冷静で落ち着いたルシアンとは全く違った。
そんな反応、自分は今まで一度だって見たことがない。
(私には……最近、ずっと冷たいのに)
胸の奥が、ずきりと痛む。
(やっぱり、どんなに頑張っても、振り向いてもらえないのかしら……)
最初は、まともに話すことすらできなかった。
目を合わせるだけで緊張して、言葉が出なくて。
それでも少しずつ距離が縮んで、やっと、友達と呼べる場所に立てた気がしていた。
――そこへ現れたのが、セリスだった。
明るくて、素直で、ルシアンと自然に笑い合える女の子。
自分が勇気を振り絞ってやっと手に入れた距離を、彼女は最初から当たり前のように持っていた。
元々、ルシアンは女生徒からの人気が高い。
だから、特別な存在になれるなんてこと、最初は期待してたわけじゃない。
それでも――
ルシアンが自分に特別な思いを抱いていると知って、いてもたってもいられなくなってしまった。
結局、あくまで「忠誠心」だと、きっぱりと線を引かれたのだけど。
それどころか。
自分の“好き”は勘違いだと、理屈で揺さぶられて。
自分の気持ちさえ分からなくなって。
それでも、やっと自信を持てるようになったのに。
ルシアンは、いつまで経っても信じてくれない。
胸の奥が、じわりと冷えた。
強引だと言われて距離を置かれ、冷たくされて。
そして――
今度は、エレノア。
胸の奥に溜まり続けたものが、静かに、限界を超えた。
リリアナは、ゆっくりと息を吐いた。
(ルシアンは、私のこと強引だって言うけど……)
(少しくらい強引じゃないと、
私を“そういうふう”に見てくれないじゃない……)
ふと、医者の言葉が蘇る。
――最近、強いストレスを感じることはありませんでしたか?
(……思い当たる節がありすぎるわ)
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
その感覚に引きずられるように、身体の重さも、さらに増した気がした。
リリアナはもう一度、小さく息を吐いた。
――と、その時。
「ルシアン様が、いらっしゃいましたよ」
使用人の声に、リリアナははっと目を開く。
「え……? 嘘?」
(髪もボサボサだし、こんな格好、見られたくないのに……)
「お通ししても、よろしいでしょうか?」
一瞬ためらってから、リリアナは小さく頷く。
「……わかったわ」
扉が開き、息も切れ切れのルシアンが駆け込むように入ってきた。
「ど、どうしたの……?」
思わずそう尋ねてしまうほど、彼は明らかに様子がおかしかった。
普段の冷静沈着な姿からは想像できない。
動揺していて、余裕がない――
そんなルシアンを初めて見る。
「体調を崩されたと聞いて……」
そう言いながら、彼はすぐに状況を確認するように視線を走らせる。
「解毒魔法を施します」
迷いのない声だった。
ルシアンは、リリアナのそばへと歩み寄る。
「だ、大丈夫よ……」
リリアナは慌てて首を振る。
「いつものことだもの。
少し休めば、明日には治るわ」
――リリアナの体質上、解毒魔法は術者に大きな負担がかかる。
それを、彼女は誰よりもよく知っていた。
「いえ」
ルシアンは、きっぱりと言った。
「今は授業にも参加していません。
僕にできることは、やらせてください」
そう言って、彼はベッドのそばに跪いた。
「ありがとう……」
小さく、リリアナは呟いた。
ルシアンの手がそっとリリアナの手に触れる。
そこから魔力が放たれる。
リリアナは体が軽くなっていくのを感じていた。
それだけじゃない。
温もりが、指先から胸の奥へ広がる。
(私のことなんて、どうでもいいのかと思ってた……)
自分のために必死で駆けつけてくれた。
その事実が、何よりも嬉しい。
さっきまで凍っていた心が、ゆっくり溶けていく。
「これでもう大丈夫ですね」
ルシアンの声でハッと我に返る。
体が、軽い。
いや軽すぎる。
さっきまであった倦怠感が、嘘みたいに消えている。
(……まさか)
「ルシアン、ちょっとやりすぎよ!
こんなにやったら、魔力切れを起こすわ!」
「いえ、大丈夫です」
そう言うものの、声はかすれている。
顔色は悪く、立ち上がった途端、視界が揺れたように目を細めた。
「もう、無茶しないでよ……」
「では、僕はこれで……」
そのまま歩き出そうとするが、視線がふっと虚ろになり、体が傾く。
「ちょっと、大丈夫? いいから、座って」
慌てて声をかけ、ベッドに腰掛けさせると、ルシアンはそのまま倒れ込むように横になった。
「えっ!? 嘘でしょう……?」
やはり魔力を使い果たしてしまったようだ。
そのままあっという間に眠ってしまった。
(……こんな、考えなしなこと、する人だったの……?)
少し考えれば調整できるはずの魔力量なのに、完全に回復させるまで突っ走るなんて――
「ありえないわ……」
リリアナは戸惑いながらも静かにため息をついた。
目の前のルシアンをじっと見つめる。
ここ最近、ルシアンの知らなかった一面を、いくつも見た気がする。
真面目で、礼儀正しくて、忠誠心が強い――
それが、ずっと抱いていた彼の印象。
けれど実際は、意外と口が悪くて、辛辣で。
不器用で、鈍感で、意地っ張り。
そんないいところも、悪いところも、今では、全部丸ごと好きになっていた。
(こんなに好きなのに……)
(どうして……信じてもらえないの……?)
ルシアンの額にそっと触れ、前髪を掻き分ける。
(あの時だって……
びっくりしただけで、嫌だったわけじゃないのに……)
触れた場所から伝わる温もりに、胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(信じてくれないくせに……)
(それなのに、どうしてこんなことまでするのよ……)
認めてほしかった。
私の気持ちだって、本物なのだと。
恋に恋してるだけじゃなくて。
勘違いでもなくて。
指先を、そっと彼の頬へ滑らせる。
一瞬、迷う。
こんなことをしても、何も変わらないかもしれない。
それでも――
迷いを押し切るように、リリアナはゆっくりと顔を近づけた。
唇が、そっと触れる。
自分でも信じられないほど、大胆なことをしているという自覚だけが、遅れて胸に込み上げてきた。
はっとして、顔を離す。
――その瞬間。
すぐ目の前で、ルシアンの瞳が開いた。
真正面で、視線が絡む。
「お、起きてたの!?」
思わず声が裏返る。
慌てて身を引き、距離を取る。
ルシアンはゆっくりと上体を起こした。
まだ眠気を残したまま、状況を測りかねるようにこちらを見つめる。
「……今、起きました」
少し間を置いて、ルシアンが言う。
「というか……何してるんですか」
その掠れた声に、リリアナは一瞬息を止めた。
「だって、あなたが……」
言いかけて、言葉が喉に詰まる。
「キスできないから、好きとは“違う”って言うから……」
ルシアンは頭を抱え、深くため息をついた。
その顔に困惑の色が滲む。
「でも寝ている時にするなんて。
どうしたんですか……?」
戸惑ったまま視線を落とす。
「リリアナ様らしくない。
こんなことする方じゃないでしょう?」
その問いに、リリアナはぎゅっと唇を噛む。
まだ少し誤魔化せる余裕が残っていたはずの心が、問いかけによって揺さぶられる。
「だって……」
言葉に詰まり、俯いた拍子にぽろりと涙が零れる。
まだ震える声で、少しずつ本音を絞り出す。
「いつまで経っても……
私の気持ち、信じてくれないんだもの……」
ぎゅっと拳を握る。
「ちゃんと本気なのに……
本気で好きなんだって、分かってほしかったの」
「それは……」
ルシアンの視線が苦しげに揺れる。
声を返そうとするが、言葉は続かない。
一度堰を切ると、もう止められなかった。
「それに、黙っておとなしくしてるだけじゃ、何にも変わらないじゃない」
「色んな女性と仲良さそうにしてるのに……」
「私にだけ、態度が違う……」
「主人だからって言って、最初から距離があって」
「近づこうとすると、冷たくされて」
「他の人みたいに、普通にしてくれればいいのに」
「……どうして私だけ、だめなの」
「私、そんなに迷惑?」
「……こんなの、もう……耐えられない」
言い終わった瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。
思いを伝えたいのに、泣いてしまって言葉にならない。
リリアナはただ、ルシアンを真っ直ぐに見つめることしかできなかった。
その涙を見て――
ルシアンの表情が、変わった。
何かを言おうと開きかけた唇が、止まる。
次の瞬間。
伸びてきた手が、そっと肩に触れた。
指先が、わずかに震えている。
――引き寄せられる。
考えるより先に。
堪えきれなかったように。
気づけば、強く抱き込まれていた。
息が詰まるほどの力で。
失うのが怖いとでもいうような、必死さだった。
彼の胸が、小さく震えているのが分かる。
「……すみません。
泣かせるつもりなんて、全然なくて……」
その声は、ひどく掠れていた。
思わず、顔を上げる。
ルシアンは戸惑う彼女に気づき、腕の力をわずかに緩めた。
それでも、離そうとはしない。
恐る恐る、リリアナは彼の胸に額を預けた。
それ以上どうしていいのか分からず、抱きしめられる感覚を、そっと受け止める。
少しの沈黙の後、ぽつりと、ルシアンの声が落ちた。
「他の人と同じになんて……できるわけないですよ」
一度緩めた腕に、力が戻る。
「僕は、生まれてからずっと、
あなたに仕えることだけを目標に生きてきたんです」
息が震える。
「あなたが……僕のすべてなんです」
その言葉に、リリアナは弾かれたように顔を上げる。
ルシアンは一瞬視線を逸らした。
だが、すぐに目を戻し、指先でそっと涙を拭った。
少し間を置く。
「……でも、本当に分からないんです」
ルシアンは、静かに息を吐いた。
「あなたの役に立ちたいと思うし、
守りたいとも思っている。
その気持ちは、ずっと変わりません」
視線が揺れる。
「でも――
それが“恋”なのかと聞かれると、
僕にはまだ、はっきりと言い切れなくて」
自分でも整理がつかない、という顔だった。
「それに、従者としてどこまで近づいていいのか……
考えれば考えるほど、分からなくなってしまって」
ルシアンは、隠すこともなく迷いを口にした。
その顔には、痛いほどの混乱が浮かんでいた。
何をどうすればいいのか、本当に分からないのだと伝わってくる。
こんな表情、今まで一度も見たことがない。
「……そうだったの……」
リリアナは、息を呑む。
ずっと冷たくされているのだと思っていた。
迷惑なのだと、距離を置かれているのだと。
でも違った。
こんなにも迷い、こんなにも苦しんで。
――ずっと、悩んでくれていたんだ。
胸の奥に絡まっていたものが、少しずつほどけていく。
拒まれていたわけじゃない。
――大切に思ってくれていたからこそ、軽々しく踏み出せなかったのだ。
じわりと、熱が広がった。
涙とは違う温かさが、胸いっぱいに満ちていく。
「……嬉しい……」
自然とこぼれた言葉だった。
気づけば涙は乾き、頬にはやわらかな笑みが浮かんでいる。
ふと視線を上げると、ルシアンの肩が、目に見えてほどけた。
張りつめていた空気がゆるむ。
固く結ばれていた口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
……泣いていた自分を、ずっと気にしていたのだ。
それが分かって、胸の奥がまた温かくなる。
リリアナは小さく息をつき、まっすぐ彼を見つめた。
「……分かったわ。ルシアンの気持ち」
ひとつ、静かに頷く。
「難しく考えすぎなのよ」
言った瞬間、思わず肩が震えた。
(本当に、真面目なんだから……)
ふふっと笑いがこぼれる。
「そうね。ピクルくんも言ってたものね。
ルシアンは……自覚するまで時間がかかるって」
声は、もうすっかりいつもの調子に戻っていた。
「仕方ないわね。
もう少しだけ、待ってあげるわ」
そう言って、余裕を含んだ笑みを向けた。
ほんの少しだけ、いたずらっぽく。
「僕の扱い、みんなソレなんですね……」
ルシアンは少し拗ねたように視線を逸らす。
その顔に、また胸がくすぐったくなる。
本当に――
不器用で、鈍感で、素直じゃない。
微笑んで見つめるリリアナに気付き、その笑顔につられて、ルシアンも笑みを返す。
さっきまで遠いと思っていた距離が、今はこんなにも近い。
ただ、こうして二人で笑い合う。
それだけで、胸の奥が静かに満たされていく。
今は、まだ、それでいいと思えた。




