3話ー①:外堀を埋められる-2
図書館。
静まり返った図書館には、まだ授業中の静けさがあった。
ルシアンは授業の空き時間になると、よくここへ足を運んでいた。
開いた本に目を落とす。
だが、文字が頭に入らない。
同じページをめくったことにすら気づかず、ルシアンは小さく息を吐いた。
(まったく……困ったことになったな)
この前のことで、話は終わったはずだった。
少し強引だった自覚はある。
だが、あれで区切りはついたと思っていたのに。
まさか。
(あんなふうに、外堀を埋められるとは思ってもみなかった)
彼女に深い意図はないのだろう。
ただこの前の出来事を、皆に聞いてほしかっただけ。
それくらいは、分かっている。
だからこそ、余計に性質が悪い。
両肘を机につき、組んだ手に額を預ける。
(みんな分かってないんだ……
僕の立場で、どうしろって言うんだよ。
こんな話、旦那様に知られたら――)
考えただけで、胃のあたりが重くなる。
その思考を振り切るように、少し顔を上げる。
(とりあえず、少し距離を置けば、落ち着いてくれるだろう……多分)
そう思いながらも、胸の奥は晴れない。
ルシアンが授業に出なくなったのは、セリスが授業に慣れてきた、というのもある。
だが、本当の理由は、リリアナの過剰な“恋愛モード”だった。
(急に、恋だの愛だの言われても困るよ……)
生まれてからずっと、ただひたすら努力してきた。
リリアナの役に立つ、第一使い魔になるために。
それだけを目標に、生きてきた。
戸惑いが、ため息になって漏れる。
(リリアナ様の役に立ちたい。
困っているなら、すぐに手を伸ばしたい。
……誰よりも先に)
(だけど、これが恋かどうかなんて……
そんなに重要だろうか)
去り際に見た、リリアナの寂しそうな顔が脳裏に浮かぶ。
(あんな顔をさせるつもりじゃなかった。
傷つけたくなんてなかったのに。
でも……本当に、どうすればいいのか分からない)
ふと時計を見る。
思っていたより、ずいぶん時間が過ぎていた。
(結局、何も手につかなかったな……)
もう一度、深く息をついた、その時。
「ルシアンも、空き時間なの?」
顔を上げると、エレノアが立っていた。
「ああ、そうなんだ」
エレノアは、アレクの使い魔だ。
複数の使い魔を抱える主人に仕える者同士、図書館で顔を合わせることも多い。
いつの間にか、空き時間を共にするのが当たり前になっていた。
エレノアは、おかしそうにルシアンの手元の本を指さす。
「どうしたの? さっきから、全然進んでないようだけど?」
「え? あぁ、そうだね……」
ルシアンはバツの悪そうに笑った後、ふと彼女を見る。
「何?」
――彼女だったら、真面目に話を聞いてくれるだろうか。
物腰は柔らかいが、冷静で判断も的確だ。
どこか大人びていて、感情に流されるタイプでもない。
(さっきのみんなよりは、まともな答えが返ってきそうだ)
愛だの、恋だの、両思いだの――
そんな答えじゃない、客観的な考えを聞きたかった。
「いや、その実は……」
ルシアンは、エレノアにこれまでの経緯を話した。
思いの外、胸の内に溜まっていたものが多かったらしい。
気づけば、遠くで、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
一通り話を聞き終わったエレノアは淡々と答えた。
「それはもう、”好き”ってことでしょうね」
「え?……エレノアまで、そんな反応なの……?」
頼みの綱だったはずなのに。
ルシアンはガックリと肩を落とした。
その様子を見て、エレノアはくすりと笑う。
「でも面白い。
ルシアンがその手のことで悩むなんて」
「だからそういう”恋愛”の話じゃなくて。
従者としての立場で、真面目に悩んでるんだよ」
「そうかしら?
いつも他の人から好意を向けられても、あまり気にしないのに。
今回だけ、こんなに動揺してる。
特別な理由があると考える方が、自然だと思うわ」
エレノアの言葉に、ルシアンは困ったように彼女から目を逸らす。
「そりゃ、他の人だったら、こんなに悩まないよ」
ポツリと続ける。
「……相手がリリアナ様だから、だよ」
「へぇ」
エレノアの目が、わずかに見開かれる。
けれど次の瞬間、口元がふっと緩んだ。
「それはあなたにとって、やっぱり”特別な人”ってことでしょう?
その気持ちを、そのまま伝えればいいのよ」
「そ、そんな……”特別な人”なんて言葉を使ったら……
また絶対、変な方向に受け取られるだろ!
従者としての立場もあるんだ、困ってるんだよ!」
リリアナに伝えることを想像しただけで、ゾッとする。
必死に事の難しさを訴えるルシアンの声は、いつもより早く、どこか子供っぽく聞こえる。
その反応を見て、エレノアは思わず吹き出した。
「そんな必死にならなくても……」
普段の冷静な姿とは全く違う様子――
慌てふためき、ムキになって反論する姿がおかしかったようだ。
周りの生徒から視線を送られ、エレノアは慌てて肩をすくめる。
「それに、”特別な人”なのは認めるのね」
エレノアは頬を緩めたまま、少し呆れたように見つめる。
ルシアンはその反応が理解できず、当然のように言葉を続けた。
「そりゃそうだよ。
だってたった一人の主人だよ?
誰よりも大切な人だ。
そばにいて、力になりたいと思うのは当然だろ?」
エレノアは驚いて目を丸くする。
「これで、まだ否定するの……?
しかも、私じゃなくて本人に言えばいいのに」
エレノアに指摘されても、それで何で「好き」だということになるのか全く分からない。
ただ、いつもと違って感情が制御できず、動揺が収まらないことだけは自分でも分かった。
「もう、これ以上、笑わせないで……
静かにしないと迷惑になるわ」
エレノアは肩を震わせ、笑いを堪えている。
「別に笑わせようなんてしてないよ。
エレノアが勝手に笑っただけだろ……?」
さらにムキになって言い返すと、エレノアは「もう無理……」と言いながら顔を覆ってって笑いが止まらなくなっている。
自分の慌てぶりや動揺が面白い――そんな認識が、ルシアンを一層照れさせた。
膨れて、エレノアから顔を逸らす。
その様子をエレノアが楽しそうに覗き込む。
「ルシアンのこんな顔、初めて見たわ」
「からかわないでよ……」
「おかしー……」
ルシアンはさらに目を逸らし、落ち着かない様子を見せる。
その全てが可笑しくて、エレノアはますます笑いを堪えられなかった。
二人は周囲の視線に気づき、自然と声を潜め、顔を寄せ合って話していた。
――その光景を、少し離れた場所から見つめる視線があった。
リリアナは、書架の陰に立ったまま、そっと息を呑む。
(……すごく、いい雰囲気)
授業の空き時間、ルシアンがよく図書館にいることは知っていた。
授業で一緒になれないなら、せめてここで会えないかと思い、最近は足が向くことが多かった。
けれど、そのたびに、ルシアンのそばには、彼女がいた。
楽しそうに話す姿は、前から何度も目にしていた。
だから、結局一度も声をかけれずにいた。
だけど、今日は、いつもより近く見えてしまった。
(……私にはあんな顔、見せたことないのに……)
俯いて唇を噛む。
それ以上、見ていられなくて、リリアナは何も言えないまま、その場を離れた。




