1話ー①:無理めな片思い
クリスマス休暇が明けた1月。
マギア・インペリアル学院のダイニングホールには、久しぶりに顔を合わせた生徒たちが、楽しそうに歓談する姿がそこかしこで見られた。
ホールの奥では、給仕たちが魔法を使って、次々と料理を整え、温かな香りが漂う。
リリアナは、フォークを持つ手を止め、目の前の光景に小さな違和感を覚えた。
ミラとピクルが、当たり前のように並んで座っている。
「ぴーちゃん、これ美味しいよ、食べてみて!
はい、あーんして」
肩が触れそうな距離で、ミラはフォークを差し出す。
一瞬戸惑いながらも、ピクルはそれを受け取った。
「え、あぁ……ほんとだ、うまいな」
そして二人で顔を見合わせ、柔らかく笑い合う。
楽しそうな声と微笑みに包まれ、二人の間には甘く穏やかな空気が漂っていた。
その様子をしばらく眺めていたリリアナは、耐えきれず、ばんと手に持ったフォークで皿の肉を刺した。
(絶対に、おかしい……!)
二人の笑顔が、ただの無邪気な親密さじゃないことを、リリアナはすぐに察した。
二人の距離感や見つめ合う視線、普段なら距離を置くピクルの態度
――すべてが、休暇前とはまるで違っていた。
(この二人……
休暇中、絶対”何か”あったでしょ……!!)
直視し続けられず、一度視線を落とし、フォークを持つ手にも力が入る。
(う、羨ましい……
本当は、私もルシアンともっと仲良くなるはずだったのにー!!)
◇
話は、休暇開始時に遡る。
休暇初日。
リリアナは屋敷に帰るため、使い魔のルシアンと並んで、出迎えの馬車を待っていた。
「屋敷に帰るのは久しぶりですね」
「そ、そうね……」
ルシアンは形式上は使い魔で、主従関係にある相手だ。
けれどリリアナにとっては、それだけではない。
――絶賛片思い中の相手でもあった。
授業ではいつも隣にいて、使い魔として当たり前のように言葉を交わす相手でもある。
――けれど。
こうして、誰の視線もない場所で、二人きりで並んでいるのは、これが初めてだった。
彼は、整った容姿ゆえに常に女生徒たちの視線を集める存在だ。
廊下を歩けば、自然とざわめきが起きる。
視線を向けられるだけで頬を染める者も少なくない。
その彼が今は、自分にだけ向けて、穏やかに微笑んでいる。
(二人っきりなんて! これは仲良くなれるチャンス!!)
リリアナは期待で胸を膨らませていた。
そして、出迎えの馬車がやって来る。
御者が扉を開け、リリアナは先に馬車へと乗り込む。
――だが。
振り返るとルシアンは、外の護衛の配置についていた。
「え? ルシアン、馬車の中には入らないの……?」
「? もちろん。護衛ですので」
(ちょっ! それじゃ意味ないじゃない……!)
せっかくのチャンスが、一瞬で消えかけている。
リリアナは、思い切ってルシアンに声をかける。
「あ、あの、ルシアンも一緒に馬車の中に入らない?
歩いて帰るのは大変よね……?」
学園からリリアナの屋敷までは、数時間程度かかる。
馬車と並走するなら尚更大変だろう。
「いえ、大丈夫です。その程度なら特に疲れはしないので」
ルシアンはにっこりと微笑み、あっさりと断る。
(ちょっ、せっかくのチャンスなのに……
考えるの、考えるのよ、リリアナ……!)
リリアナは一瞬だけ口をつぐみ、目を伏せるふりをしてから、そっと視線を上げた。
「そう……でも……」
馬車の中からルシアンを見やり、困ったように微笑む。
――あくまで心配している“ふり”をした声で。
「もし何かあった時に、そばにいなかったとなると……
そっちの方が、問題じゃないかしら?
最近はこの辺りにも魔族が出るって聞くし……」
――真面目なルシアンには、善意よりも“職務”の話の方が効く。
そこを突いた、リリアナなりの作戦だった。
ルシアンはハッとした表情を浮かべ、一拍も置かずに顔を強張らせた。
「……確かに。
リリアナ様のおっしゃる通りですね」
(やった! 思ってた以上に効いてる!)
リリアナは心の中でガッツポーズをした。
ルシアンは、そそくさと馬車に乗り込み、リリアナの向かい腰を下ろす。
「護衛として不適切な判断でした……申し訳ありません」
「いいのよ、誰しも間違いはあるわ」
真剣な表情で謝罪するルシアンを見て、リリアナは思わず顔を逸らし、ルシアンにバレないように笑いを堪える。
(ルシアンって思ってたより、単純!
意外と扱いが簡単なのね!)
そして、じっとルシアンを見つめて思う。
(でも、そういうとこも、意外とかわいいかも……)
◇
馬車の中での時間は、リリアナにとって夢のようなひと時だった。
二人きりで、こんなに長く話したのは初めてだった。
ルシアンのことを知りたいリリアナは、幼体の頃のこと、学院に入学する前のこと、思いつくままに話題を投げかけた。
細かな話題は尽きることがなく、気づけばリリアナは、普段の緊張が嘘のように話し続けていた。
「屋敷にいるときは、一体どこにいたの?見かけたこともなかったわ」
「それは……」
ルシアンの返事が待ちきれず、次の質問を投げかける。
「他の使い魔たちも、一緒に暮らしてるの?」
「あの……」
「普段は、何して過ごしてたの? ねぇ、教えて!」
リリアナは身を乗り出してじっと見つめ、気づけばルシアンに触れそうな距離にまで近づいていた。
「あ、あの、少し下がっていただいた方が……」
「あ、ごめんなさい……」
リリアナの急な変化に、ルシアンがほんの一瞬、戸惑ったように見えた。
けれどすぐに笑顔に戻り、一つずつ丁寧に答えていく。
「ええっと……
僕たち使い魔は、全員で十人いるんですが、
他の従者たちと同じ別邸で一緒に暮らしていて……」
「そうなの!それで見かけなかったのね!」
リリアナは嬉しそうに頬を緩め、無意識のまま、また距離を詰めてしまい、すぐに我に返る。
「あ、ごめんなさい」
「いえ……」
気を取り直してルシアンは続ける。
「生まれた時から、ずっと一緒なんです。
リリアナ様に仕えることを目標に、仲間全員で頑張ってきて……」
話は別邸での暮らしから、訓練のこと、仲間たちとの些細な日常へと次々に移っていった。
ルシアンが言葉を選びながらゆっくり話すと、そのたびリリアナは目をキラキラと輝かせて聞き入る。
まるで言葉の一つ一つを逃さず捕まえようとするかのようだった。
リリアナはふと質問の言葉が止まり、素直な感想が漏れる。
「でも、そんなにたくさん使い魔がいるなんて知らなかったわ」
悪気のない感想だったのに、ルシアンの表情が、わずかに強張った。
「……そうですね。
知らなくて当然です。
学院では一人一体と言われていますし。
表に出るのは、ほんの一部ですから」
その言葉のあと、ルシアンはゆっくりと顔を上げ、リリアナを見つめた。
「でも、それほどの数が用意されているのは、リリアナ様が特別な存在だからです。
多くの者が、支えたいと願うほどに」
真っ直ぐに見つめられ、リリアナは思わず視線をそらしかけるが、その瞳に真剣さが宿っていることに気づき、そっと目を返す。
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。
そしてルシアンは、仲間一人ひとりの顔を思い浮かべているかのように、静かに言葉を紡いだ。
「それでも僕にとっては、彼らは同志であり、家族のような存在なんです」
「家族みたい……すごく素敵ね」
リリアナは思わず小さく呟き、微笑んだ。
一瞬の沈黙のあと、ルシアンは意を決したように口を開いた。
「皆、ずっとリリアナ様にお仕えしたいと願っていました。
……でも、遠くから見ているしかできなくて……」
少し視線を逸らし、言葉を慎重に選ぶように続ける。
「皆、リリアナ様のことを大切に想っています。
その思いを胸に、日々を生きてきました。
……もちろん、僕も同じ気持ちです」
リリアナは静かに耳を傾ける。
声の端々に、仲間への優しい想いと責任感が滲み出ていることに気づいた。
「リリアナ様のそばにはお仕えできませんが、
そういう者たちがいるということを、ずっと知ってほしいと思っていました」
言い終えると、ルシアンは少し身を乗り出すようにして、リリアナを見据えた。
視線の強さに圧されるような感覚を覚え、心臓が一瞬跳ね上がる。
(そんな風に思ってくれてたのね……)
自分に仕えることを、こんなにも大事に考えていたなんて知らなかった。
ルシアンの本音を聞いたことで、今までよりぐっと距離が近づいた気がした。
「……話してくれて、ありがとう」
小さな声が、ようやくそれだけを伝えた。
心の奥まで沁み渡る、誠実な想いだった。
馬車の揺れに身を任せながら、言葉を交わすたび、心の距離が少しずつ近づいていくのを感じた。
こんな風に少しずつ仲良くなっていけば、いつかは、ルシアンの気持ちも自分の方へ向いてくれるんじゃないか。
そんな風に思っていた。
――屋敷へ到着するまでの間は。
◇
馬車は屋敷の門をくぐり、私道へと進む。
「帰ってきましたね」
「そうね……」
ルシアンは柔らかな表情でリリアナを見る。
リリアナも、つられるように口元を緩めた。
穏やかな雰囲気が二人を包む。
(な、何これ……幸せすぎるっ……)
嬉しくて顔がニヤける。
(屋敷に帰ったら、部屋へお茶にでも誘ってみようかしら……)
この休暇中、これからきっと、もっと仲良くなれる。
そんな確信めいた気持ちになっていた。
屋敷の車寄せの前には、出迎えの従者がずらりと並び、リリアナの帰りを待っていた。
馬車が止まる。
「気をつけて下さいね」
ルシアンは先に馬車を降り、そっと手を差し伸べる。
リリアナは、その手をためらいがちに掴む。
指先に伝わる温もりに、胸が小さく跳ねた。
「あ、ありがとう……」
馬車を降り、足元に気をつけながら地面に立つ。
やがて手を離すと、名残惜しさが胸をかすめた。
リリアナは出迎えの従者たちに促され、屋敷前の階段を登り、屋敷の中へと向かう。
ルシアンは階段下で止まり、リリアナを見守っていた。
と、その時――
階段横の前庭から誰かが飛び出してきた。
次の瞬間、その人影は迷いなくルシアンの元へ向かい、当然のように、彼に飛びついた。
「おかえり! ルシアン!」
小柄な少女がぎゅっとルシアンを抱きしめる。
思わず、足が止まる。
呆然と見ていると、ルシアンは慣れた様子で少女を受け止め、そっと抱き返して、その頭を撫でた。
「ただいま」
二人は微笑み合い、自然に視線を交わす。
(え……誰……?)
胸の奥が、ひくりと揺れた気がした。
リリアナはただ、その光景を前にして、立ち尽くしたまま、動けずにいた。
そこで、少女がはっとしたように顔を上げる。
リリアナの存在に気づいたらしい。
少女はすぐにそばへ来ると、膝をついた。
「お帰りなさいませ、リリアナ様」
リリアナが戸惑っていると、続いて、ルシアンも歩み寄ってくる。
「リリアナ様、彼女は第二使い魔のセリスです」
「第二使い魔……」
その言葉を繰り返しながら、リリアナは目の前の少女――セリスに目を向ける。
リリアナが、ルシアン以外の使い魔と顔を合わせるのは、これが初めてだった。
「初めてお目にかかります。セリスと申します」
彼女は深く頭を下げると、ゆっくりと顔を上げ、落ち着いた眼差しでリリアナを見る。
リリアナは、無意識のうちに彼女を観察していた。
短く整えられた髪に、動きやすそうな服装。
どこか少年めいた、中性的な雰囲気をまとっている。
だが、前髪の奥からのぞく切れ長の瞳には、その見た目以上に、静かで揺るぎない強さが宿っていた。
「お会いできて大変光栄です……」
その一言と視線だけで、リリアナは思わず息を呑む。
ついさっきまで――
ルシアンに飛びついていたときは、無邪気で、年相応の幼さを感じていたはずなのに。
今、目の前にいる彼女は、まるで別人のようだった。
落ち着いた態度に、隙のない所作。
自然と背筋が伸びるような気配。
――第二使い魔。
その肩書きに、リリアナは静かに納得する。
彼女の纏う空気が、それに相応しい実力を物語っていた。
「セリス」
ルシアンの声に、リリアナははっと我に返る。
「リリアナ様は移動で疲れてるから。そろそろ……」
続けて、リリアナのほうへ視線を向ける。
「それでは、僕らは失礼します」
二人はそろって一礼し、そのまま歩き出した。
向かう先は、屋敷の別館。
――リリアナが向かう本館とは反対方向だった。
声をかけようとして――
言葉が喉で止まった。
結局、何も言えないまま。
リリアナはただ、二人の背中が遠ざかっていくのを見送った。
◇
(他の使い魔と家族みたいに過ごしてたって言ってたけど。
まさか女性もいたなんて……)
――しかも
(ルシアンのあんな表情初めて見た……)
二人が見つめ合った一瞬。
その場の空気が、ふっと変わった気がした。
そこには、リリアナの知らないルシアンがいた。
二人の間に、踏み込める隙はどこにも見当たらなかった。
胸の奥に、じわじわと重たいものが広がっていく。
さっきまで、すぐそばにいたはずなのに。
同じ屋敷にいるはずのルシアンが、ひどく遠くに行ってしまったように感じられた。
考えても、答えなんて出ない。
それは分かっている。
それでも。
さっきの光景が、何度も何度も頭に浮かんでは消えない。
気づけば、何も手につかないまま、時間だけが過ぎていった。




