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聖なる更生都市の監査記録 ~英雄の嘘を暴くのは、剣ではなくレシートでした~  作者: 冷やし中華はじめました
冷徹なるコンサルタント

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7/7

潔癖なる処刑人と、味気なき完全栄養ブロック

 その日、監査部の空気は凍りついていた。  いつもなら脂っこいジャンクフードの匂いが充満している執務室が、今日は手術室のように無臭だ。


 バンズ・アイアンサイドのデスクの前には、一人の男が立っていた。  銀縁眼鏡に、皺一つない紺色のスーツ。手には真っ白な手袋。  王都の本部から派遣された特務監査官、スターリングだ。


「……不潔ですね」


 スターリングは、バンズのデスクの端に置かれたピザの空き箱を、汚物を見るような目で見下ろした。  『ギガ・チーズ・ボルケーノ』。四種類のチーズとサラミが溶岩のように溢れ出す、カロリーの暴力。バンズが今朝、ストレスに耐えかねて注文したものだ。


「数字に汚れはありませんよ」


 バンズは強がって答えたが、声にはいつもの覇気がない。  なぜなら、彼の両手は魔導手錠で拘束されていたからだ。


「いいえ、数字こそが汚れています」


 スターリングは冷徹に言い放ち、一枚の書類を突きつけた。


「使途不明金、特別損失、接待交際費……。この支部の決算書は異常だ。特にこの『ギルド長裁量枠』。毎月、莫大な額が『活動支援費』や『見舞金』として消えている。……貴様が裏で着服しているのではないか?」


 バンズは唇を噛んだ。  着服などしていない。すべては、ギルド長ゼノが暴走して破壊した街の修繕費や、彼が気まぐれで配った見舞金の尻拭いだ。だが、それを正直に帳簿に載せれば、ゼノは「ギルド長失格」として解任されるだろう。  だからバンズは、必死に科目を書き換え、数字をパズルのように組み替えて、帳尻を合わせてきたのだ。


「それは……現場の判断というやつです。この街にはこの街の流儀がある」 「流儀? いいえ、あるのは『規則ルール』だけです」


 スターリングは表情一つ変えずに断言した。


「貴様のやり方は非合理的だ。感情や忖度で数字を歪めている。……貴様には『監査官の資格』がない。即刻、更迭処分とする」


 冷たい宣告。  バンズの隣で、部下のミナが青ざめた顔で立ち尽くしている。彼女もまた、本部の査問を受けて何もできない状態だった。


「連行しろ。王都でじっくりと『正しい計算』を教えてやる」


 スターリングの合図で、警備兵がバンズの腕を掴んだ。  (……ここまでか)  バンズは観念して目を閉じた。  皮肉なものだ。いつも冒険者たちに「現実を見ろ」と説教していた自分が、より強大な「正論」によって断罪されるとは。


 その時。  バンッ!!  執務室の扉が勢いよく開かれた。


「待たまえ!!」


 現れたのは、マントをなびかせたゼノ・ブレイバーだった。  彼は部屋に入ってくるなり、スターリングの両手をガシッと握りしめた。


「よ、よく来てくれた! 君が本部から来たという新しい仲間かね!?」


 ミシッ。  部屋に似つかわしくない、硬いものが軋む音が響いた。


「ぐ、う……っ!?」


 スターリングの顔が引きつる。  ゼノはただ握手をしただけだ。だが、その握力はドラゴンの鱗すら砕く英雄のそれである。スターリングの真っ白な手袋の下で、指の骨が悲鳴を上げていた。


「な、なんだ貴様は! 離せ、私は特務監査官の……」 「ああ、聞いているよ! バンズ君の仕事をチェックしに来たのだろう? 素晴らしい熱意だ!」


 ゼノはスターリングの手を離さない。それどころか、暑苦しいほどの力でブンブンと上下に振り回した。スターリングの体が、関節の可動域を無視して揺さぶられる。


「だが、君は一つ勘違いをしている!」 「か、勘違……痛っ、手が……!」 「そうだ! バンズ君の帳簿が汚れていると言ったな? 当然だ! それは彼が、泥にまみれて戦った証なのだから!」


 ゼノはバンズの方を振り返り、ニカっと笑った。


「彼は私の盾だ。私が光を求めて突き進む時、彼はその影で飛び散る泥(請求書)を一身に受け止めてくれている! その汚れこそが勲章! その複雑怪奇な数字こそが、我々の絆の記録なのだよ!」


 論理の飛躍。いや、崩壊。  スターリングは脂汗を流しながら口をパクパクとさせた。


「な、何を言っている……? 監査とは、数字の整合性を……」 「整合性? そんなちっぽけな物差しで、人の魂が測れるか!」


 ゼノは一歩踏み込み、スターリングとの距離を詰めた。  英雄の体から発せられる熱気と、圧倒的な「生物としての格の違い(プレッシャー)」。  スターリングの本能が警鐘を鳴らした。この男は、条文や理屈が通じる相手ではない。災害そのものだ。


「見ろ、このバンズ君の目を! 胃痛に耐え、脂と糖分で脳を焼きながらも、ギルドのために尽くすこの男の覚悟を! 君の計算機で、この『情熱』が弾き出せるかね!?」 「ひ、ひぃ……近……近い……!」


 スターリングは恐怖で後ずさろうとしたが、ゼノの手が逃がさない。


「さあ、君も我々の仲間だ! 言葉はいらん、魂で語り合おうじゃないか!」 「ま、待て、何を――」


 ゼノが大きく両手を広げ、スターリングを抱擁ハグした。  ベキベキベキッ!!  明確な破砕音が、スターリングの背骨周辺から響いた。


「がはっ……!?」 「ようこそ『パスファインダー』へ! 共に泣き、共に笑おう!」


 ゼノに悪気はない。だが、その抱擁は「ベアハグ」という名の処刑技に等しかった。  スターリングの足が宙に浮く。肺が圧迫され、酸素が途絶える。視界が白く明滅する中、彼は悟った。  ここにいたら殺される。  論理的に、非合法的に、物理的に、圧殺される。


「ぎ、ギブ……! ギブアップ……!」 「ん? なんだって? 感動で声が出ないのかね?」


 ゼノがさらに力を込めた瞬間、スターリングの生存本能が限界を超えた。


「や、辞退するぅぅぅッ!!」


 スターリングは死に物狂いでゼノの腕をすり抜けると、這うようにして扉へ向かった。


「こんな……こんな野蛮な魔窟にいられるか! 命がいくつあっても足りん!」


 手袋も書類も放り出し、脱兎のごとく逃げ出す特務監査官。  その背中は、監査のプロではなく、ただの怯える小動物だった。


「おや? どうしたんだ、急に」


 残されたゼノは、不思議そうに首を傾げている。  バンズは深いため息をつき、手錠の外れた手首をさすった。


「……ギルド長。貴方という人は、本当に……」 「ん? 何か言ったかね?」 「いいえ。……どうやら『暴力』には『暴力(愛)』が効くみたいですね」


 バンズは机の上に残されていた、スターリングの置き土産に手を伸ばした。  『完全栄養ブロック』。  人間に必要な栄養素がすべて詰まっているという、白くて四角い固形食だ。味も匂いもない、効率の結晶。  バンズはそれを齧った。


 ボソッ。  口の中に広がる、チョークのような粉っぽい感触。


「……不味い」


 バンズは顔をしかめ、ブロックをゴミ箱に放り投げた。  そして、冷え切ったピザの残りを掴み取る。


「やっぱり俺には、こっちの毒の方が合ってるみたいだ」


 脂ぎったピザを頬張るバンズ。  窓の外では、懲りずに何かを叫んでいるゼノの声が聞こえる。  その騒がしさをBGMに、バンズはまた一枚、嘘の混じった報告書を書き始めた。

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