暴走する筋肉と、断末魔の激辛バーガー
ドォォォォン!!
冒険者ギルド『パスファインダー』の本部ロビーを、爆音と衝撃が揺らした。 受付嬢たちが悲鳴を上げてカウンターの下に潜り込む。逃げ惑う冒険者たち。舞い上がる粉塵。
その混乱の只中にある柱の陰で、バンズ・アイアンサイドは震える手で包み紙を開いていた。 現れたのは、どす黒い赤色をしたソースが滴るハンバーガーだ。 その名も『断末魔バーガー』。 トウガラシの王様「ドラゴン・ブレス」を煮詰めたペーストを、パティが見えなくなるほど塗りたくった代物だ。一口食べれば食道が焼け爛れ、三日は味覚が戻らないと言われる劇物である。
「……食べる前に死ぬかと思ったぞ」
バンズは額の冷や汗を拭い、崩壊したロビーの中央を見やった。 そこには、身長三メートルほどに膨れ上がった巨漢が立っていた。全身の血管がミミズのように浮き上がり、肌はドス黒く変色している。
「ウガァァァァッ! 力が……力が溢れるぅぅッ!」
巨漢が手近な石柱を素手でへし折った。 冒険者の男だ。だが、その姿はもはや魔物に近い。
「禁止薬物『オーガ・ステロイド』の過剰摂取か……」
バンズは冷静に分析した。 最近、下層区で出回っている非認可の筋力増強剤だ。安価で爆発的なパワーを得られる代わりに、副作用で理性を失い、最終的には心臓が破裂する。
「おい、そこの筋肉ダルマ! 聞こえているか!」
バンズは瓦礫の上に立ち、声を張り上げた。
「お前はギルド規約『第6条:清めの儀式』における指定外薬物の使用、および『第11条:安息の聖杯』に基づく治安維持法に違反している! 直ちに暴走を停止し、監査部の聴取に応じろ!」
いつものように条文を突きつける。言葉で、理屈で、ルールで相手を縛る。それがバンズの戦い方だ。 だが。
「アァァ? ウルセェェ! 虫がァァッ!」
巨漢はバンズの方を向くと、へし折った石柱を軽々と放り投げた。
「なっ……!?」
風切り音。理屈も計算も通用しない、純粋な質量弾。 バンズは咄嗟に横へ飛んだ。石柱が先ほどまで立っていた場所を粉砕し、衝撃波がバンズの体を吹き飛ばす。
「ぐぅッ!」
壁に叩きつけられ、肺の空気が強制的に排出された。 視界が明滅する。激痛が走る背中を押さえながら、バンズは顔を歪めた。 (バカな……。言葉が通じない相手には、監査など無力だというのか……?) 巨漢がズシン、ズシンと足音を立てて迫ってくる。その目には知性の光など欠片もない。ただ殺戮を求める獣の目だ。
「潰レロォォォ!」
巨漢の丸太のような拳が振り上げられた。 回避は間に合わない。 バンズは死を覚悟し、せめて最期に一口だけでもと、手に持ったままのバーガーを口に運ぼうとした――その時。
「――そこまでだ」
凛とした声が響いた。 次の瞬間、金色の閃光がロビーを走った。
ズバァァァァン!!
轟音と共に、巨漢の体が真横に弾き飛ばされた。まるで玩具のように宙を舞い、受付カウンターの奥にある金庫室の扉に激突して止まる。
「……え?」
バンズは呆然と目を見開いた。 土煙の中から現れたのは、純白のマントをなびかせた男。 ギルド長、ゼノ・ブレイバーだった。 その手には、いつも飾り物として置かれている『聖剣のレプリカ』が握られている。刃の潰れたただの模造刀だ。だが、今のゼノが握ると、それは神話の輝きを放っているように見えた。
「ギ、ギルド長……?」 「怪我はないか、バンズ君」
ゼノは聖剣を振って血振るい(付いていないが)の動作をし、静かに鞘に納めた。
「彼――『猛る大岩』のガストン君だね。力が有り余って制御できず、苦しんでいたようだ。だから少しだけ、ガス抜きを手伝ってやったよ」
気絶して白目を剥いている巨漢を見やり、ゼノは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「力が強すぎるのも考えものだな。己の器を超えた力は、魂を蝕む。……彼もまた、迷える子羊なのだ」
一撃。たった一撃だ。 薬物で強化された暴走状態の冒険者を、剣の峰打ちだけで沈黙させた。 バンズは背筋に冷たいものが走るのを感じた。 普段は夢見がちな道化。計算もできない無能な上司。 そう侮っていた男の正体は、やはり紛れもなく『伝説の勇者』だったのだ。
「さあ、バンズ君。彼を医務室へ。目覚めたら、きっと『第1条:虚無への開眼』を果たし、生まれ変わったように改心しているはずだ」
ゼノはマントを翻し、颯爽と去っていこうとする。 その後ろ姿を見送りながら、バンズはようやく震えが止まった。 だが、すぐに別の震えがやってきた。 バンズの視線が、ゼノの一撃によって半壊したロビーの壁と、粉々になった床の大理石に向けられる。
「……ギルド長」 「ん? なんだい?」 「あの冒険者を止めたのは素晴らしい。ですが……この壁の修繕費、誰が出すんですか?」
ゼノはキョトンとした顔をした。
「何を言うんだ。壁など、心の壁に比べれば安いものだろう? 請求書は経理に回しておいてくれ。ガハハ!」
高らかに笑いながら去っていく英雄。 残されたバンズは、瓦礫の山の中で一人、計算機を取り出した。
「壁の修繕費、金貨百枚。床の張り替え、五十枚。……冒険者の治療費に、薬物中毒の更生プログラム費用……」
弾き出された数字は、今月の利益をすべて吹き飛ばす赤字だった。 胃が。胃がキリキリと音を立てて悲鳴を上げる。 バンズは、ぐしゃりと握りつぶしかけていた『断末魔バーガー』にかぶりついた。
「……辛っ!!」
舌を焼く激痛。食道を焦がす灼熱。 涙が出るほど辛い。だが、その痛みが、胃の痛みと恐怖を少しだけ紛らわせてくれた。
「……ったく。どいつもこいつも、筋肉で解決しやがって」
口の端から赤いソースを垂らしながら、バンズは瓦礫の上に座り込んだ。 その背中は、いつもの頼りがいのある監査官ではなく、暴力という嵐に巻き込まれた、ちっぽけな中間管理職のそれだった。




