聖なる更生都市の決算報告
『世界で一番高い雇用契約』が締結されてから、三ヶ月が過ぎた。
都市ヘリックスは今、かつてない活況に沸いていた。 都市の中央に口を開ける大穴は、もはや恐怖の象徴ではない。 名称は『資源循環型ダンジョン・アビス』へと変更され、入り口には「本日の魔物発生予報」が表示された巨大モニターが設置されている。
地下深部では、新任の「管理部長(魔王)」による適切な在庫調整が行われ、冒険者の死亡率は劇的に低下。 さらに、週末限定で開催される「魔王謁見ツアー(握手・記念撮影付き)」は、数ヶ月先まで予約が埋まるほどの人気博していた。
地上では、教会が「クリーン魔力発電所」として再稼働し、スラムの汚染も解消された。 世界は変わった。 剣と魔法のファンタジーから、契約と管理のビジネス・ファンタジーへと。
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地下100階層。 かつて無機質なサーバー室だった場所は、劇的なビフォーアフターを遂げていた。
壁一面に設置された巨大スクリーン。床にはふかふかの高級絨毯。そして、部屋の中央には人間工学に基づいた最高級のゲーミングチェアと、巨大なソファが鎮座している。
『……うむ。第50階層のオークどもが、少々張り切りすぎだな』
ソファに寝そべり、空中のモニターを眺めているのは、ラフなジャージ姿の魔王だ。 彼は袋入りの揚げ芋スナック(ポテトチップス)を齧りながら、指先一つでダンジョンのパラメータを操作している。
『ベクターよ。オークの発生レートを5%下げろ。代わりにスライムを増やして、初心者への還元キャンペーンを行うぞ』 「承知しました、魔王様。適切な采配です」
傍らに控えるベクターが、タブレット端末に素早く入力を行う。 かつて敵対していた二人は、今や「運営顧問」と「管理部長」として、阿吽の呼吸でダンジョンを経営していた。
「では、本日の業務報告は以上です。……ああ、それと」
ベクターは鞄から一冊の分厚い雑誌を取り出した。
「頼まれていた『週刊・冒険少年』の最新号です」 『おお! 待っていたぞ! 今週こそ勇者とヒロインがくっつくはずなのだ!』
魔王が目を輝かせて雑誌をひったくる。 かつて世界を滅ぼそうとした厄災は今、コタツに入った猫のように丸まりながら、地上のサブカルチャーを貪っていた。 これが、世界を救った「ホワイトな職場」の姿だった。
***
一方、地上。ギルド本部、監査課。 世界の平和などどこ吹く風で、バンズ・アイアンサイドのデスクは書類の山に埋もれていた。
「……ふざけるなよ、あいつら」
バンズはこめかみに青筋を浮かべながら、請求書を一枚ずつ仕分けていく。
・請求書:『魔王様・福利厚生費(漫画・お菓子・限定フィギュア代)』――金貨50枚 ・請求書:『ベクター・コンサルティング報酬』――金貨500枚 ・請求書:『第45階層・壁面修繕費(ゼノが興奮して破壊)』――金貨20枚
バンズは深くため息をつき、検印を叩きつけた。
「……やれやれ。世界が平和になっても、俺の仕事は減りそうにないな」
魔王を生かしたことで、都市の利益は爆発的に増えた。だが、その分だけ経費も、管理コストも跳ね上がっている。 結局、誰かが裏で計算し続けなければ、この巨大なシステムは回らないのだ。
その時。
バーンッ!!
執務室の扉が勢いよく開かれ、満面の笑みを浮かべた男が飛び込んできた。 ギルド長のゼノ・ブレイバーだ。
「バンズ君! まだ仕事か!」 「……ノックくらいしてくださいよ、英雄」 「硬いことを言うな! さあ、行くぞ! 今日は魔王主催の『地上・地下合同焼肉パーティー』だぞ!」
ゼノが子供のようにはしゃいでいる。 魔王と友になり、重い十字架から解放された彼は、以前よりもずっと晴れやかな顔をしていた。
「ベクター君も、魔王も待っている! たまには羽を伸ばそう! 君こそが、この平和の立役者なのだから!」
ゼノの手が伸びる。 だが、バンズは首を横に振った。
「遠慮しますよ。……甘ったるい『大団円』の味は、どうも性に合わない」 「むぅ? またそんなことを……」
バンズは引き出しから、冷え切ったハンバーガーと、いつもの胃薬を取り出した。 包装紙を剥き、冷たい肉にかぶりつく。
「それに、俺が行ったら誰が留守番をするんです? ……誰かがここで計算してないと、また世界が赤字になっちまいますからね」
ゼノは目を丸くし、やがて苦笑した。
「……君には敵わないな、最高の監査官殿」 「おだてても予算は増やしませんよ。……さあ、行ってください。遅れると肉がなくなりますよ」
ゼノが手を振り、部屋を出て行く。 執務室に静寂が戻った。
バンズはハンバーガーを飲み込み、苦い胃薬を水で流し込んだ。 そして、ふと窓の外を見る。
そこには、黒い煤煙のない、澄み渡るような青空が広がっていた。 都市は輝き、人々は笑い、ダンジョンからは冒険者たちの歓声が聞こえてくる。 嘘で塗り固められていた街は今、正しい数字と、少しの優しさで回っている。
「……さて、仕事だ」
バンズは手回し計算機のレバーをリセットした。 新しい書類の束を手に取り、キーを弾き始める。
カチ、カチ、カチ、チーン。
軽快な計算機の音が、部屋に響く。 それは、この聖なる更生都市が、今日も正常に稼働しているという音そのものだった。




