限界を超えた炉心と、招かれざる再建屋
第100階層。 重厚な扉が開かれた瞬間、バンズ・アイアンサイドの肌を刺したのは、殺気ではなく灼熱の「排熱」だった。
そこは、玉座の間などではなかった。 壁一面を埋め尽くす計器類。床を這う無数の太いパイプ。そして、耳障りな駆動音。 まるで巨大なサーバー室のような空間の中央に、それはあった。
天井まで届く巨大なクリスタル。 その内部に、一人の青年が閉じ込められている。
手足には無数のチューブが刺さり、胸には――一本の聖剣が深々と突き立てられていた。 彼こそが、この都市の動力源にして、かつて世界を恐怖に陥れた存在。
「……これが、魔王」
バンズは懐から『極寒ミント・タブレット』を取り出し、口に放り込んだ。 ドライアイスのような冷気が口に広がるが、室内の熱気はそれを凌駕していた。
そこにいるのは、威厳ある王でも、獰猛な怪物でもない。 目の下に深い隈を作り、頬はこけ、ガリガリに痩せ細った、ただの疲れ切った青年だった。
クリスタルは赤熱し、魔王の身体からは煙のような蒸気が上がっている。 今にも破裂しそうな、臨界寸前の炉心。
『……殺せ』
頭の中に直接響く声がした。 それは呪詛ではなく、切実な嘆願だった。
『もう、限界だ……。これ以上、我に負荷をかければ……我は暴発し、この上の都市ごと吹き飛ぶ……。頼む……我を、終わらせてくれ……』
彼は世界を恨んでいない。復讐など考えてもいない。 ただ、「休みたい」。それだけを願っていた。
バンズは、その虚ろな目を見たことがある。 かつて王都の監査局で、デスマーチの果てに心が壊れ、ビルの屋上から空を見上げていた同僚の目と同じだ。
「……う、うぅ……!」
隣で、ゼノ・ブレイバーが嗚咽を漏らした。 彼は涙を流しながら、腰のレプリカ剣を抜き放った。
「すまない……! すまない、魔王……!」
ゼノが剣を構え、クリスタルへと歩み寄る。
「君を楽にするには……また君を『殺して』、システムを強制終了するしかないんだ……!」
魔王を殺せば、一時的に暴走は止まる。だが、それは同時に、世界の動力源を失うことを意味する。 それでも、今の暴発を防ぐにはそれしかない。 かつて世界のために彼を生贄にした英雄は、今また、世界のために彼を殺そうとしている。
「許してくれ……ッ!」
ゼノが絶叫し、剣を振り上げた。 その刃がクリスタルに届く――寸前。
ガギィィィン!!
硬質な音が響き、見えない壁が剣を弾き返した。
「な、なんだ!?」
ゼノがよろめく。 その前に、一人の男が優雅に歩み出た。 銀縁眼鏡を指先で直しながら、ベクターが冷ややかに言い放つ。
「……非効率極まりないですね。短絡的な思考は経営者の悪癖ですよ、ゼノ君」
ベクターは空中に魔法陣を展開し、高速で指を走らせた。 魔王の生体データ、魔素出力、システムの負荷状況。全てが数値化され、空間に浮かび上がる。
「解析完了。出力係数、異常なし。耐久値、レッドゾーン。……原因は明白ですね」
ベクターは、まるで故障した機械を見るような目で魔王を見上げた。
「『過重労働』による金属疲労です。適切なメンテナンスと休息を与えれば、まだ稼働える」
「稼働える、だと……? 彼は人間だぞ!」 「いいえ、リソース(資源)です」
ベクターの冷徹な言葉に、ゼノが激昂しかけた時、バンズが二人の間に割って入った。 彼はゼノの肩を強く掴み、後ろへと下がらせた。
「剣をしまえ、脳筋。……ベクターの言う通りだ」 「バンズ君まで!?」 「勘違いするな。……これは戦争じゃない。『労働争議』だ」
バンズはクリスタルの前に歩み寄った。 熱気が肌を焼く。だが、彼は一歩も引かなかった。 懐から一枚の紙――ギルドの『監査官証』を取り出し、ガラス越しに魔王に見せつける。
「はじめまして、魔王さん。聖なる更生都市、内部監査室長のバンズだ」
魔王の虚ろな目が、僅かに動いた。
「貴方の労働環境について、重大なコンプライアンス違反が見つかりました」 『……なん、だと……?』 「20年間、無休、無給、監禁、および身体的拘束。休憩時間はゼロ。……完全な労基法違反だ」
バンズは背後のベクターに目配せした。 ベクターが頷き、ニヤリと笑う。それは転生前の知識が疼く、獲物を見つけた猛獣の笑みだった。
「ええ。これほど高出力かつ希少なエネルギー源を、使い潰す運用など経営戦略上の愚策。……今すぐ『再契約』が必要です」 「ああ。未払い残業代を請求すれば、世界が買えるぞ?」
魔王は呆気にとられていた。 殺しに来たのでもなく、封印しに来たのでもない。 この人間たちは、電卓と六法全書を武器に、魔王の権利を主張し始めたのだ。
『……再契約、だと?』
魔王の乾いた唇が動く。
『人間ごときが……我と対等に話すつもりか?』
地を這うような覇気。 だが、バンズは不敵に笑った。 目の前の怪物が、ただの「虐げられた労働者」に見えた瞬間、恐怖など消え失せていた。
「対等以上さ。……俺たちは『監査官』と『コンサルタント』だ」
バンズは魔王を指差した。
「経営者(世界)の首根っこを掴んででも、現場の待遇を改善してやる。……だから、死にたくなきゃ俺たちの提案に乗れ!」
英雄の剣ではない。 最強の契約書を武器に、最後の戦いが始まる。




