深層の工場見学と、英雄の罪
都市ヘリックスの地下深くに広がる大迷宮『虚無の座』。 その最深域、第90階層。 管理者用転移ゲートを抜けたバンズ・アイアンサイドを出迎えたのは、耳をつんざくような警報音だった。
ウーッ! ウーッ! ウーッ!
「……おいおい。ここはダンジョンか? それとも火事場の工場か?」
バンズは顔をしかめ、懐から『歯車グミ(コーラ味)』を取り出した。 黒くテカテカしたそのグミは、噛むとジャリジャリとした砂糖の食感がし、後味に微かな鉄の味がする。この無機質な空間にはおあつらえ向きのジャンクフードだ。
目の前に広がる光景は、地上の冒険者が見れば発狂する類のものだった。 岩肌の洞窟ではない。 視界を埋め尽くすのは、白い樹脂で覆われた壁と、床を走る巨大な『魔導ベルトコンベア』。
そこを流れていくのは、鉱石でも宝箱でもない。 ――魔物だ。
壁に埋め込まれた培養カプセルから、粘液まみれのゴブリンやオークがボトボトとコンベアの上に排出されている。 だが、今のラインは明らかに異常だった。 生産速度が早すぎるのだ。未完成の肉塊や、手足の足りない魔物が次々と押し出され、コンベアから溢れて床でのたうち回っている。
「これがダンジョンの正体か」
バンズはグミを噛み砕き、冷徹に分析した。
「自然発生なんてファンタジーじゃない。ここは魔物を自動生産し、地上へ出荷する『養殖プラント』だ。……今は制御不能を起こして、不良品を垂れ流してる状態だがな」
隣を歩くギルド長、ゼノ・ブレイバーは無言だった。 いつもの輝くような笑顔はない。その顔は蒼白で、まるで処刑台に向かう囚人のようだ。
「……行くぞ、バンズ君。この奥だ」 「ああ」
二人は暴走する生産ラインを横目に、最深部への通路を進んだ。 やがて、第99階層。 巨大な鋼鉄の扉の前で、ゼノが足を止めた。
彼は震える手で、腰の剣を抜いた。 刃の潰れた、安物のレプリカ剣。
「バンズ君。君はずっと疑問に思っていただろう。なぜ英雄である私が、こんなナマクラを差しているのかと」 「ええ。……本物は『折った』と聞いていましたが」 「嘘だ」
ゼノは首を横に振った。
「折ってなどいない。……手放したのだ」
20年前。 世界は魔素枯渇による氷河期寸前だった。 魔王を殺せば、魔素の供給源が消え、人類は滅ぶ。 だからゼノは、魔王と『不平等条約』を結んだ。
「殺せば世界が死ぬ。……だから私は、彼を生かしたまま、その心臓に『本物の聖剣』を突き立てた」
ゼノの声が絞り出されるように響く。
「聖剣を『楔』として、彼の生命力を強制的に吸い上げ、都市の動力に変換するシステムを作ったのだ。……私は彼を『生体電池』にしたのだよ」
英雄の告白。 それは、この輝かしい都市が、一人の犠牲者の悲鳴の上に成り立っているという真実だった。
「私は英雄ではない……。ただの冷酷な現場監督だ」
ゼノが膝をつく。 その時。
「――なるほど。計算が合いました」
冷ややかな声が響いた。 空間が歪み、幾何学模様の光と共に一人の男が現れる。 銀縁眼鏡に、皺一つないスーツ。 経営戦略顧問、ベクター・アインスだ。
「ベ、ベクター君!? なぜここに!?」 「貴方のその『レガシーシステム』の監査に来たんですよ」
ベクターは眼鏡の位置を直し、手元の魔導スレート(タブレット)を操作した。 空中に、複雑なエネルギーフローのグラフが展開される。
「先日のバブル崩壊、そして今回のダンジョン暴走。……全ての収支が合いませんでした。どこかに『帳簿外の巨大なエネルギー源』がなければ説明がつかない」
ベクターは、鋼鉄の扉を冷ややかに見上げた。 その瞳には、異世界人にはない、現代人特有の知識の光が宿っていた。
「24時間365日、20年間無休で稼働。メンテナンスなし。給与なし。福利厚生なし。……その条件下で、世界を維持するほどのエネルギーを吐き出し続ける機関」
ベクターは、軽蔑するように鼻を鳴らした。
「魔法だ奇跡だと言いますが、要するにこういうことでしょう?」
彼はバンズとゼノの方を向き、言い放った。
「この永久機関の正体は――死ぬまで働かされる**『社畜』**でしたか」
その言葉は、鋭利な刃物のようにその場の空気を切り裂いた。 社畜。 この世界には存在しないはずの、しかしベクター(転生者)にとっては親しみ深く、そして最も忌み嫌う言葉。
「……違いない」
バンズは口の中のグミを飲み込んだ。 甘ったるいコーラの味が消え、鉄錆の味だけが残る。
「ブラック企業の監査だ。……行くぞ、社長。未払い残業代の精算の時間だ」
バンズが扉に手をかける。 重厚な金属音が響き、世界の「裏帳簿」が開かれた。




