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聖なる更生都市の監査記録 ~英雄の嘘を暴くのは、剣ではなくレシートでした~  作者: 冷やし中華はじめました
過去と聖域

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19/25

神のパイプオルガンと、排気ダクトの黒い煤

都市ヘリックスのシンボル、聖教会大聖堂。  その地下深くに、一般信徒はもちろん、下級司祭すら立ち入りを禁じられた『絶対聖域』がある。


 伝説によれば、そこには神の息吹が満ち、清らかな聖水が湧き出る泉があるという。  だが、通気ダクトを破壊して侵入したバンズ・アイアンサイドの目に映ったのは、神聖さとは程遠い光景だった。


 ちなみに、この場所を守っていた最強硬度の魔法結界は、もう存在しない。  同行したゼノが「おや、自動ドアか。反応が遅いな」と言いながら素通りし、物理的に粉砕してしまったからだ。


「……臭うな」


 バンズは鼻を覆った。  漂っているのは香油の香りではない。硫黄と、焦げた油と、腐った卵を混ぜたような強烈な悪臭だ。  そして、目の前に広がるのは泉ではない。  太い金属パイプが血管のように張り巡らされ、巨大なボイラーが唸りを上げる、無骨な「化学プラント」だった。


「な、なんだこれは……? ここが聖域なのか?」


 隣に降り立ったギルド長のゼノ・ブレイバーが、目を白黒させている。


「ええ。ある意味では、この都市の心臓部(聖域)でしょうね」


 バンズは懐から『炭焼きスモーク・ジャーキー』を取り出し、齧った。煙臭い肉の味が、工場の煤煙と混ざり合う。


「構造が見えましたよ。……この施設は、ダンジョンの大穴から立ち昇る『瘴気(魔素)』を、あの巨大なファンで吸い上げている」


 バンズが指差した先には、直径十メートルはある巨大な送風機があった。  轟音と共に吸い上げられた瘴気は、幾重ものフィルターを通って濾過され、純粋な魔力光エネルギーへと精製されている。


「なるほど。教会はただ祈っているわけじゃなかった。都市全体のエネルギー供給を独占する、巨大な発電所だったわけだ」 「むぅ……? つまり、私たちの生活を支えてくれていたということか?」 「ええ。そこまでは立派な事業です。……問題は『ゴミ処理』だ」


 バンズは足元の配管をコンコンと叩いた。  ドロリとした黒い液体が、配管の継ぎ目から滲み出している。


「瘴気を濾過すれば、当然『不純物』が出る。高濃度の毒素を含んだ魔素汚泥ヘドロだ。……本来なら、金をかけて無害化処理しなきゃならない」


 バンズは配管の延びる先を目で追った。  そのパイプは、あろうことか『下水処理ライン』へと直結されていた。


「だが、彼らはそれをサボった。コスト削減のために、毒をそのまま下層区スラムへ垂れ流したんだ。……それが今回の『黒斑病』の原因ですよ」


 ゼノの表情が凍りついた。  信じていた正義。神の家。それが、貧しい人々をゴミ捨て場にしていた事実。


「……許さん」


 ゼノが静かに呟いた。その手は、怒りで震えている。


「神の名を借りて、弱きを虐げるとは……! 断じて許さんぞ!」 「同感です。……さて、証拠写真は撮りました。一度戻って告発の準備を……」


 バンズが撤収しようとした時、ゼノがふらりと歩き出した。  彼の視線が、プラントの中央にある制御室に釘付けになっている。  そこには、無数の圧力計と、蒸気を調整するための大小様々なレバー、そして緊急停止用のボタンが並んでいた。


「おお……! 見つけたぞ、バンズ君!」 「はい?」 「あれこそ、伝説の神器**『神のパイプオルガン』**に違いない!」


 ゼノが目を輝かせて叫んだ。  バンズは一瞬思考停止し、制御盤を二度見した。  確かに、縦に並んだパイプと、階段状のレバー群は、遠目に見ればパイプオルガンに見えなくもない。……いや、無理がある。


「いや、ギルド長。あれはボイラーの圧力調整弁で……」 「心が震える! 穢れたこの場所を浄化するには、聖なる旋律が必要だということか!」


 ゼノは聞く耳を持たない。  彼はマントを翻し、制御室の前に立った。  そして、ピアニストのように指を鳴らし、厳かに構えた。


「聴いてくれ。私の魂の演奏レクイエムを!」 「待てバカ! それ全部『排出バルブ』だぞ!?」


 バンズの制止は遅かった。  ゼノの指が、目にも止まらぬ速さでレバーを弾いた。


「クレッシェンド(だんだん強く)!」


 ガシャンッ! プシューッ! キュイィィン!


 蒸気が噴き出し、警告音がリズムを刻む。  本来なら緻密な計算が必要な弁の開閉を、ゼノは「ノリとフィーリング」だけで操作していく。


「圧力計を見てくれ! ゲージがレッドゾーンだ!」


 バンズの悲鳴など聞こえていない。ゼノは恍惚とした表情で叫んだ。


「フォルテシモ(強く)!」


 ゼノが赤いレバー(全開放)を全力で押し込んだ。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


 地鳴りが響く。  地下水路へ向かっていた汚泥の流れが遮断され、行き場を失った圧力が逆流を始める。


「いいぞ! パイプが喜んで歌っている!」 「悲鳴だ! 配管が破裂するぞ!」


 バンズが頭を抱えた瞬間、頭上の配管から黒い奔流が噴き出した。  だが、それはスラムへは向かわなかった。  圧力の逃げ道を探した汚泥は、最も抵抗の少ない場所――つまり、この真上に位置する『上層区』の排水口へと一気に駆け上がったのだ。


 ***


 その頃。地上、上層区の中央広場。  貴族たちが優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。  広場の中央にある白大理石の噴水からは、清らかな水が湧き出ている――はずだった。


 ボコッ。


 不吉な音がして、水が止まる。  次の瞬間。


 ドバァァァァァッ!!


 噴水から、黒いヘドロが間欠泉のように噴き上がった。  悪臭を放つ黒い雨が、着飾った貴族たちや、純白のテーブルクロスに降り注ぐ。


「きゃあああ!? な、何これ!?」 「臭い! 服が! 私のドレスが!」


 パニックになる広場。  さらに、教会の壁面の排水口からも、道路の側溝からも、黒い汚泥が逆流して溢れ出す。  美しい白亜の街は、瞬く間にドブ色に染まった。


 騒ぎを聞きつけた枢機卿グレゴリオが、バルコニーに飛び出してきた。


「な、なんだこれは!? スラムに捨てるはずの廃棄物が、なぜここに!?」


 その時、地下から「ジャジャジャジャーン!」という、どこか聞き覚えのある交響曲のリズムに合わせて、地面が振動した。


 ***


 地下プラント。  ゼノは、最後の「キメ」として、中央にある巨大な緊急停止ボタン(どう見てもフィナーレの鍵盤)を拳で叩き込んだ。


 ジャンッ!!


 全ての機械が停止し、静寂が訪れた。


「……ふぅ。素晴らしい演奏だった」


 額の汗を拭い、満足げに振り返るゼノ。  バンズは、煤だらけになった顔で、呆然と天井を見上げていた。


「……アンタ、最高だよ」


 バンズは乾いた笑いを漏らした。


「スラムに流れるはずだった毒を、全部『差出人』の元へ送り返しやがった」


 上からは、貴族たちの悲鳴と怒号が微かに聞こえてくる。  それは、これまでスラムの人々が上げていた悲鳴そのものだ。


「さあ、行きましょうマエストロ(巨匠)。アンコールは地上で。……枢機卿への『請求書』という名の楽譜を持ってね」


 バンズは懐から手回し計算機を取り出した。  その瞳は、汚泥よりも黒く、冷徹に光っていた。

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