奇跡の聖水と、産業廃棄物の地下水路
都市ヘリックスの下層区、通称「スラム街」。 ダンジョンの排気口から漏れ出る瘴気と、上層区から垂れ流される生活排水が混ざり合うこの場所で、今、奇妙な病が流行していた。
肌に黒い斑点が浮かび、高熱にうなされる『黒斑病』。 医師にも原因が特定できないその奇病は、瞬く間に貧民街へと広がっていた。
だが、絶望だけではない。救いもあった。 都市の頂点に座す『聖教会』が、特効薬となる「奇跡の聖水」の販売を開始したのだ。
「おお……! 見よ、バンズ君! 教会の慈悲深さを!」
ギルド長室で、ゼノ・ブレイバーが感涙にむせびながら新聞を広げていた。 一面には、枢機卿グレゴリオがスラムの子供に小瓶を手渡す「美しい写真」が掲載されている。
「原因不明の病に苦しむ人々のため、教会秘蔵の聖水を放出するとは! 一本につき金貨十枚……いや、命には代えられん! バンズ君、ギルドの備蓄金を切り崩して、スラムの全員分を購入しよう!」
ゼノが拳を握りしめて熱弁する。 その対面で、バンズ・アイアンサイドは冷ややかに新聞記事を眺めながら、黒い液体を啜っていた。 『暗黒物質・スムージー』。 焦げた野菜と高カフェインの薬草をミキサーにかけ、ドロドロになるまで煮詰めた、味覚への冒涜とも言える健康(?)飲料だ。
「……ギルド長。美談に酔うのは勝手ですが、数字を見てください」
バンズは口の端についた黒い液体を拭い、一枚の分析シートを提示した。
「その聖水、成分分析にかけました。……中身はただの『下級解毒ポーション』に、香料と発光剤を混ぜただけです。原価は銀貨一枚もしない」 「なっ、なんだと!?」 「それを『奇跡』というラベルを貼って、原価の百倍で売りつけている。……慈悲深いどころか、とんだ霊感商法ですよ」
ゼノが絶句する。だが、すぐに首を横に振った。
「い、いや、しかし! 実際に効果はあるのだろう? スラムの人々は救われている!」 「ええ、一時的にはね。解毒ポーションで症状は抑えられますから」
バンズはスムージーをもう一口飲み込み、顔をしかめた。不味い。だが、この不味さが頭を冴えさせる。
「問題は『原因』です。……なぜ、スラムだけで病が流行るのか?」
バンズは壁の都市地図を指差した。 上層区(教会エリア)と、その真下に広がる下層区。そして、地下を流れる水路網。
「ここ数ヶ月、下層区の水質データに異常が出ています。検出されたのは、高濃度の『魔素汚泥』。……自然界には存在しない、人工的な化学廃棄物です」 「廃棄物? 誰がそんなものを?」 「水は上から下へ流れる。……汚染源は、スラムの『真上』にある施設だ」
バンズの指が、地図上の最も高い場所――『聖教会大聖堂』を指し示した。
「教会が、何かを隠している。……地下で『何か』を精製し、その残りカスをスラムの地下水路へ不法投棄している疑いがある」
ゼノは目を見開いた。
「バカな! 聖なる教会が、そんな汚れた真似をするはずがない!」 「どうでしょうね。……彼らは病気の原因を撒き散らし、苦しむ人々にマッチポンプで薬を売って儲けているのかもしれない」
バンズは空になったスムージーの容器を握りつぶした。
「確かめに行きましょう。……教会の地下、一般人立ち入り禁止の『聖域』へ」 「し、しかし、聖域への立ち入りは枢機卿の許可が必要だぞ?」
ゼノが困惑する。正面から監査を申し入れても、門前払いされるのがオチだ。 だが、バンズには策があった。 彼はニヤリと笑い、ゼノの耳元で囁いた。
「ギルド長。ご存じですか? 教会の地下深くに、伝説の『祈りの泉』があるという噂を」 「なっ……!?」 「そこで祈れば、聖水の効果が倍増し、世界中の病が癒やされるとか……。いやあ、もしそんな場所で、伝説の勇者が祈りを捧げたら、どれほどの奇跡が起きるんでしょうねえ?」
悪魔の囁き。 ゼノの瞳が、少年のように輝き出した。
「お、おおっ! なんと素晴らしい! 私が祈ることで、スラムの人々を救えるというのか!」 「ええ、きっと救えますよ。(主に証拠隠滅を防ぐという意味で)」
ゼノがマントを翻して立ち上がった。
「行くぞバンズ君! 直ちに『アポなし聖地巡礼』だ! 神への祈りに、枢機卿の許可など不要!」 「お供します。……念のため、破壊工作用の工具(監査道具)を持って」
暴走機関車が動き出した。 バンズは新しい胃薬の封を切りながら、その後ろに続いた。 ターゲットは聖域。 この都市で最も白く、そしておそらく最も黒い場所へ。




