転生コンサルタントは、異世界のどんぶり勘定を許さない
王都中央評議会、特別顧問執務室。 ベクターは、優雅な手つきで紅茶のカップを傾けながら、脳内にステータス画面を展開していた。
(……やれやれ。この世界の「生産性」は低すぎる)
彼の前世は、現代日本の大手監査法人に勤める会計士だった。 来る日も来る日も決算書の山と格闘し、不正会計の穴を埋め、最後はデスマーチの果てにデスクで冷たくなった。過労死(心不全)。享年二十八。あまりにも非効率な人生の幕切れだった。
だからこそ、この剣と魔法の世界に貧乏男爵家の三男として転生した時、彼は神に誓ったのだ。 **「効率化だ。徹底的に無駄を省き、リスクを管理し、定時で帰れるホワイトな世界を作る」**と。
だが、現実は甘くなかった。 この世界は「魔法」という不確定要素のせいで、経済観念が中世レベルで止まっている。 「勇者だから予算は無限!」「魔法で出した金貨だから税金免除!」 そんなふざけた理屈がまかり通る社会に、ベクターの胃壁は前世以上に荒れていた。
「……失礼します、ベクター顧問」
部下の魔導通信士が入室してきた。
「西方の大手商会『ゴールド・シップ』より、横領疑惑の内部調査依頼です。ですが……帳簿には魔法的な改竄が施されており、通常の監査官では手が出せません」
ベクターは眼鏡の位置を直した。 魔法による隠蔽。この世界の人間はそれをお手上げだと言う。 だが、元・現代日本の会計士には通用しない。
「問題ありません。魔法で数字は隠せても、『整合性』までは隠せませんから」
ベクターは立ち上がった。 彼の目には、世界が「貸借対照表」に見えていた。
***
『ゴールド・シップ』商会の応接室。 脂ぎった会長が、ふんぞり返って葉巻を吸っていた。
「わっはっは! 王都のエリート様がわざわざご苦労なこった。だが無駄だぞ? ウチの帳簿は『契約の悪魔』を使った特別製だ。改竄の痕跡など、神の目でも見抜けんよ」
会長の背後には、禍々しい闇魔法の気配が漂う金庫が鎮座している。 ベクターは無表情で、持参した自分のノート(ただの紙)を開いた。
「悪魔ですか。非科学的ですが……まあ、計算には関係ありません」
ベクターは、固有スキル**『脳内表計算』**を発動させた。 視界にグリッド線が走り、商会の物資の流れが数値化され、セルに収まっていく。
「先月の『魔石』の仕入れ総額、金貨五千枚。対して、売上報告は金貨三千枚。……差額の二千枚は『在庫ロス』として処理されていますね?」 「ああ、そうだ。倉庫番のミスでな。魔法で消滅しちまったんだよ。不幸な事故だ」 「消滅? ……おかしいですね」
ベクターはサラサラとペンを走らせる。 彼が書いているのは、この世界には存在しない概念――**「複式簿記」**の仕訳だ。
「物質保存の法則……いえ、会計の原則に従えば、資産は消えません。『形を変える』だけです。魔石(資産)が消えたなら、その対価として『何か』が増えていなければ、貸借が一致しない」
ベクターはペン先で、会長の腕にある真新しい指輪を指した。
「その指輪。『深淵の黒ダイヤ』ですね? 市場価格は、奇しくも金貨二千枚前後」 「なっ……!?」 「そして、倉庫番の給与口座に、先月だけ『特別手当』が入金されている。……貴方は横領した金で愛人への貢ぎ物を買い、口止め料を払った。単純な『資産の付け替え』です」
会長が顔を赤くして立ち上がった。
「バ、バカな! 帳簿には何も残っていないはずだ! 悪魔が証拠を消したんだぞ!?」 「ええ、帳簿の数字は消えていました。ですが、『お金の流れ(キャッシュフロー)』の不自然な空白までは消せていない」
ベクターは冷徹に告げた。
「貴方は『売上原価』と『販管費』の比率を操作し忘れた。魔法で数字を消せば消すほど、全体のバランスが崩れ、そこに『不自然な空白(void)』が生まれる。……私には、その空白が『ここを掘れ』と叫んでいるように見えますよ」
現代会計学の基本、「異常点監査」。 魔法使いは魔法の痕跡を消すことには長けているが、数字の整合性には無頓着だ。ベクターにとって、それは新入社員の交通費精算の嘘を見抜くより容易いことだった。
「ぐ、ぐぬぬ……! 魔法だ! 誰か、この生意気な眼鏡を消せ!」
会長が叫び、私兵の荒くれ者たちが剣を抜いてなだれ込んでくる。 暴力による解決。前世のベクターなら、ここで殺されていただろう。 だが、今の彼は違う。
「……非効率ですね。暴力で解決した場合の『賠償コスト』を計算できないのですか?」
ベクターがパチンと指を鳴らすと、窓ガラスが割れ、王都憲兵隊が突入してきた。
「なっ、憲兵!? いつの間に!?」 「ここに来る前です。貴方の商会の『脱税疑惑』を、現代的……いえ、高度な統計学で証明し、捜査令状(礼状)を取得済みです」
ベクターは、呆然とする会長を見下ろして眼鏡を直した。
「悪魔契約も、魔法隠蔽も、所詮は『粉飾決算』の一種に過ぎない。……私の前で、数字をごまかせると思わないことです」
***
商会からの帰り道。 ベクターは馬車の中で、紅茶を飲み直していた。 一件落着。これで王都の税収は守られ、自身の人事評価も上がり、理想のホワイト環境へ一歩近づいた。
(……だが)
彼の脳裏に、ある男の顔が浮かんだ。 辺境の更生都市ヘリックスにいる、ジャンクフード中毒の監査官、バンズ・アイアンサイド。
(あの男だけは……読めない)
バンズは、ベクターのような「高度な計算式」を使わない。 代わりに、泥だらけのレシートや、食べかけのパンの匂いといった「ノイズ」から真実に辿り着く。 前世の知識だけで武装したベクターにとって、あの「人間臭さ(アナログ)」こそが、計算できない最大のバグだった。
「……更生都市ヘリックス。あそこには、私の知らない『計算式』があるのかもしれない」
ベクターは、手元の報告書――バンズが提出した、ソースの染みがついた決算書――を眺めた。 不潔だ。非効率だ。 だが、その数字は奇妙なほど温かく、整っていた。
「……再検査が必要です。徹底的にね」
転生会計士の戦いは終わらない。 いつかあの都市を、完全無欠のホワイト職場に変えるその日まで。




