冷徹なるリストラ宣告と、具だくさんの豚汁定食
ギルド本部、大会議室。 スクリーンに映し出された組織図には、無慈悲な赤い×印が大量につけられていた。
「これより、『バックオフィス最適化計画』を実行します」
経営戦略顧問ベクターは、氷のような声で宣言した。
「現在のギルドは、利益を生まない非生産部門にコストをかけすぎています。よって、本日付けで以下の部門を廃止、および外部委託へ切り替えます」
ベクターが指示棒で叩いたのは、『食堂』『清掃』『用務』の項目だった。
「な、なんだってーッ!?」
ギルド長のゼノ・ブレイバーが、悲鳴を上げて立ち上がった。
「食堂を廃止だと!? では、マーサの特製ランチはどうなるのだ! あのハンバーグのオマケで付いてくる、タコさんウインナーが私の活力源なのに!」 「栄養摂取なら、以前配布した『完全機能食・タイプZ』で十分です。食堂の維持費は毎月赤字。……無駄です」
ベクターは冷酷に切り捨てた。
「清掃や用務も同様です。今後は安価な清掃用オートマタと、外部の派遣業者に委託します。……バンズ課長代理、貴方も異論はありませんね? これは『合理的』な判断ですが」
部屋の隅で、バンズ・アイアンサイドは静かに書類を眺めていた。 その目は、いつもの気だるげなものではなく、底冷えするほど鋭かった。
「……ああ。数字の上ではな」
バンズは短く答えた。 その日、ギルドの名物おばちゃんであるマーサをはじめ、裏方スタッフ全員に解雇通知が渡された。
***
それから三日後。 ギルド『パスファインダー』は、静かで清潔な空間に生まれ変わっていた。……表面上は。
ロビーでは、円盤型の清掃オートマタが、決まったルートを規則正しく巡回している。 だが、その死角――観葉植物の裏や、ベンチの下には、魔物の血や泥がこびりつき、異臭を放ち始めていた。 オートマタは「マニュアルにない汚れ」を認識できないからだ。
「おい! 貸出剣の手入れがなってねえぞ! 刃こぼれしたままだ!」 「受付の反応がおせえよ! 前の事務員なら、顔見ただけで書類用意してくれたのに!」
カウンターでは冒険者たちの怒号が飛び交っていた。 用務員がいなくなったことで装備のメンテナンスは滞り、派遣された外部スタッフはマニュアル通りの対応しかできず、現場は大混乱していた。 そして何より――。
「……腹減った」
ロビーの端で、若い冒険者が力なく座り込んでいた。 手には『完全機能食』のパウチ。栄養はある。だが、温かさがない。
「あったかい飯が食いてえなあ……」
ギルド全体を覆う、陰鬱な空気。士気は最悪だった。 その時。
ボコッ。ボココッ!
不穏な音が響いたのは、ロビーの床下からだった。 次の瞬間、床の『鉄格子』が弾け飛び、黒い汚水が間欠泉のように噴き出した。
「うわあああっ!?」 「くっせえ! なんだこれ!?」
地下下水管の詰まりによる逆流事故。 ヘドロと汚物がロビーに溢れ出す。清掃オートマタたちは「液体検知」のエラーを起こし、その場で煙を上げて停止した。
「な、なんだこの数値は!? 汚染レベルが測定不能だと!? 業者は! なぜマニュアル通りに動かない!」
騒ぎを聞きつけたベクターが駆けつけ、パニック状態で叫ぶ。 だが、派遣された外部スタッフたちは「契約外の業務です」と逃げ出してしまった。
「ふざけるな! 誰か止めろ! 誰か……!」
ベクターの叫びも虚しく、汚水は広がり続ける。 異臭、空腹、そして経営陣の無策。 冒険者たちの不満が、限界を超えた。
「いい加減にしろよ! 飯も食えねえ、臭え、おまけに汚水まみれか!」 「こんなギルドやってられるか! 俺たちは出ていくぞ!」
暴動寸前。ギルド崩壊の危機。 その時、重厚な扉が開く音が響いた。
「……どいつもこいつも。腹が減って力が出ないか」
現れたのはバンズだった。 彼は悠然と歩き、通用口の鍵を開けた。 そこには――割烹着を着て、腕まくりをした「最強の部隊」が待機していた。
「ったく、しょうがないねえ! あたしたちがいないと、すぐにこれかい!」
仁王立ちしていたのは、元食堂チーフのマーサだ。 彼女の後ろには、モップやレンチを持った清掃員や用務員たちが並んでいる。
「あんたたち、やるよ! 掃除班は汚水の堰き止め! 設備班、ボブ! あんたは地下の配管を見てきな! 詰まりの原因はいつものスライムの死骸だろ!」 「へいよ!」
マーサの一喝で、彼らは弾かれたように動き出した。 マニュアルなどない。あるのは長年の経験と勘だけだ。 熟練のスタッフたちは、オートマタには不可能な連携で汚水を処理し、わずか十分で配管を修理してのけた。
「す、すごい……」
ベクターが呆然と呟く。 そして、ロビーが綺麗になった直後、マーサたちが運び込んできたのは――巨大な寸胴鍋だった。
「ほら、働いた後は飯だよ! 特製の『具だくさん豚汁』だ! 好きなだけ食いな!」
蓋を開けた瞬間、湯気と共に、味噌と出汁の暴力的な香りが広がった。 根菜、豚肉、油揚げ。様々な具材が混ざり合い、黄金色のスープの中で踊っている。
「うおおおお! これだぁぁぁ!」
冒険者たちが歓声を上げて群がる。 バンズがよそった最初の一杯を、ゼノが涙を流して飲み干した。
「うまい……! 温かい……! この不揃いな具材のハーモニーこそが、ギルドの味なのだ!」
ロビーに活気が戻った。 その光景を前に、ベクターだけが取り残されていた。
「なぜだ……。計算上は、オートマタの方が効率的だったはず……。人件費も削減できて、ミスもないはずなのに……」
「アンタは数字しか見てない。数字の隙間にある『人間』を見てないんだよ」
バンズが豚汁の椀を持って、ベクターの前に立った。
「組織ってのはな、機械の歯車じゃねえ。こういう『無駄』が噛み合って回ってるんだ。……それを削ぎ落としたら、ただの脆い骨組みだ」 「し、しかし私は改革を……」 「改革? 破壊の間違いだろ」
バンズの声が一段低くなった。 彼は指を折りながら、ベクターに歩み寄る。
「『効率化』と言って新人を殺しかけた。『データ過信』で利益をドブに捨てかけた。『確認不足』でトップを解任しかけた。『詐欺師の数字』に騙されて、金貨一万枚を溶かしかけた。……そして今回は、現場を機能不全にして崩壊寸前に追い込んだ」
バンズはベクターの目の前で足を止めた。
「ここに来てから、アンタが役に立ったことは一度もない。むしろ、アンタの尻拭いをするための残業代が、このギルドで一番の無駄だ」
バンズは豚汁を一気に飲み干し、空になった椀を突きつけた。
「認めろ、ベクター。このギルドで一番『非効率』な存在は――アンタだ」
とどめの一撃。 ベクターは顔面蒼白になり、唇を震わせた。 だが、彼は崩れ落ちなかった。 震える指先で、ズレてもいない眼鏡のブリッジを押し上げる。その指の関節が、白くなるほど強く握りしめられているのを、バンズは見逃さなかった。
「……計算式は、間違っていなかった」
ベクターが絞り出すように呟く。それは自分自身への言い訳のようでもあり、崩れそうなプライドを必死に繋ぎ止める楔のようでもあった。
「ただ……変数設定に不備があったようです。『感情』が、これほど出力に干渉するとは……想定外でした」
彼は懐からハンカチを取り出し、額に滲んだ脂汗を神経質に拭った。 その目は、まだ死んでいない。悔しさに濡れながらも、次なる計算を始めている。
「……今回のプロジェクトは凍結します。ですが、覚えおきなさい。私は必ず、この『非合理』を解明してみせる」
ベクターは踵を返した。 逃げるように走るのではない。靴音がカツカツと鳴るほど、強く、速い足取りで。 その背中は、敗北者のそれではなく、難解な数式を前にした研究者のように、険しく強張っていた。
「ガハハ! 見たまえバンズ君! マーサの豚汁の前には、どんな論理も無力だ!」
ゼノがおかわりを要求しながら笑う。 バンズは、マーサから渡された二杯目の豚汁――ウインナーが入った特別仕様――を受け取った。
「……ええ。五臓六腑に染みますね」
一口すする。 味噌の塩気と、豚肉の脂の甘み。 それは、効率化されたゼリーでは絶対に再現できない、泥臭くも温かい「生きた組織」の味がした。




