72 ムガルと魔法陣と私
首の後ろが、ズキズキと疼く。油断したつもりはなかったが、リズを助けようとしたため、自分自身の防御が疎かになってしまったらしい。
「おや、お目覚めですか?」
「ム、ムガ……ル」
「まだ、身体も痺れて儘ならないでしょうに」
腕や足を動かすとじゃらりと鎖が擦れる音が聞こえる。私は、鎖で手足を縛られているらしい。まだまだ重たく感じる頭を振って、身体を起き上がらせ周りをゆっくり見回した。丸太を組み合わせたような壁は、山奥のログハウスみたいな作りだ。床は石畳みで冷たく底冷えがする。壁に明かり取りの窓があるが、人が通れるような大きさではない。
「よくもまあ、回らない頭で、悪あがきですか? 逃げられると思ってるんですか?」
「う……るさ…い」
大きく息を吐いて、自分が転がされてる床を見ると、うっすらと魔法陣が浮かび上がっている。爪先を動かし、陣を擦ってみても、薄くなったりはしなかった。
「転移の…陣」
「ご明察 魔法陣を見ただけで理解してしまいますか さすが、私が見込んだだけはありますね」
椅子に座ったまま、肘をついて私を見下ろすその表情は、とても嬉しそうに笑みを浮かべている。ヘルミナが、ムガルの後ろから彼自身に腕を絡ませて、真っ赤な紅を引いた唇をムガルの耳元に寄せる。
「ムガルが、どおしても手に入れたいって言うから、協力しましたけど、そんな女のどこが良いのかしら?」
「アルデリアは、私の最高傑作ですよ 貴女みたいなアバズレと一緒にしないでください」
「最高傑作? そんな真っ平らな身体で? 笑わせないでくださいですわ 私が、いつもムガルを喜ばせてあげてますのに」
ヘルミナが、私を蔑むように睨みつけ、ムガルに甘えた声でしなだれる。
「貴女には、コーザを下げ渡したでしょうに 私に意見するのであれば、もう二度としてあげませんよ」
「それは、イヤ お父様に……って言っても無駄ですわね わかりました コーザで我慢してあげますわ」
「はい! 喜んで奉仕させていただきます」
コーザがヘルミナの元へ駆け寄り、膝をついて右手を差し伸べる。頬が赤らみ鼻息も荒い。ヘルミナが、その手に右手を差し出すと、恭しく手の甲に唇を寄せた。
「では、お先に失礼いたしますわ」
その言葉を合図としてコーザは立ち上がると、ヘルミナの腰を引き寄せて、部屋の奥の扉へと消えていった。
「打算的な女性は、扱いやすい 少しばかり甘ごとを囁いただけで、自ら身体を差し出してきましたよ」
ヘルミナも、この男にとって、単なる駒でしかないんだ。早く、こんな場所から逃げて、アリオスたちの待つマローに帰りたい。徐々に意識も覚醒してきたため、魔法陣を打ち消すべく魔力を練り上げた。
「ほほう やはり、アルデリアは、私の最高傑作ですね」
「な、何を ……あ!」
練り上げた魔力が、パンと音を立てて打ち消された。手首に嵌められた錠が、赤く光る。
「私は、貴女の実力を軽視してませんよ もう、逃がさないと伝えましたよね その錠は貴女の魔術を全て打ち消すのですよ」
私が足掻くさまが、楽しいのだろう。ムガルは、くすくすと笑いながら、説明をした。
「足元の魔法陣は、アクセゲートという古代魔法を私なりに構築した陣です アルデリアの魔力を糧に陣が成長するのです 陣が完成次第、私の魔力を流せば、転移が可能となります 素晴らしいと思いませんか?」
「どこ、どこに連れて……行くつもり」
「ゼブディアですよ 懐かしいでしょう」
嬉しそうに、自分の組み立てた魔術式が、いかに素晴らしいかをムガルは述べる。その様子から、私がアクセゲートを展開出来ることに気がついていないようだ。ムガルの中では、以前の私のままなのだろう。
どれくらいで、陣が完成するかなんてわからないけど、魔力をこれ以上流さないようにすれば良い。とにかく、今は少しでも時間を稼ぐ必要がある。ムガルに悟られないように、魔力の流れを止めていく。私に嵌められた錠は、術式の構築はできなくとも、魔力操作には影響がないことも解った。
「私を……マローに……返して」
「ふふっ おかしなことを言いますね 何度も何度も最後だと貴女に伝えていたでしょう?」
事あるごとに、最後の晩餐だとか、思い残すことはないかとか、妙なことばかり言っていたのは、最初から私を連れ去ることが目的だからだったらしい。仄めかすようなことを言って、私の反応を楽しんでいたのだろう。
「ああ、良いですね その私を睨みつける瞳 いつまで、希望に縋れるんでしょうかね」
「バカじゃないの ……返してくれないなら、……自分で帰るよ」
回らなかった頭も、少しずつはっきりしてきている。息が整わないけれども、呂律も回るようになってきた。そんな私を見て、ムガルは、サイドテーブルのワインをグラスに注ぎ、笑顔を見せる。赤いワインの入ったグラス越しに、歪む私の表情を見て楽しそうに語る。
「アルデリアが、出て行ったと聞かされた時、どれだけ打ちひしがれたことか やはり、ゴーツクンに任せるべきではなかったと 後悔の念に駆られました」
一人で乾杯するようにワイングラスを上に掲げる。そして、私を捕獲したことを祝うように一気にワインを飲み干した。唇の端から垂れる赤い雫を親指で拭うと、腰掛けていた椅子から立ち上がって、ゆっくりと私に向かって歩き出した。
「アルデリアらしき人物をマローで見かけたという情報が手に入り、居ても立っても居られず、私自らマローに向かうことにしたんですよ」
「来なくても 良かったのに」
「誰かに任せて、また失敗したら 嫌じゃないですか 品評会参加という大義名分もありましたので、ヘルミナを連れて来ましたけど、頭が悪すぎて、なかなか苦労しましたよ」
先程も見たでしょうとヘルミナを蔑んだ。私が知らなかっただけで、【白銀の翼】は、最初からムガルという男に寄生され、食い散らかされていたのだということを初めて知った。




