第3話:出立
「お二人とも、落ち着いてください」
彼女は二人の距離を空け、この場にいる他の冒険者たちの迷惑を避けるため、半ば引きずるように別室へと通した。別室はソファと机が置かれており、対面に座らされる。
受付嬢は二人の目を見た後、話はちゃんと聞く事を告げ、そして、少女にここは自由都市であるから、貴族の権威を振りかざしてはならない事をやんわりと伝えた
受付嬢はラントシュタイヒャ―に目配せした。
「私は、正直に物を申したまでだ。このお嬢さんが屈強な男を殺せるとは思えない事、そして、女の身で奴ばらに挑み、負けた場合を思って否定しただけだ」
「はぁ!? なんですって!?」
ヤナは大きな音を立ててソファから立ち上がった。怒りを示しているが、彼女は父や兄弟よりも冷静ではあった。
受付嬢とラントシュタイヒャ―の立場としては、ヤナという小娘が盗賊討伐へ加わる事に反対であった。もともと危険はつきものの仕事だが、男であれば受けないで済む苦痛を味わわされるかもしれない。それは強姦、そして人身売買。自由市民とて命の価値は高くない世界だ。ましてや、冒険者などに身を落とした人間は、たとえ貴族であったとしてもその命の価値は不明確になる。人の子として、特にギルドに務める者、ベテランの人殺しとしては命を無駄にさせたくはなかった。
受付嬢は淡々と懸念について語った。ヤナの表情には曇りはなかった。そんな物事はさも承知の事であるように。
「覚悟は、できております。もし捕まり、虜囚の辱めを受けるくらいならば、あたくしの尊厳が踏みにじられることがあるならば、自ら舌を噛み切って死ぬ覚悟だってできておりますわ……」
ラントシュタイヒャ―は彼女の顔をじっと見た後、尋ねた。多くの人々が忌避する敵、いや、人を殺すことについて。相手がどこの誰で、どんな姿でも、その頭を砕き、首を切り落とし、心の臓に刃を突き立てる事ができるか。
「当然です――……」ヤナは小さな声だが、二人を見上げながら答えた。
その言葉を聞いたところで受付嬢はヤナの受注を認め、二人に対して労働条件や保証について説明した。
この仕事の定員は5人までであったが、掲示期限が今日であったため、募集は打ち切りとなった。彼らはそろって三日以内にヴェリーキーシュタットを出てサレンの冒険者ギルドへ向かう事になる。 盗賊討伐の依頼は必ずしも一人で行うわけではない。各地のギルドに人数上限を設けた依頼書を発行する。募集人数に至らない場合は、受注者の総取りとなる。ラントシュタイヒャ―が盗賊討伐にこだわる理由としては、競合他者が少ないという事もあった。
この種の依頼に限って集合の日付はギルドによってまちまちだ。いついつまでに現地のギルドに集合と言う事を明記した場合、対象に気づかれる事もある。少数の烏合の衆が、ある程度団結した敵を倒すには奇襲できることが重要なのだ。受注者たちにどこぞの従士のような身なりを取らせ、頭数がそろったころに殺しの旅へと乗り出す。中には間に合わない者や逃げ出す者もいる。そいつらが金を得ない為に敵の耳を戦利品として切り取り、戦った冒険者からは証言を取る。
一人での殺しは楽であった。自分が正直者である故、競合も、虚偽の証言も存在しないからだった。
二人は白と黒に染め抜かれたタバードを与えられた。タバードとは袖のない、側面が開いた、一枚の布で作られた陣羽織のような物で、色や紋章によって所属を明らかにし、戦場での同士討ちを避けるという役目がある。また、この服飾品を見たからと言って誰しもが、その者が明確にどこの所属の何者かを判別できるわけでもない事から、冒険者ギルドによる盗賊退治の目印に使われる。ラントシュタイヒャ―は折りたたんでからそれを鞄にしまった。
ギルドの建物を出た所でヤナはラントシュタイヒャ―を呼び止めた。
「やはり、あなたは礼節というものをまるでご存じない方ですのね。ですが、同じ道を行く者同士、少しくらいお互いを知っておくのも悪くはありませんでしょう?
あたくしは、ドラニア王国の貴族、ヤナ・リュボーフィ・フォン・ヴァイスシルト・ツー・ヴィエロフラドスキーと申します。貴方様のお名前をお伺いしてもよろしくて?」――彼女の名前はヤナ。ヴァイスシルト家の女で、ヴィエロフラドスキーという領地を持っている事が名乗りからわかる。
彼はすぐに「ラントシュタイヒャ―だ」と答えた。
「浮浪者? もっといい名前は無かったのですの?」
「みんながそう呼ぶからだ。それか、殴殺とでも」
「ねえ、じゃあどうしてラントシュタイヒャ―ですの?」
「そう呼ばれているからだ」
ヤナは納得していない様子だった。しかし、追う事はなく、そこで別れた。
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ラントシュタイヒャ―と別の方向へ歩き出したヤナは腹が立ちすぎて立ちすぎて、あの浮浪者野郎の鼻を明かしてやりたいと思った。
貴族の末娘として生まれ、本来は家督を引き継ぐ立場には無かった少女としては、何につけても異様な闘争心を抱いていた。本来は勝負の舞台にも立てなかった自分は、父兄の死によって不戦勝で舞台に立ってしまった。領地にいる家臣たちはそんな自分に着いてきてくれるだろうか? いや、わからない。だからこそ、名声を得る必要がある。家族の仇を取って自分の勇気と武勇を示す必要があるのだ。ヤナはだからこそ、負けたくない、勝ちたい、上に立ちたい、そういう一心で生きていた。
自分の泊っている宿屋に行き、甲冑の入ったべらぼうに重たい革袋を、厩舎の愛馬に預け、自分は鎖帷子を服の下に着こみ、タバードを身に着け、その上からベルトを締め、剣吊りにロングソードを下げた。貴族である彼女には、甲冑を運ぶ従士だっている筈だが、彼女は一人だった。誰の手も借りない事が自分を認めさせる条件だと思い込んでいるからだった。
彼女の剣の柄や鍔には文字や彫刻が彫り込まれている。それは男児の武運を祈るような内容であり、明らかにヤナの為の祝詞ではなかった。それが彼女が身の丈に合わない長剣を佩いている理由だった。
食べ物や飲み物の入った袋も鞍に結び付け、旅の準備はあっという間に終わった。ヤナは最初の勝利を確信していた。三日以内にサレンに向かえと言われ、まさか即断即決で出立する奴が自分の他にいる事はないだろうと。
城門へ向かったところで彼女は白黒の陣羽織を付けた亡霊のような騎士の姿を目にした。それが〝浮浪者〟と言う名称の由来だと直感するとともに、敗北をごまかすため、急いで馬を駆り、彼に並走した。
「ラントシュタイヒャ―、な、なかなかやるじゃない」