2話:貴族の娘との邂逅
ラントシュタイヒャ―はドラニア西部最大の都市、ヴェリーキーシュタットへやってきた。専ら彼の根城であり、大陸有数の自由都市であるここには多くの冒険者と比較的多い仕事があり、そして、貴族や教会と言った権力でさえあまり力を持つ事はできない。暮らすには良い場所だ。
彼は街に入ろうと、城壁に近づく。城壁は見上げると、豆粒大の兵士がせかせかと歩いているのがかろうじて見えるくらいうずたかく、門の前にも無数の衛兵が屯していた。道行く人々はラントシュタイヒャ―の姿を怪訝そうに見つめ、足早に去っていく。衛兵たちでさえいい気分ではなさそうだ。
馬を降り、手綱を引いて門を抜けようとすると、衛兵が槍を突き付けて声をあげた。
「お前、どこの騎士だ? 全く鎧をガチャつかせやがって。ここは人民の為の自由都市、ヴェリーキーシュタットだ。搾取者は歓迎されん。それに、腐った臭いを漂わせているその袋は何だ?」
ラントシュタイヒャ―は衛兵の問に答えなかった。
「私は冒険者だ。ギルドの依頼を受けて盗賊を殺してきた。貴殿が代わりに届けてくれるというのであれば一向にかまわない。私は貴殿とこの偉大な街にご迷惑を与える前に退散する」
有無を言わさず、革袋を手ぶらの衛兵に投げ渡した。恐る恐る中身を見た彼はひっと声をあげて袋の口を縛り、投げ返してきた。
「と、通してやれ」
―◇―◇―◇―◇―◇―
ラントシュタイヒャ―はまず最寄りの宿に入った。顔なじみの主人は、彼がいかに悪臭をばらまいたり、鎧をガチャつかせても文句は言わなかった。カウンターに金がたんまりと入った革袋が置かれているからだった。
彼は自分の借りている部屋に入ろうとすると、声を掛けられる。
「冒険者さん、お手伝いせよと父が」
振り返ると少女がいた。青い目をして幾何学模様の刺繍がされたスカーフ、白い前掛けを付けた女の子。宿屋の主人の娘だった。……手伝いと言うのは鎧を脱ぐ事だった。騎士が身に着けるプレートアーマーと言うのは一人で着脱できないものがある。
こくりとラントシュタイヒャ―は頷き、背を向けた。兜を取り、その下の頭巾や鎖帷子の頭巾を脱ぐ。その間に少女はポールドロンの付け根の紐を解いていた。腕、小手、次々に装甲を剝いでいき、そして引き下がった。
がちゃん、ごとん、脱ぎ捨てた鎧の音、そして最後に鎖帷子がちゃらちゃらと音を立てて床に落ちた。ラントシュタイヒャ―は礼を言うと紋章付きのケープを大事そうに、丁寧に折りたたんだ。
「それでは、失礼しますね」彼女はお辞儀をすると部屋を出て行った。
ラントシュタイヒャ―は身支度を整えた。動き辛い綿入りのジャケットも脱ぎ、薄手の麻の服に袖を通し、ベルトをその上に巻き、剣吊りにロングソードを下げた。市中を歩くとき、なるべく目立たない格好をする事を好んでいた。ただし、剣は、この暴力だけは手放すのを恐れていた。ほとんどすべての街で、冒険者は貴族や衛兵、金持ちと同じように武器を公然と携帯する特権を持っていた。
ラントシュタイヒャ―は郊外の牧場へ行き、馬を売り払い、次にこれまた郊外の、ドワーフが経営している鍛冶屋で略奪品を売り払った。袋一杯の貨幣をポケットに仕舞い込み、次はギルドへ向かう。
街中の、綺麗に舗装された石畳の通りを踏みしめて歩く彼を人々は見ないふりをした。多くの人々は冒険者たちを良いとは思っていなかった。市民にとって、冒険者は墓堀や処刑人、屠殺人や革職人、屎尿清掃のような物に等しい、卑しいが、しかし必要な仕事の一つであった。だからこそ、腐敗臭を漂わせ、武器をガチャつかせて歩くラントシュタイヒャ―を、面と向かって非難する者は一人もいなかった。
やがて、坂の上、そしてさらに内側の城壁の向こう側の冒険者ギルドが見えてくる。この時代の城壁や城塞都市と言う物は、中心に行くほど古く、そして、やんごとなき方々のや金持ちの暮らす、安全で高価な場所となっている。そんな場所に冒険者ギルドは建っている。それは、かつて、いかにかの組織が必要であったかを物語っていた。
ギルドの建物に入ると少し閑散としていた。日中は皆依頼を受けて出払っているからだ。奥の方にはカウンターがあり、受付嬢があくびをしながら座っている。壁には依頼の書かれた掲示板が置かれていて、数枚の紙が貼りつけられ、その横には眼鏡を鼻に載せた、いかにも文字が読めそうな女性が、こちらも眠そうに座っている。……彼女は依頼読み上げ人だ。
もう一人、目につく者がいた。少し上等そうなシャツとズボンを身に着けた、明らかに男装をしている、この地方には珍しい黒髪の少女……子供がここにいる事は珍しくはない。親がいないから働かないといけない子供は郊外に沢山暮らしている。ただ、その身なりが珍しかった。彼女は腰のベルトに身の丈に合わない剣を下げ、一心に掲示板を見ていた。
ラントシュタイヒャ―はつかつかと歩いてカウンターに行き、革袋を置いた。受付嬢は、少しだけ顔を歪めた後、中身を確認し、切り取られた耳の数をぱっと見ると、それを奥へ持っていき、しばらくの後、金の音がする革袋を机の上に置いた。
「本日もお疲れさまでした。あんなに沢山の盗賊をおひとりで始末されるなんて、流石ですね。まるで、神のご加護を受けた勇者様のようです」
勇者とは神の加護を受けた一人の伝説の冒険者の事だった。かの者の存在こそ、冒険者ギルドを都市の一等地に置くに至った事、そして、それに連なる戦後の冒険者ギルドの独立性を貫かせるに至った功罪人であった。
かの者は魔法にも武勇にも優れ、たった一人で千の化け物の軍勢に挑み、その肉体は傷すら付かなかったと言い、教会は彼を神に愛された者だと宣伝していた――ラントシュタイヒャ―と彼は全く違う存在だった。ラントシュタイヒャ―は、神には愛されていなかった。信仰の権利を教会に剥奪された自分、彼のように万民に愛される男と自分は全く異なると。
我に返ったラントシュタイヒャ―は、一瞬馬鹿正直に思った事を言って否定してやろうと考えたが、すぐにそれをひっこめた。
「ありがとうございます。あなたにも神のご加護がありますように」
受付を離れた後、ラントシュタイヒャ―は依頼の掲示板を見た。依頼読み上げ人は、目の前に人が立った事で立ち上がろうとしたが、ラントシュタイヒャ―の姿を見るとすぐに会釈だけした。……彼が冒険者としては珍しく文字の読み書きができる事を彼女は知っていたからだった。
依頼はいろいろな物が貼られている。内容、場所、条件、報酬、必要技能、そういうことが書かれている。
下水道清掃、隊商護衛、害獣駆除、雑役、農業や漁業における季節労働、荷物運び、そして盗賊討伐に傭兵。壮大な物語の主人公になれそうな仕事は一つもない。それでも、多くの人々は仕事をせざるを得ない。
下水道に入れば、虫やネズミの魔物に襲われることも、病気になることもある。その上酷い臭いがするという事は想像に難くない。隊商護衛は比較的給料が高いが求められる技能や経歴が高く、街道を行くため、賊や魔物に襲われることも多く、それに長期間拠点を離れ、ほとんど知らない人々と行動を共にしなければならない。
害獣駆除もリスクがある。害獣というのはクマや狼の他にも魔物が含まれる。雑役や季節労働、荷物運びは最も冒険とは程遠い。
盗賊討伐と傭兵は言わずもがな、殺人をしないといけない仕事だ。誰もやりたがらない。ここにはもはや、ドラゴン退治も巨人殺しも、英雄譚のようなそんな仕事は滅多になかった。
ラントシュタイヒャ―が少し端の方に貼られた盗賊退治の依頼を見ようとした時、あの娘もまた同じ依頼を見ていた。
その依頼は、ヴェリーキーシュタット最南方、自由都市の影響力とマレニア侯爵領と教皇領が隣接する地域での盗賊討伐。マレニア侯爵というのはドラニア王国内で有力な諸侯の一つ、教皇領と言うのは教会の荘園のような物だ。そして、ラントシュタイヒャ―がわざわざこの場所から遠い仕事に興味を示したのは、その教皇領の殆どはかつて自分の主人の所領だったという事がある。
……領主が死んだあと、家臣たちは離散した。ラントシュタイヒャ―のように貴族であることを止めた者、どこかの領主と新しく契約をした者、教会を憎んで異端者となった者、そして、盗賊になった者がいる。もしもこの討伐対象が、かつての仲間であったならば、主人の教えを守るためには最も赦してはならない存在であり、必ず殺してやらねばならない相手であると感じていた。
依頼の具体的な内容は、サレンという街の近郊の街道に出没する強盗団の討伐であり、彼らは騎馬を所有している事、商人や都市、果ては各支配者の軍隊などを襲う有様で、その結果、小規模の軍団並みの装備を持っている事、彼らは領域の境にある川辺に野営している事が書かれていた。
ところで、どうして有力諸侯や独自の軍事力を持つ教会が彼らを始末しないかは単純な話で、軍隊を動かすのには金がかかるからだ。補給や輸送、兵隊への給金や褒章、指揮官や騎士が捕虜になった場合の保釈金も必要だ。ただし冒険者を雇う場合、彼らの食事や保釈金を保証してやる必要はなく、ただ報酬を提供するだけで済む。依頼者や利用者の中に彼らを失って困る者はおらず、だから彼らの命は安い。
ラントシュタイヒャ―はその依頼に手を伸ばそうとしたところ、その動きを隣の少女は目で追った事に気が付く。横目でじっと見下ろした。やはり外国人や異民族の血が混じっている切れ長の瞳が睨み返してくる。頭一つ分も背が低く、腕も細い小娘だ。しかし、剣を持つ者への礼儀を忘れるべきではないとも感じる。
「……あなたもサレンでの盗賊退治に興味が?」
そう問いかけた瞬間、彼女は再びラントシュタイヒャ―をにらみつけた。
「今のご表情、とても興味深いですわね。あたくしには到底務まらないとお思いですの?」
確かにその細腕で、そんな剣で、甲冑を着た相手を殺せるとは到底思えなかった。そして、少女だろうと老女だろうと、女に盗賊退治は適していない事は誰しもが共通して思う事であった。一部の例外を除いて、盗賊は皆男だからだ。
「あなたにできるとは、正直思えない」とラントシュタイヒャ―は素直に答えた。その瞬間、少女は肩をわなわなと震わせながら、彼をにらみ続け、言葉を吐きだす。
「あたくしは……貴族ですのよ? 父上も、兄上も、皆、聖ラ・ピュセルを讃える西方諸国の信徒による帯剣修道会に入っているのです……そんな無礼を……!」
その口調や振る舞いから猶の事嘘ではないと感じる。今時、自由都市では金を払えば立派な衣装に剣、鎧を手に入れる事ができるが、立ち振る舞いや言葉遣いというものは金で買えない。
彼女の言う修道会と言う物についてラントシュタイヒャ―は良く知っていた。馬鹿見たいに長い名称、仰々しいそれは要するに教会の私兵団である騎士修道会の事だ。そして、かつて主人の領地に進駐しようとしてきた悪辣な連中であった。
ラントシュタイヒャ―は思わず鼻で笑った。こんな、教会も貴族も遠い筈の自由都市で、貴族の権利と教会の権威を振りかざそうとする子供がいる事、自分が何者かは語らず、親や家族の威光を背に着る所、そして、その権威をもってしてやりたい事が汚れ仕事だという事がとんでもなく滑稽に思えてしまった。
今にも争いが起きそうな雰囲気に、奥の方から苦笑いをした受付嬢がやってきた。