第1話:盗賊殺しのラントシュタイヒャー
人間が人間であるためには生きる理由が必要だ。例えば宗教、例えば女、例えば金、あるいは正義、あるいは忠誠、あるいは友、あるいは賞賛。人はなにがしかの信仰に沿って生きる物だ。理由のない人生、快楽や欲求のような本能に懸ける生は獣と違わない。
人は時に理由を見失う――この世界には沢山のそう言った、現実に取り残された現実主義者たちが暮らしている。ただ生きるのでさえ金はいる、だから大した理由もなく働き、身も心もすり減らす。
ラントシュタイヒャ―もそんなあぶれ者の一人だった。彼が冒険者という仕事をやる上で心だけはすり減らすことはなかった。この男は人を殺しても悔やむことなどなかったからだ。しかし、彼は決して精神異常者や物狂いや快楽殺人者の類ではない。理性をもって、自身の信じる正義と騎士道に基づいて戦い続けているのだ。
「やめ、やめてくれ、許してくれ。降伏だ……」
死屍累々の廃砦。中庭には皮鎧や鎖帷子を着た死体が何個も何個も転がっており、その中心で二人の男がいた。鎧兜に返り血が無数についた大男。手には打撃部分が真っ赤になったウォーハンマーを持ち、もう片方はその男に見下ろされて地面に倒れている。男の周りの地面には小さな水たまりができ、彼のズボンはびしゃびしゃになっている。今すぐ立って逃げないのはふくらはぎがどす黒く汚れているからわかるだろう。そして、彼の得物ははるか遠くに転げ落ちており、土で汚れた髭面に涙を浮かべている。
「そう言って……」
大男はつぶやくと武器を振り上げる。
「やだ、許してくれ、頼むやだ、やめてくれ!」
男はそう泣き叫び、両手を頭の前にかざした。次の瞬間、風を切る音と共にばき、べき、ぐちゃっと音がした。振り下ろされたハンマーは腕を砕き、男の頭蓋骨をも破壊し、眼孔を大きく破壊して頭蓋へとめり込んでいた。
「何人殺してきた。お前たちは何人殺した。何人さらった、何人犯した」
彼はウォーハンマーを引っ張り出し、ベルトに差し、空いた両手を合わせ、目を閉じた。
「神よ、この者たちの罪をどうかお許しください。私も今、彼らを許しました。どうか、私の罪をもお許しください」
1382年、ドラニア王国西方にて。
この国は王国とは名ばかりで、実態は複数の強い権力を持った貴族たちに分割統治された連合王国に近かった。実質的には数百の国軍しか動かす事のできないお飾りの国王を、国教会が傀儡として利用する。
そんな厄介な統治体制の中、自由市民たちは自身の自由が損なわれる事を恐れていた。領主や教会の一存で自分たちの立場が市民以下の農奴と変わらない事になるかもしれない、そういうことを恐れていた。
しかしある時、国家、それどころか大陸中を震撼させる事件が起こった。普段は大して群れることもない魔族といういわゆる怪物の類が、更に低級の魔物たちを統率し、軍勢をなして人間の領域を侵略し始めたのだった。
これは幸か不幸か、自由市民たちの地位を確固たるものにした。自分たちの命を保証する軍隊が出征してしまい足りない。国王も、諸領主も自由市民たちに武装と軍事教練の許可を下した。異邦人も、かつて迫害した魔法使いも、エルフもドワーフも、獣人も。そういう自由人たちにも二つの条件の下、武装を許した。
その条件とは、領主が認証した冒険者ギルドに所属すること、そして、民草に尽くすことであった。
しかしながら、その危機というのはもはや20年は昔に終わった。魔王と自称する化け物とその軍勢は、国軍と冒険者らによって絶滅させられたからだ。では冒険者ギルドはどうなっただろうか。もちろん、なくすことなんてできなかった。冒険者たちは力と規模を持ちすぎた。この人類存亡の危機に際して武器を取って戦い、国家からもある程度独立した武装組織が、進歩した魔法によって各地のギルドと秒単位の通信を行える。そんな組織を果たして消し去れるだろうか。そんなことは誰にもできなかった。
ただし、問題も起きている。かつて冒険者たちが民衆にも受け入れられていたのは彼らが守護者であったからだろう。衛兵や軍隊が町や村から出払っている中、一体誰が土地を守る? 村の力自慢たちはもう出征した。そこで、地方の冒険者たちが、ギルドの仲介を元に派遣されてきた。しかし、魔族との戦争に駆り出されていた兵隊たちが故郷へ帰り、彼らが故郷を守る。他所からの不穏分子である、金と自由を信じる冒険者はお役御免なのだ。
今の時代の冒険者はもはや社会不適合者だ。太平の世となった今、冒険者というのは厄介者の一種と見なされかねない。彼らは平和な街中で武器を公然と帯びて歩き回り、封印されているダンジョンに勝手に侵入したり、各地の貴族や豪族のような武装勢力とも揉め事を起こしたりする。彼らの多くは市民階級で、読み書きをできず、肉体で稼ぐことしか知らない無教養者ばかりだ。問題が起きるのは当然だ。
ラントシュタイヒャ―は死体漁りを始めた。ハエがたかり始める前に帰りたかったからだ。
死体とは穢れだ。放置すれば病気をばらまく。ラントシュタイヒャ―にはもう一つずつ、自分の仕事とギルドからの仕事があった。死体を確かめて金品や使える道具を回収すること、そして、死体を集めて焼くことだった。腐り始めると臭いが取れなくなるし、この山の中だ。臭いにつられた害獣が来るかもしれない。
銀貨や銅貨、指輪、ロザリオ、銀歯の一本まで確かめ、根こそぎ革袋へ投げ込む。まだ錆や刃こぼれのない剣も拾ってベルトに差し込む。冒険者業はもはや儲かる仕事ではないから、こうまでしないといけないのだ。そうしなければ命を懸けるのに割に合わない。信仰の教義として、死体から略奪することは許されていなかった。しかし、現実的に市民も司祭も騎士も訪れないこの場所で死体に不要な品物を回収することを罪とは思えなかった。神は見ているかもしれないが、もし自分が間違っているならばすぐにでも天罰を与えてくださると考えていた。
遺体を引きずって中庭に集める。右耳を切り落とし、別の革袋に詰める。彼らの馬の為の干し草を集め、彼らの為にあったはずの油や酒をじゃばじゃばかけ、松明を投げつけた。燃え上がる藁と死体を見ると、ラントシュタイヒャ―は砦の中に入った。
砦は非常に狭く入り組んだ通路で構成される。ここは殺し合いをするための場所だからだ。広ければ素早い侵攻を許してしまう。ラントシュタイヒャ―は腰の剣を抜き、切っ先を進行方向に向けて歩く。閉所での戦闘では振りかぶる武器よりも突き刺す事のできる武器の方が強いからだった。
彼には目的があった。金だった。もはやその浅ましさはどちらが盗賊かはわからない。しかし、金は何をするにも必要だ。金があることで避けられる苦痛は間違いなく沢山ある。砦丸ごと占拠した盗賊団だ。どこかに宝を持っている可能性はある筈だ。
しばらく歩くと左右に部屋のある廊下にたどり着く。廊下の幅も天井も広く、居住区画だとわかるだろう。そして、一部屋一部屋を開け、タンスも引き出しも物色し、金目の物をかっさらう。十数分後、廊下の一番端の部屋の前にたどり着く。ドアノブに手をかけ、押し開けた次の瞬間、甲高い叫び声と共に何かが飛び出してきた。
それは子供だった。身の丈に合っていない両手剣を構え、突進してくる。ラントシュタイヒャ―はそれを避ける事なく、受け止めた。甲高い金属音と共に切っ先はキュイラスにはじかれ、その衝撃と剣の重みを捌ききれず、重さにつられて明後日の方へよろめいた。
「神よ、この子の罪をお許し下さい」
ラントシュタイヒャ―は大人の盗賊たちと同じようにした。貫かれた次の瞬間には子供の体は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。ばたっと倒れ、数度痙攣して動かなくなると、徐々に血が染み出し、床板に赤い水たまりができた。
なぜ殺したのか、騎士であった彼は騎士道精神を持っているはずだ。弱者の救済、名誉信仰と領主への忠誠が騎士道精神だ。武器を持つ者は弱者だろうか? 仮令子供だろうと剣を持って襲い来るならばそれは戦士だ。戦士を軽んじる事はその者の名誉を穢すことになる。そして、襲い掛かってきたという事は盗賊の仲間と言う事だ。もしとらわれた哀れな子羊であれば盗賊じゃない者が部屋に入ってきた時に切りかかったりはしない。だから殺した方が世の為だと思ったからだろう。
……ようやく仕事を終えた。彼らの略奪物を持てるだけ拾い集め、死体は焼いて供養した。そして、彼らの飼っていた馬を拝借し、砦を後にした。
砦から去る最中、彼は物思いにふけっていた。殺人や闘争、冒険者、そういうことについて考えていた。
男は闘争が好きだった。戦いは楽しい。座学よりも目に見えて結果が出る。素振りをし、筋肉を付ければつけるほど相手よりも早く武器を振り下ろせる。何度も木剣で稽古をすれば反射神経が鍛えられる。どの武器であれば甲冑の騎士をうまく殺せるか考えるのが楽しい。その結果がこの血みどろのウォーハンマーだろう。
殺すことは楽しかった。自分と同じくらい敵を殺すために訓練を積んできた相手と、命を懸けて競う事、そして相手を下した時の優越感。この上ないスリルだった。
冒険者の多くは不思議な事に人殺しを嫌っていた。ラントシュタイヒャ―にはそれは分からなかった。こんなにも楽しいのに。本能以外の、理性で動く人間は時に思いもよらない行動をする。魔物や害獣の類は本能で動く。だが、人間は、たとえ盗賊のような畜生にも劣る輩でさえ恐怖を理性でねじ伏せて立ち向かってくることや、ゴブリンどもでは思いつくこともできない戦術でこちらを殺そうとする。とんでもないスリルだ。おまけにやつばらはドラゴンよろしく金銀財宝をため込む。競馬の穴馬みたいな物だというのに。
ラントシュタイヒャ―がそこいらの冒険者と決定的に異なるのは生まれが市民階級ではない事だ。名誉の為に生きる事を生まれながらに強要されていた。
その時彼は大きくため息を吐いた。
「理由だ。これが理由だ。全部の理由だ」
――騎士でなくなった理由でもあった。彼が身に着けているケープはどこぞの貴族の紋章が描かれている。ところどころ擦り切れ、ほころび、落ちない染みだってできているがかたくなにこれを纏う理由は忠誠心からだろう。
個は知らないが、人間の群れの本質は闘争だ。魔族と争っていようとも人間同士で争う事は度々あった。魔族が滅びた後もやはり闘争は終わらなかった。
こんな話がある。魔族が滅びてから久しい数年前、教会を後ろ盾にした宗教騎士団が彼の主人の領地に進駐しようとしていた。そこで戦闘が起きた。小競り合いを防ぐための会議の場が設けられていたが、そこで宗教騎士団の若い騎士が剣に手を掛けた。その結果、相手側の騎士数名と指揮権を委任されていた大司教がラントシュタイヒャ―によって殺された。
全員がその場で拘束され、教会の命令によって主人は処刑の上家は取り潰し、彼は破門され、騎士の立場も信徒の立場も失ってしまった。数名の貴族から名ばかり国王への直訴も教会の前には無力であった。
だから、今、こんな立場になっているのであった。