手の平の人柄
いつだって二人でいた。それが必然で、自然で、心地よくて、それ以外何もなくて。
貴方は初めから私を見ていたんだよね。私はいつからかその視線に気付き始めてた。
ある日、残業が終わって会社の門を出る時だった。どこかからやって来た貴方は、断りもなくあたしの手を取って言った。
「明日から勤務時間が夜間帯になるんだ。今までみたいに会えなくなる。」
あの時の貴方はうちの会社に出入りしてる業者さんの一人だった。でもうちの会社の人達と仲良くて、時々男女10人くらいで飲みに行ったりしたよね。仕事する姿はいつもキビキビと真面目だったの、私知ってるよ。
でも仕事一筋って訳じゃなかったんだ。『会えなくなる』ってことは、仕事以外に、会いにきてたんだね。
「夜間帯?大変だね。頑張ってね」
私は当たり障りのない言葉をかける。手は握られたまま振り払う事はしなかった。彼の手はゴツゴツしてて少し荒れてた。その手が彼の真剣さと不器用さを表しているようで、心の奥の方で人柄を見たような気がした。
「それで、切っ掛けがなくなるから言うけど、俺と付き合ってくれないかな」
そう言うと照れたように私の手をブラブラと軽く振りながら真っ直ぐ目を見ている。
その告白は貴方の視線を感じ始めて半年くらい経ってからだったと思う。
嬉しかった。男はみんな、ナンパや酒の席で酔った時にしか告白しないもんだと思ってたから。
私のどこが好きなの?なんて聞かない。そのかわり少しだけイイ女ぶってこう言ったっけ。
「友達としてならいいよ。またみんなで遊びに行ったりとか」
その時の貴方の様子は覚えてない。どう思った?悲しかったかな。 その後少しだけ立ち話して手を振って別れた。
翌朝の8時半。私の出勤時間に何故かあなたが門のところに居た。
あれ? 夜間帯に変わったんだから会えないんじゃなかったっけ?
「おはよう」
「おはようございます。どうしたの?」
「顔見に来たの。それとこれ」
手渡されたのは小さなメモ用紙。あまり上手じゃない文字だけど、丁寧にルビまで振った貴方の名前と連絡先が書いてあった。夜間の仕事が終わって真っ直ぐ渡しに来たらしい。
その翌日も 翌々日も貴方は私の顔を見に来ていて、気がついたら私はあなたのマンションの鍵を握らされていた。
付き合ってから判ったことだけど、お互いにちょっと驚いたよね。
「ね、高崎くんって年いくつ?」
「俺25になったばっかり」
「えーっ そうなの?もっと若く見えた」
「ああ、よく言われる。理沙ちゃんは?」
「私19だよ」
「えっ マジで?俺と同じくらいかと思ってた・・・へぇ~」
「私もよく言われる。老けてるんでしょ」
「じゃなくて、落ち着いててオトナっぽいんだよ」
キスは部屋に行くようになって一週間くらいしてからだった。高崎くんの作ったチャーハン食べて、お茶飲んでテレビ見てた時、後ろから肩をトントンって叩かれて振りか返ったらキスされてた。チュッってソフトな可愛い感じのキスだった。
自分でいうのもなんだけど、その時の私はちょっとだけモテてた時期で、キスなんて握手代わりみたいなものだった。男の人はディープなキスが好きなのか、直ぐに舌を入れてきたがるんだけど、あれはあまり好きじゃなくて、私はいつも自分の舌で押し出していた。だけど高崎くんのキスはそんなことなくて、寧ろ物足りなくて『もっとキスして』っておねだりしたくなるようなものだった。
キスの後はすぐにエッチなのかな?って思ってたら、そっちは一ヶ月も経ってからだった。実際にはそれまでの間キスをする時に胸を触ったり、時々はスカートの中に手を忍ばせてくることもあったけど絶対に一線は越えなかった。
だからあの時、私は『やっと抱いてもらえた』って思った。けど貴方はあの後こう言った。
「こんな早くに関係持っちゃってゴメン。我慢できなくて・・・」
私はまだ子供で、恋愛の駆け引きやゲーム感覚を楽しんでいたけど、貴方は一生懸命に恋愛して私を大事に想ってくれてたんだね。その時初めて根っこから後悔したのをよく覚えてる。貴方のベッドはその後もいつも温かくて、抱かれる度に体が浄化されるような気がして、愛してるっていう言葉以外に上等なものがあるなら、それを貴方に捧げたいんだけど、どうしても見つからなくて、抱かれてる途中でいつも涙が出てきた。
よく心配そうな顔で頭を撫でてくれながら言ったよね。
「どうしていつも泣いちゃうの?」
「幸せすぎて涙が出るの」
実はちょっと違うような気もするけど、思い浮かばなかった。
父親が酷い男だったから、私はきっと男運悪いだろうなって思って育ってきた。だから特定の恋人とか、ましてや結婚なんてことに夢を見ることもなかった。それに男を見る時の私の目は限りなくシビアで蔑んだものだった。神様はそんな歪んだ私に、どうして高崎くんを逢わせてくれたんだろう。
幸せ過ぎて不安になることが苦しいって知ってる? 例えば私の前から忽然と姿を消しちゃったり、もの凄く嫌われて捨てられちゃったりしたら・・・って、本気で考えてバカみたいに怖くなるの。だからかな、いつからか私は彼に対して甘えん坊になっちゃって。
高崎くんはどこまでも温厚な人だった。わたしがそこそこ間違ったこと言ったりしたりしても笑って許してくれる。困っていれば助けを求めなくても手を差し伸べてくれる。高崎くんにしてみれば極普通のことなのかもしれないけど、私にとっては限りなく幸せで安心していられる場所。
ところで私が男を見る時の比較対象は父親だったんだと思う。ということは、この幸福感の根源はあの酷い父親のお陰・・・なのかもしれない。認めたくないけど、多分そう。
私はいつからか『エッチ』のことを『愛し合う』と言うようになっていた。幸せが怖くて泣く事もなくなった。高崎くんに私のどこが好きなの?って聞いたら、笑いながら
「顔とお尻」って言った。
でもその後こう付け足した。
「落ち着いてしっかりしてそうなところに惹かれた。
実際はオッチョコチョイで頼りなかったけど。
理沙はどうして俺と付き合ってくれたの?」
「高崎くんの手の平に人柄を見たから」