第六十九話
その日の夜。
また当子様のいらっしゃる寝殿に向かうと、その途中で丹波さんに会う。
「あら、近江さん。どうされたの? 外に出られるのではなくて?」
「当子様に今から外出する事をお伝えしてからと思いまして」
「今、人払いして中将内侍さんとお二人でお話をされてるようですよ。後から私が伝えておきますからどうぞ行ってらっしゃい」
「ではお願いします。とても助かります」
「帰りは遅くなられるの?」
「いえ、すぐに戻れると思います」
人払いをして話――その内容も気になるけれど、手配していた牛車が来る頃なので急いで外に出た。
顕成が既に来ていて、少し俯きながら車の横に立っている。
「お待たせ。顕成も乗って」
「いや僕は歩いてついて行くからいいよ」
「あ、そう」
実は当子様のお邸から道雅様のお邸までは結構近い。
私も女房装束でなければ歩いて行きたい位だった。
「二人揃ってどうした?」
道雅様がニヤニヤして私達を迎える。
そして顕成に寄り、私に聞こえないように何か耳打ちした。
「と、特に何も……」
顕成の顔が真っ赤になる。
「何だって? 人がせっかくお膳立てしてやったのに」
宇治に顕成をよこした時の話だとピンときた。
「こ、こほん。道雅様、私は今日、お礼に伺ったのです」
「お礼? まあ、そこに座りなさい」
促されて私は道雅様の正面に腰を下ろした。
「宇治の一件では本当にお世話になりました」
と、私は包みを差し出した。
「礼はいいよと言ったのに……ほう、酒か?」
道雅様は中身を確認して目を輝かせた。
「ええ、近江国の地酒と菓子です。こんな物では全然足りない位お世話になりましたが」
「十分嬉しいよ。しかし添え状がないな」
「え?」
「近江からもらった文と言えばまだこれしかない」
と文箱からボロボロになった紙を取り出し、ひらひらとして見せる。
「ああっ、それ」
宇治で藤助に持たせた文だった。
何とか内容は判別できるが、走り書きで酷い書跡だ。
「返してくださいっ」
と手を伸ばすが、すぐしまわれてしまった。
「駄目だ。女人からもらった文は一枚一枚大切にしている」
「そんなのを残されても。ではちゃんとしたのを書きますから」
と胸元から紙と小筆を取り出す。
道雅様は脇息に肘をついて頬杖をつき、
「どうせなら歌がよいな」
と目を細めて微笑んだ。
歌?
私は昔から詩歌を覚えるのは得意だったけど、作る方は大の苦手。
でも先月の宴で“後でお返事を書きます”と言って書いてない事を思い出した。
筆をとった状態で悩んでいると、
「あの……」
と背後から顕成の声。
「どうした顕成」
すました顔で道雅様が問う。
「月……近江はすぐに宮様の所に戻らないといけないので」
そんな事はないけど……。
顕成は何を言ってるのだろう?
「来たばかりではないか。私から連絡しておけばよいだろう。何ならこのまま、また泊まって行ってもよい」
「しかし」
「帰りたいのならお前だけ帰れば? もう付き添いはなくてもよいぞ」
「そうね、顕成は帰っても……いたっ」
後ろから腕を摘まれた。
「あきなりっ、なにするの?」
小さい声で睨むと、
「本題から逸れてる」
と顕成は睨み返す。
本題?
ああ、そうか。
私は小筆と紙を下に置いた。
「歌はまた改めて。今日はお礼だけでなく、お詫びもありまして……」




