第三十九話
「その男の事、つい昨日の朝も牛車の中から目撃したのよ。偶然通りかかった三位中将様がその男と知り合いだったようで、右大臣様の家司だと聞き出すのを聞いたの。名前は惟能というそうよ」
「右大臣様の家司だって? その一連の話は検非違使には伝えた?」
「いえ、何も話してない」
「それで良かった。確実でない段階で訴えるのは、かえって危険だから」
「そうね。為則の件もあるし。今度こそ狙われたら危ないわ」
顕成は反応して私を見た。
「《《今度こそ》》? 《《狙われたら》》って、君を?」
あ、しまった。
「月姫。どうして昨夜見た男の顔と、右大臣の家司、それから近江に現れた男の顔が同じだって分かったの?」
「そ、それは……、あ、ほら。為則の事件の時、顔を見たのよ」
「あの時に?」
いや、《《あの時》》は、私は後姿しか見ていない。
近江で為則が斬られた時、顕成と私は一緒に部屋を飛び出し、犯人の影を見つけたけれど、後を追ったのは顕成なのだから。
「まさか、『朧月夜物語』」
と顕成は呟く。
為則が私をモデルに書いたその名の物語は、男装する姫が主人公で――何が言いたいのか察した。
「と、とにかく、私の見解では、あの男……惟能は単なる盗賊ではないのよ」
話題を戻して誤魔化そうとするも、顕成は尚もじーっと私を見てきた。
「月姫」
「は、はい」
「あの夜、僕に文を届けに来たのは君本人だね?」
「あ……」
顕成は、呆れたような顔で、
「昔と変わってないとは思ったけど、それほどとは……」
と小声で漏らした。
「あの日だけよ!」
私は開き直って叫ぶ。
「『朧月夜の君』のように、毎夜毎夜なんてしてない!」
「どうだか……。馬を乗り回していたとしてももう驚かないよ」
「そんな事は……」
乗れない事もない……。実際、近江で牛車を吉野達に止められた時、馬で行こうかと一瞬頭をよぎった事を思い出す。
急に恥ずかしくなり、それ以上言い訳する気力もなくなってしまった。そしてさっと扇を広げて顔を隠す。
顕成がこの扇を一瞬じっと見たような気がした。
あ、これ顕成がくれた檜扇だ。
「それで、昨日、君が僕に相談があるって言っていたのは、その惟能殿の話だったの?」
「ええ。惟能が京に来てるから気をつけてと伝えたかったのよ」
「それは月姫だってそうだよね? 君が惟能という男の顔を見たのなら、反対に君も見られたのでは?」
「確かに衝突した時、互いの顔を見たわ。けど、為則の部屋に潜入しあの子の顔を確認した彼は違うと言って狼狽した様子だったそうよ? そしてその後京に戻って来たという事はもう私を探すのは諦めたんじゃない?」
「姉の方だと気付いて追って来た可能性は?」
「まさか。私はあの晩以外は表で顔を出してないから気付くはずがないわ」
「では昨夜は? その男に君の顔は見られてない?」
「えっ? 見られてないと思うけど……」
でも私が惟能の顔を確認したように、向こうからも見られていた可能性がないとは言い切れない。背中に汗が滲んできた。




