シヴィルのひとりごと15「遠くからながめた炎」
さむい。
収穫期がおわり1カ月もすれば山岳地方は雪がふる。もうすぐ冬がやってくる。温暖な地域で育ったラルフはヴァトレーネの冬が寒すぎて家を改造した。そんな話を兵長から聞いたことがある。
ツァルニも南の沿岸部出身だから山岳は少々さむく感じるかもしれない、馬へ乗せた彼の体が冷たくて心配だ。
追手を警戒しつつ西の山道へでた。道といってもほとんど獣道、すこし進んだところで弓をかまえた兵に囲まれた。武器は川で失くし、なにも持ってなくて緊張する。
「シヴィルか!? ツァルニ兵長も無事だったか!! 」
グスタフとの戦闘に加勢した隊長だった。
緊張がとけて安堵の息をつく。僕とグスタフが揉み合っていた崖は崩落し、混乱に乗じて隊長も兵とともに退却した。茂みから続々とヴァトレーネの兵士たちが姿を現わす。山岳隊の数はだいぶ減っていた。
「あの光は!? 」
「ヴァトレーネの方角だ……」
空へ閃光がはしった。皆の視線の先で大きな煙と炎が立ちのぼる。数秒して木々をゆらす轟音がこちら側へとどいた。山の向こうで町は見えないけれど、あの日の記憶を思いだす。ヴァトレーネの壊滅、ラルフとミナトの安否を思った。
「敵の本隊がヴァトレーネ軍と衝突したようだな……。俺たちは西の山を越えて街道へくだり、港町へむかうぞ」
残存する数では敵の本隊をうしろから奇襲するのも無理がある。この人もブルド隊長とおなじ、状況の見極めができている。絶望感のただよう兵たちを隊長は励まして引率した。僕もツァルニを連れて歩きだす。
日が暮れて敗残兵たちは焚き火をおこし身をよせる。森は静寂がただよい、枯れ枝の燃える音が粛々と聞こえる。ヴァトレーネの炎もここからは見えない。
「ツァルニ兵長の具合はどうだ? 」
「熱が出てるみたいです。港町まで体力が持てばいいですけど……」
「そうか……おまえも傷だらけで歩きどおしだったろ? 薬はないけど、これ食って体力つけとけ」
隊長はとなりへ腰をおろして、炙ったパンと干し肉のカケラを僕の手へのせた。ツァルニの右目は他の兵士に渡された薬と布で出血がとまった。ぬれた服を脱がせ、隊長のマントを借りて体を包んでる。
僕のほうはパンツ1枚で焚き火のそばにいる。明日の朝までに服が乾けばいいな。
隊長に感謝したいけど、名前を思い出せなかった。ごまかして尋ねたら隊長はあきれた声をだす。
「イリアスだ。おまえなぁ、いくら直属じゃないからって隊長クラスの名前くらい覚えとけよ」
「へへへ、すいません。覚えるの苦手で……」
興味がなくて覚えてなかった、というのが事実。ブルド隊長のほうは必然的に接するので記憶に刻まれてる。
イリアス隊長はプラフェ州より東側の属州出身。ラルフが本国から来るまえは港町で隊長をしていた。港町で長く暮らしていたけどヴァトレーネへ移ったそうだ。
「港町は本国のヤツらがいっぱいいるし、ムダにプライドも高くて疲れるんだよ……」
ちょっとだけむかし話をしてボヤいた隊長は、港町にいたころのツァルニを知っていた。ラルフが着任したとき、若かったツァルニが抜擢された。父バルディリウスは優秀だけど、実績のない息子が町を任されることに対して反発する者もいた。
しかしイリアス隊長のように港町からついてきた者もいる。兵士として体力的に不安のでてきた隊長は、ラルフたちの掲げる農業改革に興味をひかれたのだという。
「じっさいツァルニ兵長はよくやってるよ。ラルフ様の方は、さすがディオクレス様お墨付きの能力のたかさと言ったところかな。……おっとラルフ様が『キャベツ爺さん』って呼んでても、おまえは絶対口にするなよ。港町の兵士どもを全員敵にまわすことになるぞ」
ディオクレスという名は何回か耳にしたことはあるが、本人には会ったことはない。帝国で長年にわたり皇帝をつとめ、故郷のプラフェ州で隠居生活をしている貴族らしい。隠居してるけれど、いまでも軍人の信奉者は多く私兵を多数かかえている。
『貴族』はウィリアムの世界にもいた。だから彼ら同士の独特のつき合い方があるのはよく分かる。ラルフだから許される行為も、平民の僕ではべつだと言うことも。
「明日も早くから移動する。今のうち寝ておけ」
肩をたたいた隊長は、見はりの兵士へ声をかけにいった。
干していた服は乾いてなくて、焚き火のそばに寝かせていたツァルニのマントへもぐりこむ。体は発熱してるのに寒くてふるえていた。彼の体が細菌に勝てるよう祈って体温をかさねる。
僕らの帰る場所は残っているのだろうか。