その後の話
オオカミとドラゴンの旗のもと、兵士たちは今日も訓練にはげむ。
こっちの世界の人間はだれもかれも体がおおきい、現代日本のスポーツジムで鍛えたくらいの体じゃ子供みたいに往なされる。ミナトはひとふりではね飛ばされ、ごろごろと転がり地面へ尻もちをついた。
「もう終わりか? ミナト」
兵長のツァルニが木剣を地面へ立てこちらを見ている。馬にのって道をかけ、おおきな槍をもち戦う彼らの体は丈夫そのもの、三十路をこえたミナトが若く優秀な兵長にかなうはずもなく力つきてたおれた。
ふだん厳しい兵長は目元をゆるめ、ミナトを抱きあげる。ツァルニの書斎で擦りむいたヒザを手当てされた。
「大丈夫か?」
「うん平気」
消毒して、薬草をすりつぶしてつくった膏薬を貼った。ヒギエアの薬を港町から仕入れていたけど、薬のレシピを覚えてしまったので暇なときに作成して兵舎の倉庫へ放りこんでる。ミナトは我ながらいい出来だと膝に貼られた薬をしみじみ眺めた。
「ミナト、どうして訓練へ参加すると言いだしたんだ?」
膝から手をはなしたツァルニが視線をあげた。
今朝、訓練場へいき手合わせを申しでた。剣をふったこともないのに他の兵士にまざり素振りして模擬戦をおこなった。もちろん結果はさんざんなものだったがまだ始めたばかり、今後に期待しよう。
ツァルニは腕を組んだままこちらを見つめている。ひ弱なミナトが戦わなくても、頑強な兵士はたくさんいて護衛もしてくれる。
「う~ん? ひとりで行動することもあるし、このあいだも……」
ミナトの黒髪と目はこの国ではめずらしい、港町の路地裏で悪いことをたくらむ輩に手を伸ばされたこともある。ひ弱な――いや自分の世界では決してひ弱ではなかった。せめて自衛できるくらいになりたい、しかしそれ以上に痛感したことがあった。
「ラルフの足手まといになりたくない、俺のせいで誰かが傷つくのが怖いんだ……」
「前の戦いのことを気にしてるのか」
北城塞都市を奪還した戦い、猛獣同士のあいだへ割って入ったあげく、ラルフが犠牲になっていたかもしれない戦いを思いだす。相手の男――ヴラド・グスタフが手を止めなければ、かくじつに剣の餌食になっていた。
ヴラド・グスタフは無事に帰れただろうかとおもう反面、複雑な心境でうつむく。そのしぐさをどう受けとったのか、ツァルニはこちらの肩へ手をおいてなぐさめた。
「そういえば、今日シヴィルは?」
「元気があり余ってるから、北城塞都市まで街道の巡回へいかせた」
やや眉をあげたツァルニはため息を吐く。最近ミナトがおどろいた事はシヴィルの年齢が16才だったこと、育ちざかりの青年に兵長も手を焼いてるようす。
ツァルニの目はよくなり眼帯を外して過ごしている。革製の眼帯をつけた彼はちょっとカッコよかっただけに残念だ。
「ミナトォォッ」
勢いよくドアがひらきラルフが飛びこんできた。黄金色の瞳をもつギリシア彫刻像はこちらへ一直線に走ってくる。軽々と抱きあげられて、勢いあまって天井へ届きそうだ。黄金色の瞳をもつ狼は尻尾をふる残像をみせてミナトを抱きしめる。
筋肉に埋もれていると、うれしそうにしていたラルフの動きが止まった。
「ケガしてるのかミナト!? ツァルニッ、これはどういうことだ!?」
うなったラルフは黒い狼の異名をもつ兵長と対峙した。まるで大きなオオカミ同士の威嚇、だが兵長のツァルニはあくまで冷静、かるく息をつきミナトが訓練していたことを伝える。
「訓練? なぜミナトがそんなことを!?」
「ラルフ様、過保護すぎでは? 彼はか弱い乙女ではありませんよ」
ミナトの心の代弁者は的確な意見をのべる。ミナトが同意してうなずくとラルフはさっきまでの威勢がなくなり、しゅんと悄気て怒られたワンコみたいになった。
だれよりも美しくだれよりも勇敢な男が上目づかいでうかがう。その様子が可笑しくてミナトは両腕をひろげた。太陽の瞳はかがやき、ひろげた腕に飛びこんでくる。押したおされてぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
「ふふ……」
笑って大きな背中を抱きしめる。あきれた兵長に見守られながら、ラルフと仲なおりの抱擁を交わした。
ラルフは港町とヴァトレーネを年半々くらい行き来する。
ミナトもラルフの文官を担っているため一緒に移動する。馬を走らせたら日帰りできる距離だけど、港町のシハナとルリアナにも会いたい。
のんびりしたヴァトレーネ邸では向こうの世界の知識を試している。とくに先進的なのはバレないよう注意をはらうから、訪問する人のすくないヴァトレーネは最適だ。
天ぷらが食べたくなり、野菜に溶いた小麦粉をつけて熱したオリーブオイルへ投入する実験もした。ミラが台所の入り口へ避難し、ものすごい形相でのぞいてた。火の加減が強すぎちょっと焦げた天ぷらだったけどおいしく頂けた。数日後、ミラの作った焦げてない天ぷらが出てきた。
ラルフに見つかったら興味津々で背中に貼りつくので重い。ちなみに石鹸作りは失敗した。
「はぁ~。やっぱりバックパックに入れた物、必要だなぁ」
ミナトはソファーへ寝ころびつぶやいた。
庭にはディオクレス爺さんにもらった苗と東方の商人から買ったオレンジの木を植えた。うまく育てば毎朝の食事に新鮮な野菜とフルーツが食べられる。
「ミナト! なにため息ついてんだよ?」
庭へ住みついたオッサン妖精が話しかけてくる。
「うん? 竜人の国へ忘れたカバンの中に、いろいろ入っていたんだよね……」
この国でも役立ちそうな物や分量をこまかく記した本が入っていた。石鹸の作り方やアウトドア、護身術の本まで多岐にわたる。
「合気道なら知ってるぜ! 駅うらに道場があった!」
オッサン妖精は合気道のマネをしながら白いヒゲをふり乱す。顔のすぐ前でするからヒゲがあたって鬱陶しい、ひとしきり飛びはねたオッサンは満足そうに腕をくみ仁王立ちした。
「俺さまの精霊拳法にかかれば、その竜人ってやつもイチコロだぜ!」
あらたな流派が誕生したが竜人には敵いそうにない。竜人を連れてこいと耳元でさわぐので、ヒゲをつかんで放り投げたらそのまま草木のなかに消えた。
風呂あがりのラルフが横たわる、せまいのにおなじソファーを共有する。いいかげんラルフの筋肉にも慣れ、背中からぎゅうぎゅう押されても動じなくなった。
「草木の妖精か?」
すぐそばで聞こえる声、体温が心地よくて寝おちしそうだ。向こうの世界とこっちの世界のことを気兼ねなく話せる人。竜人の国にわすれた荷物のことを話し、いっしょに考えて同時にうなる。
ラルフの腕に包まれてミナトはしあわせに浸る。
満月がのぼり夜空をあかるく照らした。
――――さて今夜はなにを話そうか。
ミナトは今夜も物語を奏でる。