太陽をまとう男
朝っぱらだというのに猛々しい男たちの声が窓辺から聞こえる。しょぼしょぼする目をムリヤリひらけば見知らぬ部屋だった。昨晩のできごとは夢ではないと、うなだれた湊は寝ぐせのついた頭を掻く。
木の板を組み立てて布を被せただけのベッド、殴られた痕よりも背中や腰が痛くて身体をのばし壁にもたれた。木の窓を開けると、近接する広場で半裸の男たちが訓練している。
「腹へった、風呂はいりてぇ……」
頬杖をついて眺めていたら腹がグゥ~と鳴った。電気のない石造りの町にコンビニがあるわけもない、昨日からなにも食べていないため腹が鳴るのも必至だ。
「お兄ちゃん起きたの? お日さま、すっかり昇っちゃったよ」
入り口へ掛けられた布の隙間から緑がかった青い瞳がのぞき、檻の中にいた少年が現れた。三十路もとっくに過ぎて、小さな子供からお兄ちゃんと呼ばれるのは少々心苦しい。
「おはよう、ええっと……」
「エリークだよ! おはよう! 」
「おはようエリーク、俺はミナトだ」
はにかんだエリークが手を伸ばして握手を交わす。少年の話によれば、行くあてのない者はしばらくここへ滞在していいらしい。この建物は兵舎に隣接する住居で兵士たちが住んでいる。
話してるうち湊の腹がまた鳴った。
「食事できる所あるかな? 」
「朝ごはんは終わっちゃったけど、食堂行ったらなにかあるかも! 」
少年に手を引っぱられて石の廊下を歩く。柱の上部はアーチ状になっていて天井は高く、床はちいさく切ったタイルで模様が描かれてる。はじめて目にする造形にせわしなく視線を動かしていたら食堂へ到着した。
木製の長机とイスがたくさん並ぶ大きな食堂だ。少年が奥へ走って行くと厨房からずんぐりした親父が出てきた。
「なんだぁ坊主、腹減ったのか? 」
「ボクじゃなくてこの人! 」
親父は湊を上から下までながめた。
「きのう御方が連れてきたヤツか。しょうがねえなぁ、昼用のパンと豆スープならあるぞ」
中途半端な時間の食堂に人けはない、重たいパンとスープの入った器を渡された。塩で味付けされたシンプルなスープだ。クセのある赤黒いソーセージと緑色の豆で腹は満たされ、ナンに似た大きなパンも密度が高く胃にたまる。
ずっと見ているエリークへ声をかけると、笑顔でパンを受け取ってかぶりついた。
「坊主。人の食わねぇでも、パンならまだあるぞぉ」
「すいませんっ。俺1人じゃ食べきれないと思って……」
さっきの親父が厨房から出てきて前の席へ腰を下ろし、もの珍しそうに湊を眺めた。
「食べきれないって、お貴族様かよ。まーここの兵士は大食らいだし量は多いかもなぁ。それよりアンタ、南や東から来た奴にしちゃあ生っ白い。髪も目も漆黒だし見たことねぇツラだなぁ、どこ出身だ? 」
「はは……それが自分でも何処から来たかよく分かんないんすよ」
昨日の兵士とのやり取りを思い出し湊は困ったように微笑んだ。冗談だと受け取ったのか、腕毛も眉毛も濃い親父は大笑いして厨房へもどった。
親父に礼を言って食堂から出ると、廊下で争う声が響いた。少年が興味津々で向かいそれにつづく、兵舎の入り口で女性が門衛の兵士と言い争っていた。
「ちょっと会わせられないってどういう事! 私はカペラの娘よ、一介の兵士が私の言いつけを聞かないなんて後悔するわよ! 」
髪をきれいに結い、白いドレスに鮮やかな刺繍の上衣を羽織った女性だった。やんごとなき身分の女性が衛兵に言いがかりをつけているように見える。
「あっ、きのうのお姉ちゃん! 」
「なぁに? ……いっしょの檻にいた小汚い子供ね。キレイな服が汚れるから寄らないでちょうだい、昨日のことなんて思い出したくもない! 」
エリークが人懐っこそうに近づいたけど、手で追いはらわれる仕草をされた。檻で泣いていたドレスの女性だが、今日は性格が引っくり返ったのではないかと思うほど煩く声を立てる。湊はうつむいてしまった少年の頭をやさしく撫でた。
「騒がしいな? 」
野太い声が聞こえて体格のいい兵士が入ってきた。先頭には黄金の瞳をもつ男が立ち、太陽が顔を出すように周りの雰囲気がガラリと変わる。はじめて会った時の甲冑ではなくて、チュニックに腰の防具と兜だけという軽装だった。
「ラルフ様! わたくし貴方のことを――――」
「おっと、ここは高貴な方が来る場所ではありません。シヴィル、館まで送って差しあげろ」
返事をした部下がドレスの女性を連れて行く。なにか喚いていたけれど、有無を言わさず馬車へ乗せられた。
「ラルフ様も罪つくりな男ですね」
「北城塞都市の貴族の娘だから夕食へ招待しただけだ。あんな娘に興味はない」
部下の兵士に揶揄され、兜を脱いだ男は頭をかいた。ヘーゼルナッツ色のゆるやかな長髪が陽光に透ける。博物館にある彫像のごとき男を湊はポカンとした表情で見上げる。
美しい男は湊に気づき、ずいっと身を屈めた。
「顔の腫れは引いたようだな。見ろツァルニ、黒曜石の目だ。おまえの『黒き狼』の異名と同じ色だぞ」
鼻が触れるほど間近で見つめられて湊は固まる。光を透過して琥珀色にきらめく瞳が笑い、大きい手のひらで撫でられた。同じようにエリークも頭を撫でられ、振りまわされて揺れる。
「あの……昨日はありがとうございました」
緊張がとけてやっと声のでた湊は礼を述べた。港町から川沿いの山脈まで男が管轄している地域なのだと教えられた。昨日は新しく建てた水門を見学した帰りで賊を発見したのは偶然、山間部は賊も多く奴隷にするため拉致されることもあるそうだ。
男はふところから筒状の書類を取り出し、うしろの部下へ渡した。
「住むにしろ他所へ行くにしろ、出身地がないと不便だろう? どこから来たか分からんから、ヴァトレーネにしておいた」
「ラルフ様、そんな簡単に……良いのですか?」
湊も思ったことを部下の兵士が代弁する。
「かまわん。どうせ帝国の者は、このあたりと東方人の顔も判別できないだろう。この町の自治はお前に任せていたな? 私は兵士の訓練を見にいく、後はよろしくツァルニ」
太陽のように笑った男は、肩の上で手をヒラヒラさせながら歩き去った。ツァルニと呼ばれた兵士はため息をつき、共に来るよう湊へ申し付けた。
「では書類の手続きをしよう。エリークは一緒に行けないから、ヒギエアの所へ行ってろ。勝手に遠くへ行って迷子になるなよ」
厳しい顔つきだが優しい兵士の言葉にうなずいた少年は、ハグをしてから長い回廊を走っていく。湊も兵士のあとにつづき回廊の奥へ入った。