国が消えた?
不快な振動が体へ伝わって、目覚めた湊は上半身を起こした。騒音を立てる車輪がはね、幌馬車は上下にゆれて金属のゲージへ頭をぶつける。
「痛っ……」
荷台の振動は殴られた痕へひびく、後ろ手に縛られ顔の状態を確かめることも出来ない。悪路をはしる馬車はスピードを上げ、湊は定期的に体をゲージへぶつけながら檻を見まわした。微かに射しこむランプの光に影が浮かび、小さな子供や女性がうずくまっているのが見えた。女の人がしくしく泣いていると、激高した御者が棒で檻をたたく。拉致された人々は息をころし暗闇へ身をひそめ、絶望感がただよう。
湊のとなりにいた少年の光に透けた瞳が印象的だった。この先の運命を知っているかのように感情のこもらない目を湊は見つめかえす。
ふいに少年の瞳が逸れた。正確には何かを目で追っている。少年の見ている方向へ視線をむけると、幌馬車の後ろから白い光りが入ってきて檻を横切った。
「妖精」
「えっ? 」
ふわりふわりと降りてくる光を見て少年がつぶやき、港は聞きかえした。
「静かにしろぉ! 」
悪路をはしる音より大きな声が聞こえ、賊がふたたびゲージを叩きビックリした妖精は飛びさった。しんとした荷台で車輪のきしむ音がひびく。
湊は光りが飛び去った方角を見ていた。小さくなった光に一瞬照らされた宵闇へ目をこらす。なにかが近づく気配に空気は圧迫され鳥肌がたった。ゲージのすきまから後方を見つめていたら脇道で闇が動いた。幌馬車の音にまぎれて土を蹴る音が聞こえる。
武装した人をのせた馬が暗闇から現れ、幌馬車の馬が嘶いた。
「襲撃だ! スピードあげろっ!! 」
運転席で賊は叫び、全力で走る馬車の両側をはしる複数の足音、檻のなかに囚われた者達は身を寄せあう。荷台は大きくゆれて若い女が悲鳴をあげた。前方へ視線をうつした刹那、御者の頭へ矢が刺さった。
御者を失った幌馬車は走りつづける。このままでは暴走した馬に引きずられて荷台も倒れる。湊がそう思った瞬間、馬車の運転席へ誰かが乗りうつった。甲冑が鈍い銀色を反射し、わずかな明かりに照らされた目元がこちらを向いた。夜でも太陽のように輝く瞳が湊を射る。
「止まれっ! 」
鎧の男が手綱を操作すると、馬車は徐々にスピードをゆるめ停止した。幌馬車の後ろへ兵士が乗りこみ、檻のなかの女性がまた悲鳴をあげる。
「出ろ」
檻に囚われていた者達は馬車を降ろされ一箇所へ集められた。まわりを囲む兵士は、金属の平板を重ねた鎧をまとい口元を布で覆う。馬も湊の知るものと違って巨大で肉食獣のごとき獰猛な気配を放っている。
見上げるほど背の高い兵士は数人で話し合っていた。輪が解けて兵士たちが近づき、同乗していた令嬢はふるえたが紳士的に話しかけられて落ち着いた。
「帰りたい者もいるだろうが、これからヴァトレーネへ向かう」
檻の扉が開けられ再度入るよう促される。しかし手足の枷を外され、湊も縛っていた縄を解かれた。まわりの反応を見れば、安心した顔や笑顔で会話している者がいたので悪い方には向かわないだろう。
ゆるやかに走る馬車の周囲を兵士が護衛する。道の振動は減って乗り心地も快適になった。ゲージへもたれた湊は目を閉じてしばしの安息を過ごす。
「――お兄ちゃん、街だよ」
服のすそを引っぱられて瞼を開けると、少年の目がこちらをうかがう様に見ていた。道の脇には光源が設置され、馬車の周りは明るく照らされている。
「開門!」
前方で兵士が声を張り上げ、そびえる塔に挟まれた大扉が重い音をたてて開いた。幌馬車は幅広い川沿いをまっすぐ進み、山のふもとに四角い石でつくられた建物群が見える。
拓けた場所にある大きな建物のまえへ停まった。馬車から降ろされ皆の後をついて行けば、神殿のごとき石の柱がたつ巨大な建造物だ。なかは石造りの部屋がいくつにも別れていて、案内された部屋で待たされた。
「1人ずつ調書をとるから、ここで待て」
木製の長イスが置かれた部屋へ押し込まれた。クタクタだった湊は横になって休みたかったけれど、緊張して周囲を観察する。出入り口で屈強な兵士が見張り、逃げるのは無理そうだ。腕や胴が2回りも3回りも太く、湊は思わず自身の腕と見比べた。
脇腹に重みを感じて見ると、起こしてくれた少年がもたれ掛かって寝ていた。見た目は7~8才くらいだろうか、起こさないようにそっと見守る。
「兄弟か? 」
「いいえ、ぐうぜん乗り合わせて……」
「そうか……坊主、起きられるか? 」
目をこすった少年は体を起こして頷き、声をかけた兵士について小さな部屋へ入った。まもなく湊にも声がかかり小さな部屋へ連れて行かれる。
石壁にかこまれた狭い部屋は、木製の机と椅子だけの簡素な場所だった。机のランプが正面に座る兵士を照らす。
太陽のような黄金色の瞳がロウソクの炎でかがやいた。口元の布を外した顔は端正で、ギリシアの彫刻像に西アジア人が混成したエキゾチックさがあって、湊が口を開けたまま見とれるほどハンサムな男だった。
「うぅむ、ひどい顔だな。ヒギエアを呼んでこい」
湊が口を開けたままなのは殴られた後遺症だとでも勘違いしたのか、目の前の男は出入り口に立っていた兵士へ声をかけた。時間を置いて白い布をまとう女性が入ってきて、湊の顔をキレイに拭いてから触診する。乳鉢でアロエのような植物をすりつぶし、オイルと混ぜて塗った。
「これで腫れは引くと思います。しばらく様子をみましょう」
兵士へ挨拶をした女性は退室した。薬草の匂いのするヌルヌルの肌を触って顔をしかめていると正面の男が口をひらく。
「さて、お前の名は何という? 」
「秋津湊です」
「アキツミナトテス? 」
「アキツ、ミナト、です」
美しい男はふんふんと頷きながら、紙にペンを走らせる。ペンも湊の国では嗜好品でしか使われない先の尖ったガラスにインクをつけた物だった。書いている文字は見たことあるものの内容は理解できない。理由は分からないが、しゃべる言葉は理解できて通じる。
質問された内容に湊が答え、目のまえの男が書き記す。
「出身は? 」
「日本です」
筆先がピタリと止まる。首をかしげた男が場所を聞いてきたので、おそらく東のはしにある島国だと答えた。さらに首をかしげた男は東の端には島はないと言う。湊が驚くと男は地図を持ってこさせて説明した。あまり精細な地図ではないが、知っている大陸と形が異なっていた。
「東の端にかつてアトランティスという島があったとは聞いたが、日本という国は聞いた事がないな」
「アトランティスって……えっと」
たしか南洋だか西の大海に浮かんでいた伝説の島だが、架空の話だということは記憶にある。異なる地図や架空の島が出てきて、湊は頭が追いつかず混乱する。
「地図に無いなら身元不明か……。今日は遅いし、身の振りかたは後日考えよう」
眉をよせてこちらを見つめていた男は唸り、立ち上がって伸びをしたあと部屋を出ていく。
「えええ……」
ぽつんと残された湊は情けない顔で出入口を見つめた。