表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/68

暗転


 ヒギエアとアレクが目に見えない戦いをくりひろげる間、シハナに案内されてラルフの部屋を訪れた。窓の日差しがヘーゼルナッツ色の髪とまつ毛を(きら)めかせる。目元はあかるく照らされているのに眠ったまま、ベッドへ横たわった彼は芸術作品みたいで時をわすれ魅入(みい)った。


 2人の兵士を背負(せお)い川のなかで長時間()えたこと、蛮族(ばんぞく)との戦闘のくり返しで負担が()まり回復は数日かかると医者の見とおしだ。


 会えば()び起きてくれるかもしれない、心の片すみで考えていた湊はがっかりした。だけど眠るラルフの顔はとても穏やかで誰もいなければキスしたかった。




「せっかく訪問したのだから、風呂へ入って汗を流すといい」


 ヒギエアとの交戦がおわったアレクが湊を上から下までながめて言った。いまの湊はラルフといた時とはちがい、オイルで肌を清潔に(ととの)えるどころか何日もあたたかい風呂へ入っていない。

毎日テント近くの川で水浴び、チュニックは兵士の物といっしょに洗いヨレヨレ、おかげで服も髪もゴワついてる。とても貴族のまえへ立つ格好ではなかった。ラルフがいても同じように言われただろうかと苦笑した。


 ラルフの兄へ借りをつくるのは気が引ける。しかし嘲笑(ちょうしょう)されてる気がして恥ずかしくなった湊は脱衣所へ向かった。




「はぁ……」


 楽しみだった風呂なのに自然とため息がでる。


 こっちの風呂は地下が周辺の浴場とつながり、2つの浴槽とサウナみたいに熱気のこもる洗い場があって充実(じゅうじつ)してる。ヴァトレーネ邸の風呂は広いけど湯加減(ゆかげん)はぬるめだった。


「どうした? 脱がないのか? 」


 背後で聞き覚えのある声がして湊はうごきを止めた。


 この国の風呂文化はラルフのおかげで慣れたと思っていたが(あさ)はかだったようだ。服をぬぐ音が背後でするけど、うしろをふり返ることは到底不可能(とうていふかのう)


「君は風呂をたしなむ文化圏(ぶんかけん)だときいたが? 」

「そっ……うなんですけど緊張してしまって……」

「使用人に洗わせるから、はやくその服を脱ぎたまえ」


 アレクが不満そうに(うな)り、すっぽんぽんになった湊は体を(かく)す手ぬぐいを探した。


 心が()になるほど深呼吸(しんこきゅう)をくり返し、大理石(だいりせき)の浴場へ踏みだす。アレクはすでに洗い場の台へうつぶせに横たわっていた。樹木の(みき)のように雄々(おお)しく隆起(りゅうき)した筋肉と尻が視界へはいる。


「そこへ横になりたまえ」


 真横(まよこ)の台をすすめられて、ぎこちなくうつ伏せになった。見た目のりっぱな風呂係がオイルをゴシゴシと()り、湊はなるべく気配(けはい)を消して身をまかせた。目を閉じていればムキムキの風呂係も気にならない。


 目を()けたとき叫びそうになった。片肘(かたひじ)をつき台へ横たわるアレクはこちらを向いていた。黄金色の瞳はオイルを塗られた体のごとき煌めきを()び、男の象徴(しょうちょう)を隠そうともせず堂々と(さら)している。


 どうしてこんなに自信があるのかよく分からないが、とにかくすごい自信で湊は圧倒(あっとう)された。


 筋肉係――いや風呂係に体をひっくり返された湊はオイルかきのヘラを自身の手におさめ、この時ばかりは勝利した気分になった。怪訝(けげん)に首をかしげるアレクへ湊の国では体を洗うのにオイルは使わず、個々ですることなのだと説明した。風呂文化における日本と帝国のちがいだ。


「ほほう、庶民(しょみん)の家にも風呂があるのか……それは発達した文化だな」


 帝国には『風呂=文化』の認識(にんしき)でもあるのだろうか、うなる彼が足をのばせば風呂係は懸命(けんめい)にヘラかきをしている。風呂の話は尽きないけれど、アレクはどことなく危険な香りがして先進的(せんしんてき)な話はしないよう(つと)めた。


 ライオンの口から出てる噴湯(ふんとう)でオイルと汚れをながす。




 さきに浴槽へいったアレクは深いところを歩きまわっていたが、石段へ座った湊のとなりへ(ひじ)をかけた。水面下にリラックスした彼の雄々しい影が映る。


「本土の入浴場を見せたいものだ。天空へ届きそうな天井、趣向(しゅこう)()らした(かざ)りと湯の数々、読書に食事、文化と芸術を語ることもできる。ああ……そういえば、どこかで野菜を育てている老人も散財(さんざい)した大浴場を自慢(じまん)してたかな」


 腕を天井へかかげ語ったアレクは皮肉(ひにく)めいた顔で笑った。


「髪と目は黒なのに肌は白いのだな」


 とつぜん話題が()れて反応がおくれた湊はアレクに(つか)まってしまった。大きな猛獣(もうじゅう)が小鹿をもてあそぶように(たくま)しい腕に押さえられる。彼は熱さでピンクになった湊の肌をバラの花びらにたとえた。


「君はいろいろと面白そうだ。青くさいラルフではなく、私のところへ来る気はないかね? 心配しなくとも優しくしてやろう」


 たまには弟のものを(うば)い取るのも一興(いっきょう)と、アレクは高言(こうげん)する。湊はきっぱりと辞退(じたい)したが解放されない、ことわった数だけ興味をもたれる。石段のすみへ追いつめられ、傲慢(ごうまん)な猛獣と真正面(ましょうめん)から対峙(たいじ)する。


 アレクの声音が低くなりラルフについて語った。ラルフの母親は北の国から連れてこられた北方の光りと(うた)われる美しい女性、(ひと)しく父の血でつながり太陽のごとくかがやく弟はアレクにとって替えのきかない唯一無二(ゆいいつむに)の存在。


「わが家の栄光(えいこう)象徴(しょうちょう)だ。いまだにあの美しい髪を『蛮族』などと呼ぶおろか者がいる。私が皇帝の座を(ほっ)するのは、そのような(やから)を黙らせることができるからだ。君はラルフのために何ができる? その非力(ひりき)な腕でヴァトレーネを奪還(だっかん)してみるかね? 」


 力の化身(けしん)は湊のあごを持ちあげた。


「ヒバリのように鳴いて私を篭絡(ろうらく)すれば力を貸してやらぬこともない」


 ひくい声でささやかれて血の()が引く、だが湊は獅子を(にら)みつけた。力いっぱい両腕をつっぱね、ビクともしない(いわお)の体を押しかえす。


 もがく姿を見ていたアレクに(あざけ)られ、血がのぼった湊は彼を平手でうった。距離が近すぎて(かす)ったくらいだけど皇帝の座をねらう男へ危害をくわえた。後もどりできない状況に青ざめながらも全力で(にら)みつけると、アレクはついと口元をゆるめる。


「ククク、最初に会った時から()ねっかえりだと思っていたが、どんな事になるか理解したうえで反抗するのか。じつに面白いな」


 湊を解放したアレクは浴槽からあがり一瞥(いちべつ)する。


「……いまは弟とディオクレスを敵にまわす気はない。ここへの立ち()りを許可しよう、だが(おのれ)の立場はわきまえろ」


 身をひるがえしたアレクは浴室から去った。嵐が過ぎ呆然(ぼうぜん)とした湊はフラつきながら冷水のところまで歩く。脱衣所へ着いたところでダウンしてしまい、風呂係によって1階のソファーへ運ばれた。


 ヒギエアはケガ人のもとへ呼び出されていた。(あお)いでくれたルリアナはアレクに呼ばれて用事を申しつけられる。あますところなく力関係を見せつけられ(くや)しさがにじむ。




 屋敷を飛びだした湊はヴァトレーネの兵士たちがいるテントへ走った。カバンから差し入れを渡しラルフの状態を伝えたら、眼帯(がんたい)をしたツァルニは安心した様子で口をひらいた。


「……そうか良かった。ミナト、俺たちは前線へもどる」

「え……? 」


 ケガも完治してないヴァトレーネ兵は前線へかりだされる。大がかりな奪還作戦(だっかんさくせん)が立てられ多くの兵が動員(どういん)される。目的地の北城塞都市(きたじょうさいとし)には大型兵器が待ちかまえている。帝国は兵士による人間の盾も()さない作戦を遂行(すいこう)する気だ。


「そんな……人は使いすての道具じゃないんだ! 」


 (こぶし)(にぎ)りしめてノドの奥から声をしぼりだせばツァルニに頭をなでられた。肩を落としてテントを出るとシヴィルが待っていた。頭をかき(まゆ)をしかめながら笑うシヴィルは、いままで見たことのない表情だった。


「今度はさすがにダメかも……ミナトたちは生きのびろよ」


 シヴィルにも頭をなでられた。




「なにか……なにかか方法はあるはずなんだ!! 」


 走っていたらヴァトレーネが見える丘にいた。町は鎮火(ちんか)して、夕方の(かね)のようにカタパルトの稼働(かどう)する音がきこえる。


 空は黄昏(たそがれ)にそまり太陽は彼方(かなた)へしずむ、湊は唇をかみしめてヴァトレーネをながめた。




「「あっ」」


 目が合って同時に声をあげた。


 ヴァトレーネへつづく森のあいだから白い顔がこっちを見ていた。見覚えのある白いキツネ。おどろいて声をあげるとキツネは逃げ、湊はあとを追ってはしった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ