泥まみれの英雄
日が昇っては山の見張り塔をながめ、日が落ちては松明の灯る塔を見つめる。繰りかえす日々、ラルフのいない夜は長くてベッドの片すみへ丸まって眠る。
――――夢を見ていた。真っ白いオオカミのあとを追いかけ、光る街道をひたすら走る。見えない人々の嘆きや祈りが周囲から聞こえ耳を覆いつくす。
『こっち! 』
なんども叫びながら走った。知ってるような匂いがして湊の駆けぬけた後を追ってくる。
『そっちじゃないこっち! 』
「ラルフッ!! 」
叫んだ湊は身をおこした。さっきまで全速力で走っていたみたいに全身が汗びっしょりで心臓は波打ってる。
窓をあけてベランダへ出た。月あかりもない闇夜、東の空は青みがかっていた。
空をながめていると、塔で角笛が鳴らされ音階のある風が山あいへひびく。召集の鐘が叩かれ広場へ兵士があつまった。松明に照らされた広場は号令が飛びかい、それぞれ小隊にまとまってヴァトレーネの北がわへ走っていく。
ふたたび角笛が鳴らされ鐘の音とかさなった。鐘を叩きながら怒鳴る兵士の声が聞こえる。
「到着したぞぉっ!! 」
湊はベランダから身を乗りだした。北の兵舎でもたくさんの松明の火が動きまわっている。
息を切らせたミラが部屋へ飛びこんできた。ネグリジェ姿の彼女をおちつかせ、いったん部屋へ帰らせた。部屋のランプへ火を入れ、湊も着がえて1階へおりる。興奮するミラに邸宅で待つように伝えて走りやすい通勤シューズを履く。
スレブニーは待っていた様子で鼻を鳴らした。馬具を装着し速足で走らせる。橋の手前で衛兵に止められたが指輪の紋章を見せたら通行を許可された。兵士がひっきりなしに行き来し、暗かった道は焚き木で明るい。
藍の地平線は白色へ変化して夜が明けようとしていた。
「もう少しだ! 止まらず進め! 」
避難してきた民と兵士に逆行して北の兵舎へむかう。そこらじゅう呻き声とつぶやき声がきこえ、憔悴した人々の落ちくぼんだ眼窩が松明に照らされた。荷車には負傷した人が乗せられていた。思わず手綱を引いて止まったけれど、スレブニーが鼻を鳴らしふたたび歩きはじめる。
ゆるやかな坂の先に兵舎が見えた。寝ていた兵士達も外へ出てきて誘導を手伝ったり、力尽きて座りこんだ人を介抱している。
北門から馬車に乗せられたケガ人や大勢の避難民がなだれ込む、渋滞しないように兵士たちは荷車を押す。土埃をかぶった集団は見分けがつかなくて湊は必死で目を凝らした。
「ミナト! 」
兵舎から走ってきたアーバーが叫んだ。ヴァトレーネ兵が見当たらないと嘆いたら、追撃を阻止するしんがりだと彼は答えた。
「とにかく人が多いんだよ、運ぶ馬も足りない! ミナトも手伝ってくれ!! 」
最後尾を門へ入れるには人の列を捌いて渋滞を解消することが先決、アーバーが馬を貸してほしいと頼むので湊はスレブニーからおりた。足を止めて動かなくなった馬と入れかえ荷車のベルトを装着する。
「スレブニー、運べるかい? 」
スレブニーは言葉を理解しているように前足をかく。ラルフのことは気になるけど、避難した人たちを優先して誘導する。エリークより小さな子供を背負って歩く人もいて、馬車は負傷した民や兵が折りかさなって積まれていた。
橋をこえて広場へ着くと、待ちかまえた兵士がケガ人を運んでいく。ヴァトレーネの人々も手伝い、避難してきた人々は南の広場にあふれた。混乱を来さないようマルクスが兵へ指示を出している。
パン屋の窯から煙がのぼり、疲れきった人々はわずかな期待に顔をあげた。
荷車をはずした湊は橋を往復する。気づけば松明なしでも街道が見える明るさになっていた。ピストン輸送でスレブニーに疲れがみえたところで見張り塔の角笛が鳴る。
馬の嘶きが聞こえた。一騎の重騎兵が荷車の脇をぬけて広場へ到着した。兜を脱いだ兵士はマルクスのもとへ行き報告をおこなう。
疲労したスレブニーを邸宅の厩へ連れていく、休むのを拒否して足を突っぱねるので結局乗せてもらい北側へもどる。兵舎の前では食堂の親父がありったけの炊きだしをしていた。
日がのぼるころ北門の鐘が叩かれ、北城塞都市の歩兵と騎兵隊が入ってきた。意識がなく馬へ寄りかかる者や矢が刺さりっぱなしの兵もいる。門衛が歓声をあげ、ヴァトレーネの騎兵が通過した。
武装した大馬は力強い足音を響かせ、泥と土にまみれた騎兵たちが門をくぐる。緋色のマントはすっかり汚れ、本来の色は失われていた。
「ラルフッ!! 」
さけんだ声は歓声にかき消されたが、黄金色の瞳はこちらを見つけ一直線に走ってきた。
湊はスレブニーの手綱をあずけて駆けだし、馬からおりた男へ抱きついた。甲冑は硬いし泥だらけで生臭い、いつものラルフの匂いじゃないけど、どうでもよかった。
「帰った、ミナト」
黒髪へ顔をうずめたラルフがつぶやく。兵舎へ残っていたヴァトレーネ兵も集まり、周りをかこみ喜びの声をあげた。
「ラルフ様、先に広場へ」
現れたのは緊迫した表情のツァルニだった。肩当ては拉げ、馬も色が分からないくらい泥だらけだ。最後の追撃兵をしとめたシヴィルの隊は偵察をかねて山を迂回して後から帰還する。
北門の扉が閉まり、馬へ跨ったラルフはツァルニと南の広場へ向かった。
「シヴィル達の帰りは俺らが待ってるから、おまえもいっしょに行ってこい! 」
アーバーに背中を押され、スレブニーへ乗った湊はラルフたちを追いかける。
広場には港町の輸送馬車が到着していた。あちこちに小さな荷物を抱えてうずくまる者、大声で誰かを探しまわる者、片すみでぼうぜんとする北城塞都市の兵士、町はキャパシティをこえ混沌としている。まだ体力の残っている者は配給された水とパンを食べ、明るくなった街道をさらに南へ移動する。
邸宅まえにいたミラに事情を話しつつ、スレブニーを厩で休ませる。急ぎ引きかえせば、彼はまだ広場でマルクスと会話していた。
「作戦会議をひらく。マルクス、現在の活動を維持したまま隊長クラスを召集しろ。ツァルニ、兵を交代させて休憩と食事、それから――」
「はいっ、ガイウス・ウァレリウス・アッピウスです! 」
「ではアッピウス、君が今から北城塞都市の指揮官だ。陥落した時の状況を知る者を連れてこい」
相応に返事をした兵士たちは、それぞれの責務を果たすために行動を開始する。すれ違うツァルニは肩から血を流していた。呼びとめた湊は血どめと鎮痛作用のある薬草で作った薬をわたす。ツァルニはうすく笑って薬を受けとった。
ラルフへ声をかけたら峻烈な表情はやわらぐ、そのまま2人ならんで詰め所へ歩いた。




