戦火の足音
未明をまわり宙は夜明け色へ染まる。夜明け前なのに鐘が鳴った。ザワザワと煩い風が吹き、シーツをかぶった湊は身じろぐ。
ガタンッ、パタパタパタッ。
突如、慌ただしく走る音が聞こえ湊はとび起きた。階段をかけおりるとすでに甲冑をまとうラルフが1階にいる。見まわり時の軽装ではない重装備だ。
「ラルフッ!! 」
「ミナトッ、北城塞都市が陥落した」
堅固な守りと謳われていた北城塞都市が落ちた。湊は動揺したが表情には出さずに話のつづきを待った。
北城塞都市へ残った最後の兵が抵抗しているものの、追撃の手が放たれ南へ撤退する民と部隊は後方から襲われている。敵の追撃を阻止して避難民を逃がす、ラルフはヴァトレーネの兵を連れて援軍にむかう。
湊は血の気が引いて膝が折れそうになった。かろうじて姿勢を保つと大きな手のひらに顔をはさまれる。ラルフの体温に包まれ唇のふるえは止まった。
「ミナト、私は彼らと共に必ずもどる」
力強くささやかれ勇壮な瞳と視線が交差する。湊は深くうなずき、大きな手に自身の手をかさねて見つめかえす。
「必ず帰ってきて、お願い」
黄金色の瞳は輝きをはなつ、湊の額へキスしたラルフは渡された兜をかぶって猛々しく踏みだす。
ヴァトレーネに滞在している兵士が広場へ徴集されていた。騎馬兵が隊列をくみ号令を待っている。重騎兵隊の先頭に黒鉄のツァルニがいる。スレブニーそっくりの山岳馬がたくさんいて弓を装備したシヴィルの姿もあった。
山岳での戦闘を得意とするヴァトレーネの兵を主力とし、重装備隊と軽装備隊にわかれ山の街道を北へ進軍する。
「マルクス、帰って来るまでヴァトレーネを死守しろ」
「はっ」
ラルフは横一列にならぶ兵の前を通りすぎる際、駐留する港町の指揮官へ町を守るよう命じた。整列した兵が注目するなか彼は声を張りあげる。
「聞け、わが同胞たちよ!! 未明に北城塞都市が落ちた。北の蛮族どもは逃げる人々をうしろから襲い、この地へ侵攻をつづけている。蛮族どもの暴虐を許すな! われらの民を守り、われらの力を見せつけろ!! 」
ラルフは緋色のマントをはためかせ鼓舞する。広場へ兵の声が轟き、重く大きな角笛が町全体をゆらした。
日の出が近づき、馬へ乗ったラルフは昇った太陽の光で黄金色にかがやく。
「わが名はフラヴィオス・ラルフ! 勇敢なる兵士たちよ、我につづけ!! 」
槍をかかげて雄叫びをあげる兵士もいた。シヴィルのいる軽装備隊が先行し、ツァルニとラルフ率いる重装備隊も出発する。石の道を削るくらいのひづめの音は市街地から遠ざかり、北門で出陣を知らせる鐘がなった。
町へ残った兵士はそれぞれの持ち場へもどった。広場へあつまった人々は興奮冷めやらぬ様子で輪をつくり話し合っている。広場を見つめる湊の心臓ははげしく波打ったままだった。
邸宅へもどった湊はルリアナに港町へ行くように促した。北城塞都市の避難民が多量に押しよせることが予想された。沿岸部の仮住居は完成してないけど、公共施設にいたエリークたちも港町へ移動しはじめた。
「ルリアナ、ラルフの許可は出てる。港町でシハナが待ってるから行くんだ! 」
迷う彼女の両肩をつかんで言い聞かせると、自分の部屋へ走っていき荷物をまとめた。ヴァトレーネ邸の使用人はもともと少ないが最低限の人数に留めた。労働力の不足は兵士が代わりに担う。
「ミラは避難しなくていいの? 」
「ミナト様、私はヴァトレーネ出身です。最後までここへ残ります。当然、使用人も続けますわ」
かたい表情のミラは両手を握りしめた。湊はラルフに代わって礼を言い、彼女の両手を包みこむ。
夜が明けスレブニーへ乗った湊は、町の住人や兵士をケアをできるように隅々を見まわった。北側にいた兵の家族は家財道具を南へ移動させ、兵舎の親父は変わらず兵士たちへ料理を作っている。
「アーバー? 」
ヴァトレーネの兵士が風呂用の薪を荷車で運んでいた。目元しか見えない髭もじゃのアーバーはこちらを見て口元を嬉しそうに持ちあげる。
「ミナトォォ、石積んでたら腰やっちまってよぉ……。出陣できないし、情けないったらありゃしないぜ」
アーバーにも兵同士の摩擦がないか、現場で入用の物はないかとを尋ねる。ラルフやツァルニ、ヴァトレーネの兵士はほとんどいない、いま本当に必要な物資や意見を上層部へ届けるために町を巡回する。
「ありがとうアーバー! こんど君の沸かした風呂へ入りにいくよ」
「おいおい、詰め所の風呂は港町のヤツらが増えて、踏み潰されてるブドウの惨劇みたいだからやめとけ」
想像もつかないアーバーの返しがきて湊は笑った。公共施設にいた避難民はほとんど港町へ移動してひっそりとしていた。エリークたちの居なくなった避難所をまわり、残った人に困ったことはないか聞き意見をまとめる。
詰め所で港町の文官へ声をかけ、移動や物資の輸送を指示している人を探した。
待たされて奥の部屋へ通されると、緋色のマントを羽織った巨漢が目のまえへ立った。
「君が? ヴァトレーネの文官かね? 」
マルクスと名乗った兵士はラルフがヴァトレーネ防衛をまかせた指揮官だ。腰につけてる護身用の短刀が鈍く光り、相手の発する威圧感にたじろぐ。湊は息をのんだが背筋を伸ばしてマルクスと対面する。ラルフが帰ってくるまでヴァトレーネの人々を守り、帰ってきた人たちを迎えいれるという強い気持ちがあった。
書簡へまとめた文書を提出した。1日の消費量や予測した数をできるだけ具体的な理由とともに記し、たりない部分は口頭で説明する。最初はどこの馬の骨とも分からない異国人の湊を怪しんだマルクスも頷いている。
マルクスの目が手元でとまり凝視する。指輪をみた彼はとつぜん手をにぎって敬意を示した。
「貴方が誰かも知らず失礼した。必要なものは即取り寄せよう。このセクスティウス・マルクス、その指輪の紋章にかけて必ず用意すると誓う」
キャベツ爺さんの偉大な紋章に助けられたようだ。マルクスは文官を呼び、物資を調達する手つづきをおこなう。湊の指輪で封をされた書簡は早馬でディオクレス邸へ届けられた。
川ぞいに壁が驚異的な速さで建造されていた。石灰と水、本国から運んだ岩や火山灰をまぜてコンクリートのように木枠へ流しこむ。大型カタパルトも輸送され、弩砲とともに南壁へ設置された。鋼鉄の重機でもない人力木製のクレーンが弩砲を壁のうえへ持ちあげる。帝国の建築技術は異様に発達していた。
着実に戦の準備がととのい、不安と怖れがうずまき体の底からふるえがくる。ロマス帝国の建国者は軍神の子孫だと言いつたえがあったのを思いだした。
ディオクレスにもらった指輪をにぎりしめ、未だに帰らないラルフたちの帰りを待ち、いのる思いで川むこうの山脈をながめた。