食堂の親父、奮起する
なつかしい兵舎へ到着した。湊がこの世界へ来たばかりの時、ラルフに連れてこられた建物だ。いきなり拉致され檻へ入れられて、エリークに出会いラルフが現れた。思えば無事にたどり着いたものだ。
「ミナトじゃねえか!! 今迄どうしてたんだよっ、あああ~無事でよかったぁ! 」
「親父さんっ。南から帰ってきただけだし大丈夫だって」
日用品を倉庫へ収納して、細ながい壺を食堂へ持っていくと食堂の親父が出迎えた。毛むくじゃらの腕で抱きしめ、湊との再会を心から喜んでいる。エリークに会ったことを伝えたら、涙腺のゆるんだ親父はエプロンで目元を拭いた。
荷車から重い壺をおろし往復していると、顔見知りの兵士が手伝ってくれてホームへ帰ってきた気持ちになる。納品した物を親父は厨房の奥へならべる。
「それって調味料? 」
「港町の兵士の奴ら、舌が肥えてやがってなぁ。俺の料理が塩だけスープだって文句言うんだよ」
港町は様々な食材が集まっている交易の町、一般に普及している調味料の種類もヴァトレーネとはくらべものにならない。親父は駐留している港町兵士の食事に手を焼いている。力になれそうな気がした湊は親父へ助力を申しでた。
ラルフの屋敷で食べた物のほかに市場の食材や飲み物の味を覚えている。高級な食材は使えないが、それなりの物なら作れそうだ。ディオクレス邸の書庫で読んだ本にも、行軍の際に美味しい食事で兵士の士気をあげた話が記されていた。
さっそく提供するメニューを思案する。まず鍋を2種類にしてヴァトレーネの兵士が食べ慣れてるスープと、港町の兵士が好む魚醤を使ったスープを用意した。山育ちの人は敬遠するけど、海に近い町の人々はとにかく味付けに魚醤を入れる。日本人が醤油を使うくらい使う。
パンは皆共通してよく食べる。ヒマな時間に作る兵士もいるくらいだ。朝の麦がゆはミルクにチーズをおろし入れたメニューを増やす。
「チーズはまんま食った方が美味いだろ? 」
「まあまあ、ミルク粥の熱でほどよく溶けて美味いんすよ」
「そんなはず――うめえっ!? 」
湊の世界にもあるチーズリゾットの味わいをチーズ大好き野郎が気に入らないわけはない、チーズリゾット粥は親父によって即採用された。
港町の兵士は野菜もよく食べ、取りよせる量を増やす必要があった。ちょっと離れてるだけなのに食生活は異なり、むしろ野菜をほとんど食べないヴァトレーネの兵士が元気なことに疑問を呈す。
「俺たちの元気のもと? そりゃあコレよ! 」
不敵に笑った親父は豚の血が詰まったソーセージや茶色すぎる料理を見せた。独特な味のソーセージは湊も経験ずみ、茶色い物体は歯ごたえのある肉のようなものが煮込まれてる。口に入れたら食べたことのある味だ。
「レバー? 」
「レバーってか内臓全般だな。ミナトもこれ食べてりゃ大きくなるかもな! 」
「うへ~」
親父たちはビタミンも内臓から摂取する生粋の肉食だった。野菜をまったく食べない事はなく、豆や麦類は食べてる。だけど緑の野菜と繊維たっぷりの根菜が圧倒的に足りない。ゴボウやレンコンなどの根菜は煮れば美味しいけど、こっちでは木の根っこと言われて避けられそうだ。
ふだんの食生活が違えば味覚も異なり、親父のつくる料理に港町の兵士が反発するのは理解できた。しかし人間のいいところは美味しい物への順応が早いうえに記憶することもできる。
湊は親父へ料理見学を提案した。南の詰め所には港町からきた料理人が駐在していて、作り方や港町の人が好む傾向もわかるだろう。
「ああん? 港町の魚野郎に料理習えってぇのか? 」
「港町は魚だけじゃないですよ。それに相手は港町の料理しか作れないけど、親父さんが両方作れるようになったら、町どころかプラフェ州最高のシェフになれます」
「最高のシェフゥ? ……シェフってのは分からねぇがいい響きだな……いっちょうやってみるか! 」
負けん気の強い親父を丸めこむことに成功して、北兵舎の食事の質は格段に向上した。
しばし考えた湊は紙へ必要なリストを書きこむ。ボールペンのインクが切れ、インクをつけるタイプのペンを使用する。ワインに豆と小麦は備蓄たっぷり、干物魚や燻製して干した肉類、あとはキャベツなどの野菜に調味料うんぬん。
「ミナト、なにを悩んでいるんだ? 」
ベランダから声がしてラルフが入ってきた。
「ヴァトレーネと港町、兵士の食好みが違うから必要な物を考えてる」
「む……たしかにそれは重要だな」
隣へ腰を下ろしたラルフは湊のメモを見ながら唸る。せまいイスへいつも無理やり座るので筋肉に押される。夜は気温がさがる季節、となりのラルフは温かい。達観した湊はさいきん筋肉にも和むようになった。
彼はソファへかけていた羊毛布を湊へかぶせる。軍の様子を聞けば、ずっと気を張ると疲れるからメリハリが大切らしい。
「……俺ってなにか役に立ってるかな」
「じゅうぶん役に立ってると思うが? 」
納得できない答えに唇を尖らせたら、ほほ笑んだ黄金色の瞳が湊を見つめる。大人げない態度をとってしまい、気まずくなった湊はメモへ視線をおとす。
ラルフは鷹揚に腕をまわしてささやく。
「ミナトが家にいるだけで、私は1秒でも早く帰りたい気持ちになる。それだけでは不満か? 」
そっと吐息のように囁かれ耳先まで熱くなった。体を丸めた湊はコロンとラルフへ凭れかかる。起き上がれなくなったおきあがりこぼしは、ずっと凭れたままだった。