白いキツネ
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「秋津さぁん。俺おもしれー話、聞いたんすよぉ?」
湊が休憩所で自販機のジュースを見ていたら後輩が話しかけてきた。いっしょに喫煙所へ移動して、ザ・ブラック微糖と描かれた缶へ口をつけた。
「昨日、東口の外れにあるラーメン屋で食ってたら隣のオヤジが――」
「東口って、あのつけ麺の美味い店だろ? 」
「麺かためで濃いのが好いんすよね~」
スタイリッシュなケースをポケットから出した後輩は白い煙を吐きだした。塩辛い、脂っこい物が好きな上にタバコも加わり、さすがに健康の危機を感じたらしい。
「電子タバコに変えたんだ? 」
「健康診断、最悪っすよ。でもニコチンないと瀕死になるんで……秋津さんは完全に止めたんすよねぇ、スゲーなぁ」
「ずいぶん昔の話だよ、止めるまでが大変かなぁ……。それで? ラーメン屋でなに聞いたんだ? 」
「そうそう。ラーメン屋の先にある路地で、オバケ見たって言いだしたんですよぉ――」
後輩は店にいたオヤジの反応や話方まで詳細に語った。話しこんでいる内、休憩時間が終わり慌てて仕事へ戻った。
仕切りの向こうから聞こえてくる歓談、駅前でひびくハーモニカのブルース。流れてくる曲の名を思い出しながら鼻歌をハモらせる。若い頃はギターを奏でた時期もあった。歓楽街を過ぎて路地へ入るとシャッターの閉まった商店街だ。
木の葉も色づく季節だが、長雨で湿気をふくむヌルい風が吹く。道を歩くうちにワイシャツは汗ばみ上着を脱いだ。最近通いはじめたジムへ行く気分でもなく、いつもと違う道で帰路へ就いた。
目の前を黒い影が横切った。
猫のような黒い影はせまい路地をスルリと抜けた。湊は後輩から聞いた話を思い出し、数歩すすんで足を止める。学生の頃は同級生たちと心霊スポットへ行ったこともあるけど、そういった場所は苦手だ。
『影がふり向いて、そこに白い顔が――』
後輩の話が頭のなかを反復する。
湊は否定して、せまい路地へ足を踏みいれた。電球の切れかけた外灯がまたたき、鳥居が見える。ビルのはざまに朱の鳥居がならび、奥に小さな社があった。
「こんなところに神社あったっけなぁ? 」
敷地へ入り朱の鳥居が連なった所まで行くと、真ん中に黒い影が座っていた。どう見ても猫の後ろ姿だったが、尻尾は太くてフードをかぶっている。
ふり向いた影は白いキツネの顔をしていた。
「「あっ!? 」」
1人と1匹は同時に声をあげ、フードをかぶった狐は奥へ逃げた。湊もビックリしたが後を追う。しかしいくら走っても同じ景色はつづき、社は近くに見えてたはずなのに何時まで経っても着かない。
疲れてペースはおち、ぼんやり光っていた灯籠の明かりも点滅して消えた。いきなり真っ暗になって、得体の知れない恐怖に立ち尽くす。辺りを見まわしていたら、暗闇の先に光の射す場所を見つけた。
慎重に歩いていると割れた敷石へ引っかかり、バランスを崩して石階段を転げおちた。
「痛っっぇ!! 」
幸い3段の石段でケガには至らなかった。光の射す場所はすぐそこだったので、座ったままズリズリと石畳をすすむ。
光りの射す場所へでた湊は唖然とした。燦燦と照る太陽、見わたすかぎり緑の丘が広がっている。やや傾いた太陽は群生した森へ影をつくった。たしか会社から帰宅するために夜道を歩いてたはずだ。
「えっ? ウソだろ……」
頬を叩いてつねってみたものの夢から覚めない。スマートフォンを取りだし時間を確認すれば、時計の数字は文字化けして目まぐるしく変化をくり返す。見ていると数字は元にもどり、午後3時を指した。地図や電話を確認したが電波も繋がらない。
ガサガサ。
呆然と座っていたら、くずれた石垣の間へさっきの白狐が顔を出した。
「きゃっ」
「おいっ待てっ!! 」
目が合って狐はおどろき森へ逃げ、見失ってしまった。森の奥は暗く怖ろしい気配に鳥肌が立ったので引きかえす。もどって石垣を触れば本物の感触だ。すべりおちた階段の上には石の神殿が建っていた。かすかな期待を抱いて神殿へ入ったけど、天井や壁が崩れて表と同じような風景が広がっていた。
木影が東側へ伸びて空は陰る。まもなく夜がやってくる。
「どこだよ、ここ……? 」
しばらくの間、湊は状況をのみこめないまま石段でぼんやりしていた。照明もない遺跡で持ち物はカバンだけ、しかし建造物があるなら近くになにかあるかもと思い丘を下った。古い時代に造られた石の階段は、丘のふもとまで続いている。
湊の予想は当たり1本の道へでた。石を平らに均しただけの道に轍を見つけて胸を撫でおろす。モトクロスのように細い車輪跡は溝を作り、よく使われている形跡があった。
進む方向に迷ったけれど、遠い山脈から吹く風におされて歩きはじめる。
歩けど歩けど同じ景色がつづき、無情な太陽は滑るように降下していく。疲労でうなだれた湊の膝が笑う、こんなに歩いたのは都市部での大災害訓練に参加したとき以来だった。
「ムリだってぇ~の」
湊はたまたま見つけた道脇の小屋へ腰をおろした。扉もなく半分壊れている廃屋だが雨風はしのげる。ノドが乾きカバンを漁るとペットボトルの水と飴を見つけた。
「腹減ったな、はぁぁ……」
湊の住んでいた所ならちょっと歩けばコンビニがあったし、電車も車も途切れず走っていて人も多かった。スマートフォンを確認すれば午後6時を回ってる。電池も残りすくなく、このまま誰も見つからず遭難してしまうのではないかと溜息を吐いた。
電灯もない小屋のなか、甘い飴を噛みしめ横になる。目をつむっていたら耳へ振動が響いて、湊は小屋を飛びだした。夕闇で視界は悪いけれど、バスのような大型の乗り物が走ってくる。
「おーい! おおーい!! 」
湊が大声を出して手を振ると乗り物は近づく。しかし思い描いた乗り物ではなく驚嘆した。
「馬車!? 」
荷台を幌で覆った幌馬車だ。御者の1人が降りて目の前へ立った。見るからにガラは悪そうで、ニヤニヤした目付きが湊を品定めするように見下ろした。
「なんだぁ? おめ子供じゃねえのか」
子供どころか三十路をとっくに越えてる。相手は物語やゲームに描かれるような賊の風貌、髪の毛との境が判別できないくらい髭ぼうぼうの男が舌打ちした。一瞬ひるんだが見た目だけかもしれないので、湊はコミュニケーションを取ろうと試みる。
「あのぅ、よかったら町まで乗せてほしいのですが……」
眼前の男は目をまんまるにしてから笑った。
「へっへっへ。おぅい、この間抜けをどうする? 」
「その見た目は東のヤツだろ。なんか役に立つかもしれねえから馬車へのせろ」
もう1人の御者が声を発した直後、持っていた荷物を奪われ腕を引っぱれれた。戦慄した湊が足を踏んばったとたん殴られ地面へ突っ伏す。体格差がありすぎた。髪をつかまれて藻掻いたら、茶色い歯をむき出した男は毛むくじゃらの太い腕で湊を殴りつづける。
「おいっ、商品にならなくなるからその辺にしとけっ」
口の中が切れて息が詰まり、何度も咳きこんだ。制止の声が耳の端に聞こえた頃、湊の意識はなくなった。