空の神殿
上下水道は完備され、地下にはワインやオリーブ油をしぼって溜める貯蔵庫まである。宮殿をひととおり案内したラルフは湊を書庫へ連れてきた。上部がアーチになった窓は外の光をとりこみ部屋を明るく照らす。手記から歴史書まで様々な本がならび、ゆっくり読めるよう窓ぎわへ椅子が設置されてる。
「ディオ爺さんが集めた書物だよ。ここならミナトの国のことも分かるかもしれない」
わからない文字はあるけど簡単な書なら読める。本棚で手を彷徨わせた湊は妖精のことを記した本を取った。
専門書ではなく子供に聞かせるような童話や神々の話。天空の神殿にいる神々、森の乙女や山へ隠れすむドラゴン、手当たりしだい読んでみるものの人々の口伝えの物語。湊の世界へもどる手がかりは中々見つからない。
「ミナト、そんな本よりこっちの方がいいのではないか? 」
ラルフの手には『古代神官のアトランティス考察』や『海底二万デナリ』と書かれた冊子が握られている。戦術書や詩編くらいしか読まないラルフにとってアトランティス伝説は刺激的だったようだ。熱中しているラルフを後目に湊は屋上で頭を冷やすことにした。
「ラルフのやつ、本気で探すつもりあるのかなぁ」
両親に会えないのは気がかりだけど、こっちの生活にも馴染み寂しさは感じなかった。仮に帰る方法が見つかればラルフたちとは会えなくなる。湊は複雑な気持ちにため息を吐く。
大きなキャベツを抱えた人が歩いてきて立ち止まった。
「キャベ爺さ……じゃなかった。ディオクレスさん」
「多彩な言語を話し、遠くからきた不思議な男というのは、おまえさんじゃな? アトランティスの末裔かもしれんとラルフが吹聴していたぞ」
ラルフが懸命にアトランティス伝説を読んでいた理由がわかり、湊は間の抜けた声をだして項垂れた。
ディオクレスはかつて東の海にあったというアトランティスの話をした。海神の子孫が治める超文明の強大な国家。堕落して欲に目がくらみ、周辺国を支配して搾取した。周辺国の反撃にあい、さらに神々の怒りで海中へしずんだ古の島。要約するとこんな感じ、ディオクレスも実際に見たことがないので存在と是非は分からないらしい。
ラルフは純粋さゆえに信じているのだろう。純粋に信じる力は時に奇跡をしのぐ、しかしまっすぐ過ぎると周囲が見えなくなることもある。よくよく注意して見守るべきだとディオクレスは忠告する。
帝国の一線をしりぞいたディオクレスは、習わしに従い後継者たちを選んだ。後継者たちは頂の座へついた途端、賢人の言葉も聞かず互いに争いはじめた。
「権力に目がくらみ己の欲にまみれ、種のないスカスカのウリ頭のようじゃ! ワシの言う事なんぞ聞きやしない! 」
天へ向かって叫んだ爺さまは我に返り、咳ばらいしてキャベツを拾った。帝国の栄光もいまやむかし、互いに旗をあげて争い方々で分裂している。すこし萎れた顔つきの爺さまはキャベツを愛おしそうに撫でた。
ディオクレスの人差し指が、空の彼方にある雲のかたまりを指した。
「ときにおまえさん、あれが見えておるじゃろう? 」
指摘されて湊はおどろいた。ヴァトレーネへ来た時から見えていた天空の神殿、慣れてしまったのもあって今では視界のはしに映すくらいだ。見えてないと思っていた物の存在を知る人がいた。こぶしを握った湊はあれは何かと問う。
「あれはのぅ――――神殿じゃ」
「はあ」
可もなく不可もない答えが返ってきた。ディオクレスが気づいた時にはすでに存在していた。周辺のどの地域からも同じように見えるという。
「ワシやおまえさんのような者の目を精霊眼という。太古の人間は見て声をきくのが当たり前だった。帝国のはじまりの地を定めた時も神託に従ったのじゃ」
人々が声を聞いたのは大昔のできごと、天空の神殿は残っているのに神々はいない。消えた神々を呼び戻すためディオクレスは像をたて神々を祀ったが、終ぞ姿をあらわすことはなかった。帝国が存在するもっと昔、人間が存在しはじめた頃に姿を消したのではないかと爺さまは持論を展開する。
「人が祈った時代、多くの神々は神殿を去っていた。とにもかくにも神殿は空なのじゃ。しかしこの話をしようものなら、あやつらワシを狂人あつかいしおって!! 権力の誇示? 狂った老人!? ぐぬぬ!!……ふぅ……あやつらの事を考えると血圧が上がるわい」
深呼吸して落ちついたディオクレスはキャベツを抱え屋内へもどった。彼の様子から察するに帝国もいろいろ大変そうだ。湊が同じ立場なら胃に穴があいていたことだろう。
海風が吹いて寒くなった湊も屋内へ退避する。ふり返れば神々のいない空の神殿が佇んでいた。
書庫へもどるとラルフの姿は無い、ちょっとした休憩のはずが長い時間ディオクレスと語らっていたようだ。ラルフにはあとで謝ると決め、ふたたび本を調べる。本にはディオクレスが祀った神々のことが書かれていた。隣国と混ざりあった帝国の神話に聖獣の狼、戦神や太陽と月の双子のおとぎ話を読みふける。
窓から照らす光は移動して斜陽になった。
時を忘れて本を読んでいた。じき夕食の時間、湊は冊子を返却してゲストルームへいそぐ。部屋の前へ待機していた使用人に新しいチュニックを渡された。帝国の貴族は身綺麗にしてから夕食へ参加する習わし、さきに風呂へ入る。
使用人の後をついていくと、町の風呂場くらい広々とした浴場へついた。服を脱いだそばから使用人が受けとり畳んでカゴへ入れる。世話されることに慣れない湊はいちいち礼を言いながら身ぐるみを剥がされる。四角く囲われたトレーニング場で運動してるラルフの姿が見えた。1枚の布を手にした湊は一直線に浴室へ向かった。