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望郷


「ニシシシ~、で~? 」


 チェシャ猫顔まけの三日月(みかづき)形の口元が笑い、目をランランと輝かせたシヴィルの顔があった。


「何もない。ラルフと風呂入ってメシ食っただけだって」


「僕は誰となんてひと言も聞いてないし~」


 最初は無視していたが、シヴィルのニヤついた顔がずっと視界へ入り観念した。持っていた木ペンに力を込めすぎて粘土板(ねんどばん)へ穴があく。


「シヴィル! ムダ話をせず集中しろ、エリークを見習え」


 講師のツァルニから激しい叱咤(しった)がとんだ。本日の兵士の授業は算数、湊にとってはかんたんな計算だが帝国の数字は表記のしかたがむずかしい。吸収のはやいエリークは優秀な生徒になりつつある。


 唇を尖らせたシヴィルが粘土板をこねていると、仁王立(におうだ)ちのツァルニが付きっきりで教える。




 授業がおわりエリークとシヴィルは部屋を飛び出していった。粘土板相手に頭を抱えていた兵士たちもぞろぞろ歩いていく。


「ミナト、ちょっといいか? 」


 粘土板を回収していたツァルニが声をかけた。後をついて書斎へ行くと、先ほどの問題を出題された。容易(ようい)なものはリンゴの絵が描かれ、足したり引いたり数を記入する。解答したら新しい粘土板が用意されて数字だけの問題になった。複雑な数字の書きかたに苦戦しながら終えれば、ツァルニは粘土板を見つめている。


「全問正解だ。ミナトは算術が得意なのだな? 」


 得意ではないけど、学校教育の賜物(たまもの)でそれなりにできる。ツァルニはしばし沈黙した後、管理の仕事を手伝わないかと申しでた。もちろん賃金が支払われる条件つき。


 数学を哲学のように追及(ついきゅう)する人や商人もいるけど、公共学校のないロマス帝国では基礎的(きそてき)な学力を持っている者は少数、大都市では人材に困らないがプラフェ州のような辺境(へんきょう)の地では探すもの大変な様子だ。

収入と支出、軍備や食料の在庫管理(ざいこかんり)もろもろ()げたらキリがない。ツァルニもラルフから与えられた仕事をしてるが、軍の上官なので他にもする事はたくさんある。




 誠実(せいじつ)な上司と出来そうな仕事。サラリーマン――もとい無職の湊は、ツァルニの提案に飛びついた。




 昼食後、兵舎の地下にある倉庫へ同行した。ひんやりした場所へ多量の木箱が積まれてる。


「さっそくだが、この項目(こうもく)にある物の数を調べて書斎へ来てくれ」


 ためしに簡単な仕事を任された。数え終わったらツァルニの書斎で数を書きいれ、前回数えたものからどれだけ減っているか計算する。管理ソフトも電子計算機(でんしけいさんき)もない世界、ひたすら地味(じみ)な作業をおこなう。


「終わりました」

「早いな」


 目録を受け取ったツァルニは確認してうなずく、めでたく採用された湊は仕事内容の説明をうけた。いまはエリークたちと文字の読み書きを学んでいるため、勤務時間などは交渉する。




「ツァルニ、聞きたいことが……ラルフって、誰にでもあんな感じなのかな? 」


 ラルフとつきあいの長そうなツァルニに邸宅へ呼ばれたできごとを話した。貴族なのに庶民と気軽に会話し交流する。邸宅で向けられた目や言葉は、湊だけの特別なものではないかもしれない。


「貴族というのは接待や交流も仕事のようなものだ。どうした? なにか嫌な思いをしたなら、俺から言っておくが? 」


 どうしてこんな事を聞いたのだろうという要点のない質問、唐突(とうとつ)に質問されたツァルニも怪訝(けげん)な顔でかえす。湊はあいまいに笑って嫌なことはされてないと否定した。






「ですよねー」


 街道を歩きながらつぶやく。


 木陰(こかげ)のあいだを川がぬって流れる。馬で走ったらすぐだけどスレブニーは軍の所有馬(しょゆうば)で好きな時には乗れない。何度か(かよ)って覚えた道をのんびり進めばヴァトレーネの街が見えてきた。


 昼時の客足は食事処へ集中して、商人たちも店先で茶を飲み談笑している。


「オニイサーン! 」


 店頭から呼びこみらしき声がした。フェルトの三角帽(さんかくぼう)に灰色の綿毛(わたげ)ヒゲ、タルみたいに転がりそうな体型はナディムだ。


 再会を喜ぶと座談会(ざだんかい)へ招待され、丸いテーブルで茶をいただく。ナツメグや小麦粉をバターで練った焼き菓子はナッツをふんだんにはさんでる。砂糖を煮つめたシロップもかかり、()げ目のついたサクサクの生地はパイのようだ。


 この世界の甘味はハチミツもあるけど砂糖はさらに高価。ナディムにもらった黒糖をエリークへ渡した(さい)も周りへ見せびらかすほど喜んだ。


 スィーツの少ない世界で甘くホロリとくずれる食感を味わう。




「そういえばロバ見つかりました? 」


「見つからなかったよー。きっとボクの厄災をせおって山へ帰ったんダネ」


 不運にもなにか理由があるのだとナディムは笑う。話が(はず)むうちナディムの左目がひっくり返ったが、何事もなかったように指で目の方向を変えた。


「おどろいたでしょ。むかしカミサマにあげたから、左は義眼(ぎがん)なんだよ」


 あんぐり口を開けた湊の前でナディムは左目を取りだし、グラスの水で洗って()いた。象牙質(ぞうげしつ)の眼球にはカンラン石細工の瞳がはめ込まれてる。あまりの精巧(せいこう)さに感嘆すれば、彼はほがらかな笑顔で左目をもどした。


 行商人(ぎょうしょうにん)のナディムはさまざまな場所を訪れる。国境沿(こっきょうぞ)いの紛争地帯(ふんそうちたい)を命からがら通りぬけた話も口から飛びだした。


「よく無事だったなぁ、ナディム! 国境沿いで北の野蛮人(やばんじん)どもに出くわすと、商品を持って行かれるどころか殺されちまうよ。やだねぇ~」


 他の商人が口をひらき(なげ)いた。


 ヴァトレーネの山を()え、北城塞都市をさらに北上すれば極寒(ごっかん)の大地がある。季節のほとんどは雪に閉ざされる。作物もロクに育たないため、そこへ暮らす者は周辺を襲い略奪(りゃくだつ)をくり返しているという。彼らも荷を運ぶのは命がけのようだ。


 ナディム達と別れて町の中央に()かる橋へ足をのばす。


 橋からのながめは美しく、スマートフォンを取りだして川の両側へ広がる街なみを写した。なるべく使わないようにしていたが、まもなく電源も入らなくなる。


 ふと故郷を思いだして(なつ)かしさにひたる。




「どけっ、どけぃっ! 」


 けたたましくひづめの音が橋の歩行者を()ちらす。杖のお爺さんが転んでしまい、湊は飛びだして大声で馬を制止した。


小生意気(こなまいき)な異国人め、我らを足止めするとはいい度胸(どきょう)だっ」


 ヴァトレーネの兵士と似ていたが見たことのない顔だ。近づいた兵士は湊の胸倉(むなぐら)をつかんで持ち上げる。横暴(おうぼう)な兵士は(ぞく)と変わらない、殴られることを覚悟した。


「通行の許可はしたが、そんなことまで許した覚えはない」


 橋の向こうから低いうなり声が聞こえた。昨晩のラルフとは別人、獅子のごとき髪をなびかせた男が獰猛(どうもう)に牙をむく。黄金色の瞳に(にら)まれた兵士は身動きができなくなり直立不動になった。


「……北の情勢で神経質になるのはわかるが、次は見逃(みのが)さん。もう行け」

「はいっ、わかりました」


 横暴な彼らは北城塞都市(きたじょうさいとし)の兵士だった。姿勢を正して返事した兵士は馬を走らせ橋またたく間に去った。歓声をあげた通行人が周囲へあつまる。ラルフは怖い顔のまま歩いてきて湊のケガの有無(うむ)を確かめる。


「大丈夫かミナト」

「ラルフ、お爺さんが……」


 無傷だったお爺さんは口をモゴモゴさせて礼を言った。通行人はラルフを称賛し、なぜか湊も握手(あくしゅ)を求められる。騒ぎを聞きつけた人々が集まったため、急いで人けのない場所へ移動する。




 午後の日ざしも(かたむ)いた川の小道、なにを(しゃべ)ろうか悩みながら並んで歩く。ふと視線をあげると、ラルフの髪が()けて瞳と同様の黄金色にかがやいた。しばらく見とれていた湊はポケットへ手を突っこむ。


「ラルフ、そのまま! 」


 スマートフォンを取りだした湊はラルフをカメラへおさめた。太陽のごとき男が一瞬(いっしゅん)うつり画面はすぐに落ちた。カシャリという音をのこし、以降(いこう)電源が入ることはなかった。


 写真を見かえすこともできず、残念な気もちで暗い画面を見つめる。




「……ミナト、自分の国に帰りたいか? 」


「えっ? ……うん……そう……かな」


 『元の世界へ帰る』は湊の目標だった。ラルフが協力してくれたらありがたい、なのにちっとも嬉しくないのは何故(なぜ)だろう。


「こんど港町へ行く、ミナトもいっしょに行かないか? 」


 港町もラルフの管轄地だ。ヴァトレーネより大きくロマス帝国の主要な街道がある。沿岸部(えんがんぶ)にラルフの祖父の友人が()て、不可思議(ふかしぎ)な話にも精通している。


 ラルフの出身、ロマス帝国には興味があった。湊は複雑な思いを抱きつつ共に行くと返事した。




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