INFECTED PROVIDENCE#1 /1
カチカチとコントローラーのボタンを押す音が薄暗い部屋に響く。
〇〇年代のロックミュージックが延々と流れる中、ヤオは擦り切れた革張りソファに腰掛け、ひとり退屈そうにテレビゲームをプレイしていた。
プレイしているのは三十四年前に発売された忍者アクションゲームだ。
3Dアクションでありながら、落とし穴や水面に落下するとゲームオーバーになる仕様となっており、難易度は高い。空中をダッシュしたり、壁を伝い歩いたりすることも出来るが、操作を誤って落下死することも多く、ヤオは先ほどから濁流が渦巻くステージでミスを繰り返していた。
「クソッ……」
空中ダッシュの距離を見誤り、操作キャラクターが再び濁流に落ちていく。和風の効果音と共に表示されるゲームオーバー画面はこれで何度目になるだろう。
ヤオはコントローラーを机に置き、食べかけだったテイクアウトの中華に手を伸ばした。
すっかり冷めた炒飯は乾いた米の塊と化していたが、食べられる分には問題ない。どのみち今は味など大して分かりはしないのだから。
「なんだよ、またそのゲームやってんのか」
薄暗い廊下からカップ麺を手にしたリカルドが姿を見せる。
ヤオは固まった炒飯をスプーンで崩しながら、部屋に入ってくるリカルドを切れ長の目で追った。
「メディアが入ってたからそのままプレイしただけだ」
「そういや最後にやってたのもこのゲームだったな。……ん、よく見たら五面まで行ってんじゃねえか。三面の蜘蛛は平気だったのか?」
「あれくらいデカいなら問題ない」
「基準がよく分かんねえなあ。デカい方が気持ち悪くねえか?」
「小さいのがワラワラいる方が気持ち悪いだろ」
「そういうもんかね」
リカルドは擦り切れた一人掛けソファに身を沈め、カップ麺をテーブルに置く。隣に置いたハンドヘルドデバイスにはタイマーの残り時間が表示されていた。
「にしても、ロトスの件があってから傭兵連中がそわそわしてやがんな。ウチみてえな弱小ガンショップが盛況なんて異常事態だぜ」
「稼げるんだからいいだろ」
「俺は趣味でやってっから、忙しすぎるとそれはそれで違えんだよな。一見客の相手も面倒くせえしよ。お前だって俺がいねえと寂しいだろ?」
「別に」
「可愛げねぇなあ」
リカルドは苦笑しながらサイドテーブルに手を伸ばし、並ぶ酒瓶の中からジンを取り出す。それを二つのグラスに注ぐと、一方をヤオの前に置いた。
「……で、お前はどうすんだ?」
ヤオは炒飯の塊にスプーンを突き立て、差し出されたグラスを手に取る。
「どうするって、何が」
「ババヤガ討伐任務だよ。やるのか?」
ババヤガ――その単語に、グラスを口元へ運ぼうとするヤオの手が一瞬だけ止まった。
だがリカルドはハンドヘルドデバイスの通知に気を取られ、ヤオが動揺を露わにしたことに気づいていなかった。
「……やるも何もまだ募集すらされていないだろ。ババヤガ云々だってあくまで噂だ」
「けどよ、実際にババヤガを見たって言ってるやつは少なくねえぜ。そもそもストラースチが《アルケーの火》を壊滅させられるとも思えねえよ」
「だから化け物が魔法使いどもを皆殺しにしたと? その方が非現実的だろ」
「んだよ、じゃあお前はババヤガ討伐に参加しねえのか?」
「やりたい奴がやればいい。俺は化け物退治には興味がない」
「ったく、相変わらず冷めてるっつーか欲がねえっつーか……まあ、お前らしいけどよ」
どこか嬉しそうにグラスを傾けるリカルドとは対称的に、ヤオは機械じみた無表情を貫いている。普段から感情を顔に出すことは少ないが、今の彼の表情には内心の動揺を必死に覆い隠そうとする緊張感が滲んでいた。
一週間前、ロトス島ノヴォヴィチキ地区で複数名の男女が惨殺される事件が発生し、その直後にロトス島地下鉄道網で魔法使いの大量殺戮が行われた。
NPCIは事件をストラースチによる《アルケーの火》への報復と断定し、現在は凶悪犯罪捜査課ではなく組織犯罪課が捜査に当たっている。
しかし〝犯人〟が逮捕されることはないだろう。
パシフィカ政府は今回の件に対し不干渉の立場をとり、持ち込まれた兵器に関しても見て見ぬふりを決め込んでいるようだ。
だが、いくら情報統制を敷こうとも、実際に〝獣〟を目にした人間の記憶までは改竄できない。SNSでは〝獣〟の噂が瞬く間に広がり、僅か数日でババヤガという名前を得るにまで至っていた。
現在、《アルケーの火》を壊滅させた英雄であるはずのストラースチは不自然な程沈黙し、代わりに黒山幇が明ノ島のフィクサー達に傭兵の招集を依頼するなど、怪しい動きを見せている。
出所は不明だが〝黒山幇はババヤガを討伐しようとしている〟――そんな噂がまことしやかに囁かれるようになり、ここ最近のパシフィカの裏社会は大仕事の気配にざわつき始めていた。
傭兵達が獣狩りに備えている一方、当の〝獣〟は行方を眩ませている。B&Bですら〝獣〟の居場所を特定出来ていない。
それが良いことなのか悪いことなのかヤオには判断できなかった。
――何も見なかったことにできればどんなに良いか。
――そんなものはいなかった、と済ませられるのであればどんなに幸福か。
だが、〝獣〟の傷跡はパシフィカに深々と残り、〝獣〟の残り香も消えることがない。傭兵連中が沸き立てば沸き立つほど、あの日目にした〝獣〟の素顔が確かなものになっていく。
悪夢から滲み出してきたかのようなあの光景は、ヤオの精神を少しずつ、しかし確実に蝕んでいた。
「そういや、またいくつか映画見つけてやったぜ。これなんかいいんじゃねえか」
めいっぱいに腕を伸ばし、リカルドはラックに積んであるメディアケースの中から目当てのものを探す。
その光景を眺めながら、ヤオはグラスの中のジンを一気に呷った。蠢くような焦燥を酒で無理矢理押し流そうとしたのだが、胸のざわつきと不快な頭痛は収まるどころかますます大きくなるばかりだった。




