EBB TIDE#2
〝魔女狩りの夜〟から一夜。
パシフィカは何事もなかったかのように日常を取り戻していた。――一部の者達を除いて。
《アルケーの火》の魔法使い達が虐殺された事件は、表向きはストラースチの構成員らによるものとして処理され、魔女殺しの獣の存在が一般市民に知れ渡ることはなかった。
SNSなどでは〝ストラースチは厄介なテロリストどもを片付けてくれた英雄〟という声まで挙がっている始末だ。そのストラースチが《アルケーの火》を長らく支援していたとも知らずに。
現在、魔女殺しの獣は行方をくらまし、ストラースチも一切の動きを見せていない。首領であるヴォルコフが一切面に出てこないことから何か問題が起きているのではと推測されているが、詳細は不明だ。
魔法使い達が虐殺されたこと以外パシフィカには何の変化もない。まるで嵐が去った後に訪れる晴天のように、普段通りの一日が始まりを告げた。
だが、更に巨大な嵐がすぐそこまで迫っているように感じる。
このままで終わるとは思えない――それは、今回の事件を知っている者全員が考えていることだった。
「……シャロンが目を覚ましたそうです」
シモンの強ばった声が部屋の中に響く。
アジトのブリーフィングルームに集まっていたトウコとシャロン以外のメンバーは、疲労と安堵の混じった溜息を漏らした。
「状態はどうなの?」
真っ先に口を開いたのはローラだ。
彼女はこの一晩の間、誰よりもシャロンの身を案じていた。ヤオと共にシャロンを拾い上げた人間として、〝アンドレア・アーベル〟という少女に責任を感じている部分があるのだろう。
「まだぼんやりしているものの、会話は出来るとのことです」
「そう。……よかった」
「本人は今すぐにでも任務の報告をすると言っているようですが、しばらくは入院でしょうね。今後、後遺症が出る可能性もゼロではありませんし」
「当たり前でしょ。ベッドに縛り付けてでも休ませて」
「安心してください。そのつもりです」
シモンはいつもの軽薄な笑みでもって答えたが、その目はまったく笑っていなかった。
シャロンは現在マクセル島レイウッド地区にある病院に入院しており、今はトウコが傍についている。傭兵が多いパシフィカには〝金以外の一切を要求しない〟病院がいくつも存在しており、レイウッドの病院もそのうちの一つだ。いわゆる闇医者なのだが、下手をすれば島立病院より設備が充実している場合もあり、ジェスル島の金持ち連中にも利用されることがあるのだという。
ヤオのバイクがレイウッドの病院に到着したとき、シャロンはすでに意識を手放していた。それでも、両手はしっかりとヤオの腰を掴んでおり、その生への執念が結果としてシャロンの命を繋ぎとめた。
小腸の破裂や背骨の破損といった重篤な外傷もあったが、最も深刻だったのは脳へのダメージだったらしい。医者曰く〝脳神経がショートしたかのような状態〟だったとのことだが、とにかく碌な状態ではなかったのだろう。
それでもシャロンは生き延びた。魔女殺しの獣と対峙してなお、死を回避した。
このパシフィカにおいて、それは十分すぎる戦果だ。
「ヤオさんはどうですか?」
突然話を振られ、ヤオは珍しく目をぱちぱちとさせた。
「どうって、何が」
「怪我ですよ」
「あ……? ああ。問題ない」
「本当に大丈夫ですか? ヤオさんもぼんやりしてますけど」
「腹が減ってるだけだ」
「ついさっき休憩室で朝ごはんモリモリ食べてたじゃないですかぁ」
「あの程度じゃ足りない」
「いやあ若いって羨ましいなあ」
ヤオは何も言わず、再び視線をテーブルの上へと固定させた。その目の下にはいつも以上に色濃い隈が浮かび上がっている。
シャロンを病院に担ぎ込んだ後、ヤオはアジトでずっと待機していた。途中でローラもアジトへと姿を見せたが、それでも彼が仮眠室で休憩を取ることはなかった。
シャロンに何かあったとき、すぐ動けるようにしていたというのもある。
だがそれ以上に大きな理由は――。
「……アレ、ウチとしてはどういうスタンスをとるわけ?」
口を開いたのはロサドだ。
基本的に笑顔を絶やさない男だが、今日は珍しく口の端を下げている。ヤオと〝兵器〟が戦闘になったと耳にしてから、彼はずっと不機嫌そうだった。
「アレというのは?」
「ゾンビ野郎のことだよ」
「ああ、例の〝兵器〟ですか。別にいつも通りですよ。依頼が来ればそれをこなす。来なければ何もしない。……ですが、ウチは出来る限り受けないつもりでいます。それが通用するかどうかはさておき」
「面倒くせえ仕事は大体ウチに来るんだよな。めんどくせ」
ロサドはソファーの背もたれに両腕を広げ、天を仰いだ。
「しかも、情報によれば黒山幇が妙な動きをしているみたいですからね。余計面倒臭いことになりそうです」
「うええ、最悪じゃん。つーかなんで黒山幇?」
「さあ……。ストラースチがごたついてると見て、仕掛けようとしているのかもしれません」
「余計なことすんなよなー」
「というわけなので、みなさんすぐに動けるようにしておいてください。どんな任務が流れてくるか分かりません」
ロサド、ローラ、キーンの三人は上司の命令に端的な返事を返す。
だが、ヤオだけは返事をしなかった。
「ヤオさん、聞いてます?」
「……ああ」
「だいぶ上の空ですけど、そんなにシャロンのことが心配なんですか?」
「別にクソガキのことは……ああ、いや」
口元に手を置き、ヤオは少し思案してからシモンを見た。
「そうだ」
「ヤオさんって結構嘘が下手ですよね」
「…………」
反論はない。
ヤオ自身、嘘が下手だという自覚はあった。
「――それは、個人的なことですか?」
ふと投げかけられた意味深な問いに、ヤオは面食らったように目を見開く。
シモンの問いと視線が何を意味しているのかヤオはすぐに気づいた。だからこそ、ほんの少しだけ躊躇が滲んだ。
あれを〝個人的なこと〟と言ってしまえば、それはもう認めるも同然だからだ。
それでも――。
「……個人的なことだ」
「そうですか」
シモンは溜息と共に目を伏せる。
ほどなくして瞼を上げた時には、いつもの軽薄な笑みを取り戻していた。
「ぼんやりするのもいいですが、任務に支障を来さない程度にしてくださいね」
「分かってる」
黒曜石のような瞳が再びテーブルの上へと向けられる。何も映し出していない、ただの天板の上へ。
ヤオは先ほどからテーブルを見つめているわけではない。そもそも、ここにあるものを見ていない。
昨晩、目にしたもの。
〝魔女殺しの獣〟の素顔。
あれは――。
「――何も、問題はない」
その一声は、迷いと困惑に揺れていた。




