EBB TIDE#1
病院の仄暗い廊下は静寂に包まれている。
近くにはナースステーションがあり、スタッフの話し声が常に聞こえてくるが、何故だか随分と遠い場所から届いている気がしてならない。まるで自分たちが水中の深い所にいるかのように。
集中治療室近くのベンチに腰掛けているのは、NPCI凶悪犯罪捜査課の捜査員であり、エディの同僚であるフレッド・マスダとアリシア・パーカーだった。
アリシアはブラッドリーチームの紅一点で、情報分析と現場捜査の両方をこなす才媛だ。フレッドと共にオフィスでデータ分析をするか、あるいはボスであるブラッドリーのサポートに回ることが多く、エディとパットの二人と行動を共にすることは少ない。
目鼻立ちがはっきりしたクールな女性で、澄んだ青い瞳は強さと誠実さが感じられる。けれど今ばかりは、その瞳は不安と怒りによって曇っていた。
二人がじっと見つめているのはガラス張りの一室だ。その中にはいくつかのモニタがあり、ベッドに横たわって動かない人物のバイタルを常に表示し続けている。ふたりはこの場所に足を運んでベンチに腰掛けてからずっと、心拍数の値がゼロになっていないかどうかをじっと見つめ続けていた。
今から四時間ほど前、エドワード・オランジュがイーストヘイヴン島の病院に運び込まれた。
何者かによる通報があり、救急隊がロトス島ユーリエフ地区に駆けつけたところ、教会の中で倒れているエディを発見したのだ。頭部からの出血が著しく、頭蓋骨に深刻な損傷があり、息があるのが不思議なくらいの状態だったという。
その後、三時間にわたる手術の末、危機的状況は脱したが、エディの意識はいまだに戻らない。担当医曰く、このまま回復するかどうかは五分五分だそうだ。
「……パットが目を覚ましたわ」
アリシアはハンドヘルドデバイスの画面に表示されたポップに視線を落とし、端的にそう口にした。傍らに居るフレッドからの返答も「そう」という淡泊なそれだった。
二人は決してパットの回復を喜んでいないわけではない。
パットもまた頭部へ強い衝撃を加えられた状態でロトス島の地下鉄道網内に倒れており、病院に運び込まれたときには予断を許さない状態だった。だがラガーマンめいた体躯と、持ち前の体力の多さが功を奏したのか、手術前には一度目を覚ましていた。
勢いよく上体を起こしたパットは相方の姿を探し、そして麻酔によって再び眠りに落ちていった。その相方が今もなお生死の境をさまよっているとは知らずに。
「僕たちはきっと、お仕事をすべきなんだろうね」
フレッドは両膝の間で組んだ手を無意味に動かし、ぽつりとこぼす。
いついかなる時でもにこにこと笑っているのがフレッド・マスダという男の長所だが、さすがにこの状況で笑顔を繕えるほど全てを楽観視しているわけではないらしい。
むしろ、フレッドの表情は普段の笑顔が反転したかのような、深い絶望に支配されている。
「NPCIも、病院も、軍も、大変なことになってる。あれは……災害だよ」
「……そうね」
二人の間に流れた静寂を埋めるように、遠くから電子音が断続的に響いてくる。
その無機質な音は二人にとって唯一の救いであり、縋るべき最後の希望だった。
「でも、私たちが出来ることは少ないわ。あれは殺人犯の範疇を超えてる。手に負える相手じゃない」
「だからって、傍観してるわけにもいかないよ」
「珍しいわね」
「何が?」
「貴方がそんなにムキになっているところ、初めて見たかもしれない」
フレッドは何かを言いかけ、その言葉ごと溜息をつく。
「僕はね、怒ってるんだ」
「ストラースチの兵器に?」
「ううん、僕自身に。――エドワード君がああなったのは、僕のせいだ」
「フレッド、それは……」
フレッドは口元に笑みを浮かべる。だがその笑みは痛々しいほどの自嘲だった。
「僕のせいなんだよ、アシリア君。僕はいつもこうなんだ。行き当たりばったりで、何も考えていなくて、責任から目を背けて……今までは、それでもよかった。僕ひとりが責任を取れば済む話だったから。でも、これは違う」
膝の間で組まれているフレッドの手に力が入る。
「僕は心のどこかで楽観していたのかもしれない。こうはならない……エドワード君は大丈夫だって。無責任だよね。本当に、僕はどこまでも無責任だ」
「自分を責めたい気持ちは分かる。けれど、エディがこうなったのは貴方の責任じゃない」
フレッドは返事をせず、ただ苦笑する。その笑みはどこまでも空虚で、形容しがたい薄ら寒ささえも感じさせた。
「ありがとう、アリシア君」
ふっと笑顔を消し、フレッドは再び集中治療室へと黒い瞳を向ける。
「僕は、僕に出来ることをするよ。――そうしないと全部ダメになってしまうって、ようやく理解したから」




