BROAD&BLIND#4 /1
ヤルテ島の無機質な町並みをバイクで走っていると、まるでテレビゲームのNPCになった気分になると人々は言う。それを嫌う者もいれば、好む者もおり、ヤオはどちらかと言えば後者だった。
ヤマハMT-09に跨がり、ヤルテ島の中で三番目に大きい通りであるラバン・ストリートを駆け抜けていく。片側三車線の道路はひび割れ一つなく、走り心地は抜群だ。道の両側には白いビルがコピー&ペーストしたかのように立ち並んでおり、何度見ても「ディストピア」という言葉が脳裡を過ぎる。
イスラエルの複合企業体が開発しているヤルテ島は〝機能美〟のコンセプト通り、パシフィカ七島の中で最もシンプルかつ機能的な島だ。中心部であるイヅモ・シティは金融機関やオフィスビルが多く、パシフィカのウォール街とも呼ばれている。
シンメトリーの町並みを走り抜け、ヤオがたどり着いたのは、イヅモ・シティ郊外に建つ小さなオフィスビルだった。ヤルテでは珍しい五階建ての中層ビルで、例によってその外装は白一色である。
駐輪場にバイクを止め、ヘルメットを脱ぐ。スーツの人間しかいないと言われるヤルテ島だが、さすがにスーツでバイクに乗る者はいないため、ヤオはバイクで出勤する時に限りレザージャケットと黒いデニムを身につけていた。
入口で顔認証をして中に入り、エレベーターで四階に向かう。
「ラダー・テクノロジーズ」という表札の前で再び顔認証、虹彩認証、指静脈認証を済ませ、ヤオは鍵の開いた扉の奥へと進んだ。
「お疲れ様です、ヤオさん。相変わらず時間ぴったりですね」
ワークチェアをくるりと回してヤオに向き直ったのは、くしゃくしゃの黒髪とエジプトの神じみた目が印象的な若い男だ。スーツのジャケットの代わりにタータンチェックのセーターを着ており、ウェリントン型眼鏡も相まって理系の大学生のように見える。
男の名はシモン。ヤオのチームメイトであり、直属の上司だ。
「アジトがこんな所になければ、十分前には到着できるんだがな」
「いいじゃないですか、ヤルテ島。こう……ディストピアって感じで」
「そう感じるのはお前が管理する側の人間だからだろ」
どうでもよさそうに吐き捨て、ヤオは部屋の真ん中に置かれているソファーに腰掛けた。
「別にそういうわけじゃないですよ。明ノ島の雑多な雰囲気だって好きです。ただまあ、ごちゃごちゃしているよりは整っている方が良いかなあって」
「なんだ、人が住んでいる所の悪口か?」
「白津路は明ノ島の中では綺麗な方じゃないですか。……でも、悪いこと言わないんで、ヤオさんはヤルテに引っ越した方がいいですよ。潔癖症に明ノ島は辛いでしょう」
「別に潔癖症じゃない。虫が嫌いなだけだ。あと、ヤルテは家賃が高い」
「あれぇ、おかしいなあ。十分な報酬を渡してるはずなんだけどなぁ、変だなあ」
シモンはわざとらしく首を傾げながらデスクに向き直り、キーボードを叩いた。
デスクには上下で五台ずつ、計十台のモニタが並んでいる。下段真ん中の二台を除き、モニタに表示されているのは全て監視カメラの映像だ。モザイク画のような監視カメラ映像は数秒ごとに切り替わり、パシフィカ全土の状況をリアルタイムに映し出している。
シモンはこのオフィスで四六時中監視カメラの映像を見ているが、それは決して盗撮趣味があるからではない。情報をかき集め、監視することが諜報員としての彼の仕事なのだ。
B&Bサービシーズ。
ニューパシフィックスに住んでいる者で、この名を知らない者は数少ない。
主な業務はパシフィカ国内における諜報活動および暗殺。依頼人の立場や陣営は一切問わず、金次第でいかなる任務も請け負う。
B&Bという会社が設立された経緯には、ニューパシフィックスの特異な成り立ちが大いに関係している。
東西陣営の対立に翻弄され続けた歴史を持つパシフィカは、同じ過ちを繰り返さないために他国による内政干渉を一切拒絶した。どのような組織であれパシフィカ国内での活動は断固として許さないとし、諜報活動等の事実が明らかになった場合は講話条約違反として国際司法裁判所へ裁判を付託すると共に、あらゆる方法でもって国内の不穏分子を排除すると宣言している。
このイズミル宣言のおかげで、戦後しばらくのあいだ、パシフィカは他国からの干渉を免れた。しかし各国が大人しく手を引くわけもなく、各国諜報機関はパシフィカ国内の傭兵達に細分化した仕事を与え、活動を再開した。パシフィカへ行けば割の良い仕事が貰えるとの噂が瞬く間に広まり、フリーランサーの数はみるみる増えた。
だが、問題も多かった。
フリーランサーが金や情報を持ち逃げしたり、反対に依頼人が口封じの為にフリーランサーを殺したりすることは少なくなかった。
パシフィカ政府もフリーランサー達による工作活動は認識しており、NPCIの秘密捜査課や軍の諜報部に調査を任せるなどして対応した。しかし圧倒的に人手が足りず、秘密捜査課や諜報部がフリーランサーに仕事を依託するという、本末転倒な事態に陥った。
そんな中、二〇三三年に流星のごとく現れたのがB&Bサービシーズだ。
設立者の素性も、本部の場所も、社員数も全てが不明。B&Bについて探ろうとした者は例外なく殺されており、創設から三年が経った今でももその実体は明らかとなっていない。
はっきりしているのは、金次第でいかなる任務も請け負うということ。そして依頼人の情報は、実際に任務をこなす構成員には一切通知されないということだ。
構成員側も仕事を探す手間が省けるほか、スキルに合わない仕事を受ける可能性が減るなどメリットが大きく、決して少なくない数の傭兵がB&Bに所属しているという。
構成員の情報が漏洩することを防ぐため、B&Bは少人数によるチーム制を採用している。リーダーとサブリーダーの下に五人ほどの構成員がつき、依頼内容は全てチームリーダーから通達されるかたちだ。チームごとにアジトを持っており、他チームとの交流は一切禁じられている。
シモンチームに所属する構成員はリーダーとサブリーダーを除いて四人。その全員がブラックプリントであり、暗殺者だ。
ヤオもそのうちの一人であり、二十歳という年齢に見合わない圧倒的な実力と身体能力から、シモンチームの若きエースとして扱われていた。