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パンドラ-collapse-  作者: 兼明叶多
WITCH HUNT
78/86

LITTLE APOCALYPSE#5 /2

 咄嗟に踏みとどまろうとしたエディを強引に引っ張り〝こちら側〟へと引き寄せる。

「――る……」

 エディはつんのめるように前へと踏み出し、目をぱちぱちと瞬いていた。

「え……? どうなってるんだ」

「あまり気にしないでください。行きましょう」

「気にしないでって、君な……」

 がっくりと肩を落とすエディが何だか可笑しくて、シャロンの口元に小さな笑みがこぼれる。

 だがそんな束の間の安らぎを、どこからか聞こえてきた銃声が容赦なく打ち破った。

「ッ、今の……」

 エディは咄嗟に警戒の色を浮かべ、銃声の方向を探る。シャロンも他に物音がしないか耳を澄ませた。

 地下鉄道網では遠くの音が近くに聞こえることはよくあるが、今のはかなり近かったように思う。

 ロブは銃を所持していないため、発砲したのはおそらく別の人物だろう。

 可能性として高いのはNPCI捜査官――エディの仲間だ。

 ただ、捜査官が撃ったのか、それとも撃たされたのかは定かでない。

もし後者だった場合は――。

「悪い、少し様子を見に行って構わないか」

「もちろんです。行きましょう」

 貴方のためにも、そして私のためにも――その一言を呑み込み、シャロンはエディとともにトンネルの中を進んでいった。

 闇の中から何かが叩きつけられるような音と振動が伝わってくる。

 カシャン、と金属製の何かが地面に落下する音も。

(一体、何が起きてるの)

 何か、とてつもなく嫌な感じがする。

 本能が〝この先へ行くな〟と叫んでいるようにすら感じる。

 それでもシャロンは足を止めなかった。

これ以上、友人に過ちを重ねさせないために。

「あれは……」

 しばらく進んでいくと、暗闇の中にぼんやりと人影が浮かび上がる。

 背が高く大柄な人物だ。ロブではない。

 目をこらしても他に人影らしきものはなかった。

 ロブは逃げたのか、それとも元々ここにはいなかったのか。

 そんなことを考えながら人影へと駆け寄るも――。

「……何だ、お前……」

 シャロンが異変に気づいて踏みとどまったのと、エディが片手でシャロンを制止したのはほとんど同時だった。

 暗がりの中に立っているのはNPCIの捜査官ではない。

 最初、人型の獣が立っているのかと思った。

 よく見ると、そこにいるのは白髪の男性だ。二メートルはあるだろう大柄な体躯を黒いコートで包み、口元には鉄製のマスクを装着している。赤い目は獣じみた眼光を湛えてシャロン達を捉えており、その巨大な右手には――。

「う、そ……」

 ポッ、ポッと滴の落ちる音がする。

 床一面に広がる液体が、今まさにシャロンの足先に触れようとしていた。

「なんだ、まだいたのか」

 黒コートの男はぼそりと口にし、手にしていたそれをシャロンの前へと放り投げる。

 見覚えのある服。見覚えのある体格。シャロンを引っ張ってくれた手。シャロンに魔法を教えてくれた指先。

 けれど、あの素朴で優しい笑みを見ることはもう叶わない。

 ――横たわるロブの体には、頭部が存在していなかった。

「パット……? おい、パット!」

 怒りと悲しみで沸騰しそうな頭にエディの声が響く。

 壁際にはエディと同じ白いジャケットを着た男性が横たわっており、壁には血痕がこびりついている。おそらく壁に叩きつけられて頭を打ったのだろう。胸がかすかに上下しているので辛うじて息はあるようだが、エディの呼びかけに対する反応はない。

(こいつは、何。何なの)

 不協和音の中で混ざり合った怒りと悲しみがそのまま殺意へと変わる。

 同時に、シャロンは抗いようのない恐怖に苛まれていた。

 今まで何度も死を覚悟してきた。生きたまま身を焼かれた時も、銃弾を浴びせられたときも、ヤオに裏切り者と認識されたときも。

 だが、これは次元が違う。

 ――あれは、自分達の手に負える存在ではない。

「動くな」

 エディが庇うようにシャロンの前に立ち、銃口を男へと向ける。

 その声音は怒りに震えながらも、決して冷静さを失ってはいなかった。

「お前を殺人容疑で拘束する。両手を頭の後ろに。従わなければ撃つ」

 男はゆらりとエディに向き直り、見定めるような視線を投げかける。

「お前は魔法使いか?」

「なに?」

「いや――そっちか」

 刹那、男の真っ赤な目が細められ、そして――。

「ッ――!」

 咄嗟に動いたのはエディの方だった。

 エディはシャロンを突き飛ばし、自身もその反動で反対側へと飛び退く。

 直後、シャロンが立っていた場所には直径一メートルほどのクレーターが作り出されていた。シャロンを仕留め損ねた拳でもって。

 地面で転がり、体勢を整えたエディは、躊躇(ちゅうちょ)なく男へと引き金を引く。

 銃弾は確かに男の膝とふくらはぎに命中したが――。

「鬱陶しいな、お前」

 男は銃弾など物ともせずに面を上げ、シャロンではなくエディへと赤い瞳を向ける。

 その時、ひゅっと風が動いた。

「くっ――」

 エディは振り下ろされた拳を間一髪で避け、そのまま至近距離で男の腹部へと銃弾を見舞う。

 さすがに腹部への銃撃には耐えられなかったのか、男は短いうめき声とともに腰をくの字に折った。

 ――しかし、それまでだった。

「なっ……」

 男は腹から血を流すことも、苦しげに倒れることもなく、巨大な手でエディの銃を掴む。そのまま銃のスライド部分を握り潰し、エディの手から銃を奪い取った。

忌々しげに放り投げられたそれは、一拍を置いた後、どこまでも続いていそうな闇の奥で小さな落下音を響かせた。

 動揺するエディに男の手が伸びる。

 その指先が赤い髪に触れた刹那――エディは消えた。

「あ……?」

 いや、厳密に言えば消えたのではない。

男の腕を掴んだまま後方へ倒れ込んだのだ。

 相手の力を利用し、エディは自分より一回り大きい巨体を放り投げる。

 重たい音を立てて横たわった男を素早く膝で押さえつけると、腰に装備していた手錠を太い手首にかけた。

「……大人しくしろ……ッ」

 荒い呼吸音が静寂に響く。

 後ろ手に拘束をされ、男はようやく大人しくなった――はずだった。

「……ああ、本当に……鬱陶しいな、てめえは」

 何かの砕ける音。

その正体が鎖を引きちぎる音だと理解した瞬間、男はエディを押しのけるように身を翻していた。

 巨体は弾けるように起き上がり――。

「うッ、ぁ……――」

 巨大な手でエディの顔面を掴むと、一切の情け容赦なく地面へと頭を叩きつけた。

 嫌な――本当に嫌な音がした。

 床に広がっていた血が衝撃で赤い飛沫を巻き上げる。

 その中に、先ほどシャロンの肩を支えてくれた、そして握りしめた手が力なく投げ出されている。

 男は顔面を掴んだままエディの体を目線の高さまで持ち上げると、空き缶でも捨てるかのように地面へと放り投げた。

 完全に力を失った体がシャロンの傍らを滑っていき、後方の柱に衝突して止まる。

 後方からは呻き声すら聞こえることはなかった。

「エディ、さん――」

 四つん這いになり、倒れたエディの元へと近寄る。

「返事をしてください、エディさん!」

 体を揺すっても反応はない。顔をしかめることさえない。まるで穏やかに眠っているかのようだ。

 シャロンはどうにかエディの体を起こそうと、頭の後ろに手を添えた。

「あ……」

 ぬるりとした感覚。

 手の平を見てみれば、エディの髪と同じ色がシャロンの肌を染め上げていた。 

 灰色の床にも赤いものがじわじわと広がっていく。エディの赤毛がそのまま溶け出しているかのように。

 一方で、男は手首に残っていた手錠を軽々と千切り、シャロンへ歩み寄った。

 ――怖い。

 ただそれだけが頭の中を支配している。

 暴力めいた不協和音さえ、今は霞んでしまうほどに。

 死ぬのが怖い。

 それ以上に、誰も守れずに終わってしまうのが怖い。

 せめてこの人を――エディを助けたい。

 流れ出ていく赤色を見るたび、自分の半分がズタズタにされていくような気がしてならなくて――。

 男の拳が振り上げられる。

 ――どうか。

 それはもはや祈りに近かった。

 シャロンは覆い被さる形でエディの体を抱きしめ、強く願った。

 どうか、ここではないどこかへ――と。


   □


〈ヤオさん、まだ通信繋がってますか〉

 通信機から聞こえてきた声を受け、ヤオは横道に入ってバイクを止めた。

 フルフェイスヘルメットの隙間から手を差し込んで通信機に触れ、端的に応答する。

「まだ繋がってる」

〈よかった。……シャロンの信号に動きがありました〉

「瞬間移動の魔法か?」

〈おそらく〉

「場所は」

〈ユーリエフ地区N24W13――チェルミ正教会です〉

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