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パンドラ-collapse-  作者: 兼明叶多
WITCH HUNT
77/86

LITTLE APOCALYPSE#5 /1

「っ……」

 シャロン叩いていた扉にもたれ掛かるように、そのままずるずと床にへたり込んだ。

 先ほどから何度も脱出を試みているが、扉は鎖の音を響かせるばかりで一向に開く気配がない。体当たりによる力ずくでの突破も試したが、頭の中で暴力的な不協和音が鳴り響いている今の状況では、扉を破るだけの力は出せなかった。

 魔法を封じられている以上、空間転移魔法でここから脱出することは出来ない。

 電波が届かないためシモンに連絡をすることも不可能だ。そもそも、現在シャロンは〝個人的な理由〟でここにいる。シモンに助力を乞う資格は持ち合わせていない。

「…………」

 シャロンはぐっと唇を噛みしめ、腰裏のグロック26へと手を伸ばした。

 外側から鎖で封じられている扉を銃弾でどうにか出来るとは思えない。だが、他に方法はない。

 ロブは誰かを――〝アダム〟を殺害しようとしている。

 NPCI襲撃の様子から察するに、彼は目的を達成するためならいかなる犠牲も厭わないだろう。

 急いでロブの元に向かわなければ。そして何としてでも彼を止めなければ。

 それが友人として出来る唯一のことだろうから。

 シャロンは頭蓋骨の中を跳ね回る激痛と騒音に耐えながら、冷たいコンクリートの床を踏みしめてどうにか立ち上がった。

 ローラに教わったことを思い出しながら銃把を握り、チェンバーを確認し、安全装置を解除する。

 ドアノブを狙っても意味がないことは分かっている。可能性があるのは蝶番だ。しかし、跳弾の危険性は常に考えておかなければならない。

 扉から一定の距離を取り、銃口を蝶番へと向ける。

 震える指で引き金に力を込めようとした――その時。

「いって……! 何だこれ、扉か!?」

どん、と何かのぶつかるような音とともに扉が揺れた。

 向こうから聞こえてきたのはロブの声ではない。成人男性の声のように聞こえた。

(この声……)

 シャロンは一瞬考えを巡らせてから、手にしていた銃を腰裏へと戻した。

 そのままふらりと扉に倒れ込み、力任せに拳で叩く。向こう側にいる〝彼〟に届くことを信じて。

「エディさん、聞こえますか!」

 遠ざかりかけていた足音がぴたりと止まる。

 一瞬の沈黙の後、声の主――エディは扉の前まで引き返してきたようだった。

「まさか、アネットか?」

「そうです」

「そんなところで何してるんだ」

「説明は後で。そこの鎖を外せませんか」

「鎖? ああ、これか」

 扉の揺れに合わせてジャラジャラと音がする。エディが鎖を確かめているのだろう。

「出来るだけ扉から離れてくれ」

「はい」

 言われたとおり、シャロンは壁を伝いながら部屋の隅へと移動する。一歩踏みしめる度に強烈な吐き気が襲うが、今はまだ倒れるわけにはいかない。

「離れたか?」

「離れました」

「よし」

 一拍を置いて、部屋の外から銃声が聞こえた。

 金属が弾け飛ぶような音の直後、鎖が滑り落ちていく音が響き渡る。

「無事か、アネット」

 開かれた扉から顔を見せたのは、燃えるような赤い髪に緑色の瞳の男性――エドワード・オランジュだった。

「君、顔色が悪いぞ。どうかしたのか」

「大丈夫です」

 心配そうにしているエディに無理矢理に笑顔を繕い、シャロンは再び壁を伝って扉の方へと歩み寄る。

 咄嗟に肩を支えてくれた手の感触が妙に懐かしくて、頭の騒音が少し和らいだような気がした。

「チェルミ――いや、ロブが君を閉じ込めたのか」

 肩を支えてくれているエディの手に力が入る。

 シャロンの身を案じる思いと、今度こそ参考人を逃すまいとする意思――その両方が同時に伝わってくるかのようだ。

 エディはもう気づいているのだろう。イヴァノフカの銃撃の際、シャロンが咄嗟に逃げ出したのはチェルミの傀儡師を追うためだったということに。

「……そうです」

 シャロンの答えに、エディはただ一言「そうか」とだけ返答した。

「ひとまず君を安全な場所へ連れて行く。歩けるか」

「問題ありません」

「つらかったらすぐに言ってくれ。いいな?」

「はい」

「…………」

 エディは何やら思案している様子でじっとシャロンを見つめる。

 少しして、彼は躊躇(ためら)いがちにシャロンの肩から手を離した。

「逃げませんよ」

「え?」

「突然消えたりしません」

 呆気にとられているエディを真っ直ぐに見つめる。

「――そうか」

 彼は溜息交じりに笑みを零すと、銃を下向きに構えたまま先導するように部屋の外へと出て行った。

 シャロンも頭蓋の中で虫がのたうち回っているような苦痛に(さいな)まれながら、どうにかエディの後に続く。

(……なんだろう。やっぱり、どこか懐かしい感じがする)

 エディの背中を見ていると、頭の奥底が疼くような妙な感覚に襲われた。

 同時に違和感も覚える。

 知っている彼の背中は、こんなに大きくはなかったはず――。

「ああ、クソッ……どうなってるんだ」

「……っ」

 苛立たしげな声は、シャロンを現実へと引き戻した。

(私は今、何を……)

 エディとは先日知り合ったばかりだ。それ以前に会ったことはない。まして小さい頃の彼の背中など知るはずがない。シャロンはパシフィカへ来るまで、ずっとオーストリアの森に閉じこもっていたのだから。

 サーフィットと話をしてからというもの、どうも思考が散漫になってしまう。

 生まれ変わりや輪廻などといった話はただの戯言だ。信じるに値しない。エディや、ヤオ、ベイリアルのことを知っているような感覚もきっと気のせいだ。

 とにかく、今はそう結論づけるしかない。

 この欠落感についてどれだけ考えても、きっと答えは見出せないだろうから。

「どうかしましたか」

 壁に手をついて体を支えながら、立ちすくんでしまったエディに声をかける。

 エディは二股に分かれた通路を前に、困惑した様子で辺りを見回していた。

「さっきここを通ってきたはずなのに、行き止まりになってる」

「行き止まり?」

「ああ、壁で塞がれてる」

 シャロンの目には、二股に分かれた道はどちらも奥まで続いているように見える。壁らしきものは見当たらない。

(もしかして……)

 シャロンはとあることを思いつき、エディの手を握った。

「えっ、どっ、どうしたんだいきなり」

「手を離さないで。このまま一緒に歩いてください」

 困惑しているエディを引っ張り、左側の道へと歩を進める。どこまでも続く闇の最奥を目指して。

「アネット……?」

 最初は手を繋がれたことに戸惑っていたエディだったが、次第にシャロンの迷いない足取りに動揺を見せ始めた。

 ――結界魔法。

 それがどういった魔法なのか、シャロンはいまだに理解していない。ただ認識を阻害させる何かであることは間違いなさそうだ。

 もしかすると、エディは結界魔法の効果によって見えない壁があると錯覚しているのかもしれない。

「アネット、ちょっと待ってくれ。このままだと」

「待ちません」

「アネット!? う、嘘だろ……ぶつか――」


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