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パンドラ-collapse-  作者: 兼明叶多
WITCH HUNT
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LITTLE APOCALYPSE#4 /2

「……お前は、何だ」

 その一声は、ロブを通り抜けて背後の闇へと吸い込まれていった。

 捜査官ははたと足を止め、手錠へと伸ばしていた左手を再び銃把に添える。銃口はほんの少しだけ動き、ロブの肩口からその背後を狙っているように見えた。

 トンネルにぐちゃ、と水音が響く。

 濡れた何かが近づいてきている。

 ロブは捜査官を操ることを忘れ、おそるおそる背後を見た。

「え……」

 ――赤い。

 暗闇の中、真っ赤な双眸だけが浮かび上がっている。

 ふと、鼻腔を刺すような臭いが漂った。

 それが血の臭いだと気づいたとき、ロブは本能的に一歩後退していた。

「そこで止まれ。止まらなければ撃つ」

 捜査官が警告しているにもかかわらず、異様な気配が呼吸音と共に迫ってくる。

 水っぽい足音が一際大きく響いたとき、ロブはようやくその姿をはっきりと捉えた。

 白い髪に赤い瞳、巨躯を覆う黒いコート、そして口元を覆い隠す鉄製のマスク――その全てが血にまみれている。

 爆発にでも巻き込まれたのか、黒いコートの所々が焦げているが、目立った外傷はない。それは、男の体を濡らしているものが全て返り血であることを物語っていた。

「ひっ……」

 あまりの恐怖にロブは尻餅をつき、男から逃れるように後ずさった。本能が〝逃げろ〟と叫んでいた。

 一方、捜査官は退くどころか銃を構えたまま少しずつ前進している。ロブが後退したことで両者の立ち位置は完全に逆転したが、捜査官は連続殺人犯に背中を(さら)していることなど気にも留めていないようだった。

 暗闇に銃声が響き渡る。

 捜査官が男の足下に威嚇射撃を行ったのだ。

「次はお前の体に当てる」

 言葉が通じたのか、男はようやく足を止めた。

「よし。そのまま両手を頭の上に……」

「――お前は魔法使いか?」

 一瞬、それが誰の声なのか分からなかった。

 捜査官も同様だったらしく、呆気にとられたように目を瞬いている。だがロブとは異なり、すぐに冷静さと緊張を取り戻し、銃を構え直した。

「俺が魔法使いかどうか教えりゃ、お前は大人しく連行されるのか?」

 返事はない。

 男は感情の読み取れない目でじっと捜査官を見ている。

「……いや、お前は違うな」

 地響きのような声だ。

 マスクで口元を覆っているせいで、一層くぐもった恐ろしげな声に聞こえる。

 その時、赤い双眸がロブを捉えた。

「――魔法使いなのはお前か」

「……ッ!」

 男が再び歩き始める。銃を構えている捜査官ではなく、その背後で尻餅をついているロブへと視線を向けたまま。

「おい、待て――」

 横を通り過ぎていこうとする男に対し、捜査官はいよいよ発砲すべく狙いを定めたが――。

 ――まさに一瞬だった。

 男が何をしたのか、ロブの目では捉えきることが出来なかった。

 認識できたのは、ひゅっと風の動くような音がしたこと、捜査官の体がいきなり壁に叩きつけられたことだけ。

 どれほどの勢いで衝突したのか、コンクリートの壁には蜘蛛の巣状のひびが走っている。

 捜査官はうめき声すら漏らさず崩れ落ち、地面に横たわった。放り出された右手はもう銃把を握ってはいなかった。

 男は捜査官に一瞥すらくれず、ロブへと歩を進める。

 血塗れの右手に力を込め、指を鉤爪のように曲げている様は、獲物に襲いかかる寸前の猛獣を思わせた。

「く、来るなッ……」

 ロブは咄嗟に男へと指先を向けた。

 来るな、動くな、近づくな――何度もそう頭の中で命じる。頭の奥がミシミシと嫌な音を立てても、なお。

 だというのに男は止まらない。動きが鈍ることもない。

 これは魔法が失敗しているのではなく――。

「ど、して……」

 絶望的な現実を前に、ロブはただか細い声を漏らすことしかできなかった。

 ――魔法が効かない。

 あの時もそうだった。サーフィットを殺しに来た暗殺者――黒いスーツの男も魔法が一切通用しなかった。

「あ、あ……」

 まるで力の入らない足をどうにか動かし、後ずさる。

 不得手な空間転移魔法を試すという考えはすっかり頭の内から抜け落ちていて、代わりにサーフィットの言葉と、亡き母の言葉がずっとこだましていた。

 ――だが、気をつけたまえ。運命とは強固で、なおかつ残酷なものだ。

 ――その定めを破ろうとして身を滅ぼした者を、私は幾度となく目にしてきた。

 ――私自身を含めてな。

 男が一歩を踏み出すのと同時に、ぐちゃと嫌な水音が暗闇に響き渡る。

 その足裏にこびりついているだろう命を、さらに磨り潰すかのように。

 ――愛してるわ、ロベルト。

 ――どうか、貴方は悪い魔法使いにはならないで。

 そう、ずっと人を殺せなかった。

 愛する母を悲しませたくなかったから。

 けれど、この世界には魔法使いを迫害する邪悪な人間しかいなくて、戦わなければ自分の命を守ることさえできなくて。

 《アルケーの火》のみんなを、チェルミ駅の子供達を、そしてアネットを守るためには強くなるしかなくて。

 弱い自分が嫌で。腹立たしくて。

 自分が強かったら母を守れたのに――。

 ――プリンシパル様はいつだって私たちを見てくださっているわ。

 ――けれど、悪いものも私たちを見つめているの。

 男は足を止め、血のように赤い目でロブを見下ろす。

 巨大な手はロブの頭を鷲づかみにし、そして――。

 ――悪い魔法使いは、獣に食べられてしまうのよ。

「かあ、さん」

 その呟きの直後、ロブの頭部はぐしゃりと握り潰された。


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