LITTLE APOCALYPSE#2 /2
部屋の中が静寂に満ちたことを確認し、ヴォルコフの右腕――ベネディクト・ポローモフは重厚感のある扉を押し開いた。
だが踏み出した一歩がそれ以上動くことはなく、ポローモフはドアノブに手をかけたまま硬直してしまった。
「これ、は……」
玉座の間とも言うべきヴォルコフの部屋は赤く染め上げられている。
二十人あまりの構成員達は皆床に倒れており、息がある者はただの一人もいなかった。
首の骨を折られている者、ガラス片か何かで首を掻き切られている者、顔面を潰されている者、銃で撃たれているもの――様々だ。
死体で埋め尽くされている部屋の中心に悪魔は立っている。全身を血で真っ赤に染め上げ、幽鬼のように俯いたまま。
「無事、なのか。ミスター・ベイリアル」
ポローモフの呼びかけを受け、ベイリアルはゆらりと面を上げた。
血に染まった顔に浮かぶ魅惑的な微笑みは、見る者の心に底知れぬ恐怖を刻み込んだ。
「ええ、問題はありません。部屋を汚してしまったことは心苦しく思っていますが」
「それは、気にしなくて構わないが……」
あり得ない。――ポローモフはその言葉を何度も呑み込んでいた。
首領であるヴォルコフがベイリアルをアジトへ招いた理由は予想が付いていた。だからこそポローモフはボディチェックが済んだベイリアルに接触し、銃を渡そうとした。組織そのものを裏切って魔法使いに与した首領より、得体の知れない悪魔の方がまだ利用価値があるからだ。
だが、ベイリアルは銃を受け取らなかった。
しばらくして部屋からは銃声が聞こえ、騒音と悲鳴を散々と響かせた後――突然静寂が訪れた。
「ミスター・ポローモフ」
名を呼ばれ、ポローモフはかすかに肩を跳ね上げる。
「ミスター・ヴォルコフは同盟を破棄するとおっしゃっていましたが……あなたは?」
ベイリアルはまるで試すように目を見開いた。
何を言わんとしているのかをポローモフは理解している。ストラースチは今後も魔法使い達と手を組み続けるのか、それとも膿を出し切って魔法使い連中と決別するのか。
答えは決まっている。
ヴォルコフが組織を裏切っていると知った時から。
「ヴォルコフは裏切り者だ。彼の発言は我々ストラースチの総意ではない。……同盟は継続する」
「それを聞いて安心しました」
ネチャ、と粘性の水を踏む音がする。
ベイリアルはポローモフの元まで歩み寄ると、その左手を持ち上げて何かを手の平に載せた。
「どうぞ、新たな〝皇帝〟への捧げ物です」
それは、血で真っ赤に染まった眼球だった。
「うっ……!」
ポローモフは咄嗟に眼球を放り投げる。
ゴルフボール大のそれはころころと転がっていき、血塗れのデスクに当たって動きを止めた。近くにはヴォルコフの体が横たわっており、その顔面はデスクの角に叩きつけられたのか無残に破壊されている。
「おや、お気に召しませんでしたか。ロシア人であればこういう趣向もお好みかと思いましたが」
「お前、は……」
狂っている。――その一言がポローモフの口から発せられることはない。
そんなことはとうに分かっていると言いたげに、ベイリアルが狂気じみた笑顔を浮かべたからだ。
「魔法使い共に与した愚か者は死に、〈アルケーの火〉は壊滅した……我々の目的は晴れて達成されました。貴方のおかげです、ミスター」
否応なく人を魅了する笑顔と共にベイリアルは右手を差し出す。握手を求めているのだろう。
「貴方とは末永いお付き合いが出来ることを祈っております」
気づけばポローモフは握手に応じるべく右手を持ち上げていた。
互いの手が固く結ばれた瞬間、血と脳漿の染みこんだベイリアルの手袋がぐじゅと音を立てる。これがお前の罪だと知らしめるかのように。
永遠のようにすら思える握手を終え、ベイリアルは血と硝煙と香水の匂いをその場に残してポローモフの横を通り過ぎていった。
悪魔の足音が遠ざかっていく中、ポローモフはじっと首領であったものの体を見つめ続けていた。




