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パンドラ-collapse-  作者: 兼明叶多
WITCH HUNT
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LITTLE APOCALYPSE#1

 ロトス島の地下鉄道網は混乱状態に陥っていた。

 まるで天敵が侵入してきた蟻の巣めいた様相だ。いや、実際その通りなのだろう。地下に身を潜めていた魔法使い達は侵入してきた一人の男によって為す術もなく蹂躙されている。

「こっちだ、早く!」

 ヴァネッサは十人程の子供達を狭い通路の中に集めてから、レバーを引いて重たい防火扉を閉めた。気休めにしかならないかもしれないが、これで多少は時間を稼げるだろう。

「ヴァネッサ、こわいよ……」

 熊のぬいぐるみを抱きしめている少女――ノエラが震えた声を漏らす。

 いつもであれば先輩風を吹かせている他の子供達も、このような状況ではただ身を寄せ合うことしかできないでいた。

「大丈夫だ。私がついてる。ここから脱出すれば何も怖くない」

「でも……」

「深呼吸をして、落ち着いて。魔法を上手に使うコツはなんだった?」

「集中すること……」

「そうだ。君たちなら出来る。今までだって何度も成功してきただろう?」

 子供達は不安そうに顔を見合わせるばかりだ。小さな手は目に見えて震えていて、どれほどのストレスと恐怖に曝されているのかがよく分かる。

 数十分前、最も大きなアジトであるザリャ駅に一人の男が侵入してきた。

 あれが人間なのかどうかは分からない。白い髪の間から人間離れした真っ赤な目を覗かせ、その両の手は血で赤黒く染まっていた。見たままの感想を言うのであれば、あれは〝人の形をした獣〟だ。

 男は周囲の魔法使いたちなどまるで意に介さず、ただひと言「魔法使いだな?」とだけ口にした。

 直後、ザリャ駅は地獄に変わった。

 同胞達の魔法をものともせず、男はその場にいた魔法使い達を虐殺した。武器は一切使わず、その体躯だけで。ザリャ駅には頭部を潰されていたり、体を引きちぎられた見るも無惨な遺体が撒き散らされた。

 男に魔法が通用しないと分かり、戦えない者はその場から逃げた。他の同胞達は銃を手に男と対峙したが、ダメージを与えられた者は一人もいなかった。

 血の海と化すアジトを見て、ヴァネッサは男との交戦を選ばず、子供達が暮らしているアジトへと転移した。記憶に深々と刻まれている痛みと恐怖が彼女を突き動かしていた。

 ヴァネッサが避難を誘導したことで、子供達の多くは地上の教会へと撤退することが叶った。教会も安全ではないかもしれないが、地下で〝死〟がにじり寄ってくるのを待つよりはずっといい。

 だがチェルミ駅の子供達は避難が遅れ、地上へと空間転移するタイミングを逃してしまった。そのため、ヴァネッサと子供達は今もこうして必死に地下鉄道網をさまよっている。

「お、おれ……やってみる」

 ふいに口を開いたのはニコルという名の少年だ。

 集っている子供達の中では年長ということもあってか、恐怖をどうにか押さえ込んでしっかりとその場に立っている。

「何人か連れて行けるか?」

「できる」

 ニコルは近くにいた数人を抱え込むようにぎゅっと抱きしめ、強く目を瞑る。

「いっぱい考える……ここじゃない場所……教会……」

 少しして、ニコルと二人の子供がぱっと姿を消した。残りの二人は漏れてしまったようだが、まだ時間はある。

「よし、次は――」

 ヴァネッサの言葉を遮るように、どこかから大きな音が響いてくる。それが化け物の居場所を示していることは子供達も理解しているようだった。

 ――近い。

 化け物は魔法使いの居場所をうっすらと感知できるようで、隠れていても的確に追ってくる。

「一旦逃げよう。みんな、このまままっすぐ進むんだ」

 子供達を先に行かせながら、ヴァネッサは銃を手に防火扉の向こうを警戒する。先ほどの物音は防火扉の奥から聞こえてきた。まだ距離はあるだろうが、化け物が接近しつつあることは確かだ。

「ひっ……!」

 その時、先に行っていた子供達から悲鳴があがった。

 子供達は曲がり角の先を見て顔を真っ青にしている。

「どうしたッ」

 慌てて駆け寄り、子供達の視線の先にあるものを確認すると、そこにはもはや人の形すら留めていない死体が撒き散らされていた。

「ヴァネッサぁ……」

 子供達の震えがより一層酷くなる。

 むしろ、こうしてパニックにならず指示に従ってくれているのは、十分に堪えている方と言えるだろう。

「見るな。……ほら、行こう」

 震える小さな肩を支え、肉片の海とは別の方へと歩を進める。

 ――静かだ。

 足音しか聞こえない。それはつまり生きている者が極めて少ないことを示している。

 戦うことを選んだ同胞達はみな、あの化け物に磨り潰されてしまったのだろう。魔法使いを殺すためだけに動いている、あの獣に。

 ヴァネッサはかつて、あの獣と同じものを見たことがあった。

 忘れない。忘れるわけがない。

 ――二〇〇七年六月八日。

 魔法をものともしない兵士達が突然学院を襲撃し、多くの魔法使いを殺害した。

 連中の目的は未だに不明だ。だがその名前だけは知っている。

 四安門(しあんもん)兵――連中はそう呼ばれているらしい。

「……ッ」

 また大きな音が聞こえた。扉か壁を破壊しているような音だ。

「急げ。奴が近い」

 子供達の背を押して物音から遠ざかるように走る。

 しばらくトンネルの中を進んでいくと、柱が等間隔に並ぶ広い空間に出た。おそらくチェルミ駅近くの分岐線だろう。

「……トム、いけるか」

 くせ毛の少年がびくっと肩を跳ねさせる。

 だが、トムと呼ばれた少年はすぐに覚悟を決め、震えながらもどうにか頷いた。

「みんな、あつまって」

 トムは先ほどのニコルと同じように周囲の子供達を抱きかかえ、目を瞑る。

 本来であれば、ヴァネッサが子供達を連れて空間転移をした方が早いし確実だ。しかし多くの子供達を連れて空間転移を繰り返したせいで限界が近く、この場にいる子供達全員を連れて飛べるほどの余裕は残っていなかった。

 一人程度であれば連れて行けるかもしれないが、それ以上を試す気にはなれない。もしヴァネッサだけがこの場からいなくなってしまったら子供達はまず助からないだろう。

「……っ、飛ぶ……みんなと飛ぶんだ、僕は……っ」

 トムが強く目を瞑った瞬間、四人が場から姿を消した。

「よし、うまくいったな」

 残るは三人。

 その中で空間転移魔法に長けるリーゼンフェルト系譜の魔法使いは――。

「ノエラ」

 熊のぬいぐるみを抱えた少女がますます顔を青くする。

「……ノエラ、できないよ。だって、今までも失敗ばかりで」

「君はリーゼンフェルトの系譜だ。アドミラリィ様と同じく、原初の魔女の血を引いている。君ならできる。――アネットにもう一度会うんだろう?」

「……っ」

 幼い瞳に僅かな覚悟が滲む。

 だが――。

「ヴァネッサ、あれ……!」

 闇の中から足音が聞こえる。酷く重たい足音が。

「私の後ろに!」

 ヴァネッサは咄嗟に子供達を自分の後ろに隠し、闇が溜まっているトンネルの先を睨んだ。

 足音が大きくなるにつれて、闇がとある形を形成する。

 それは屈強な体躯を持つ、人の形をした獣の姿だった。

「走れ……」

 獣が一歩を踏み出す。

「走れ!」

 子供達が咄嗟に走り出したのと同時に、広い空間を閃光と銃声が劈いた。

 ヴァネッサは手にしていた銃で獣を撃つ。何度も、何度も。弾倉が空になるまで。だが獣は足を止めることなく、むしろ歩む速度を速めていく。

「……ッ!」

 赤い瞳と目が合った時、ヴァネッサは反射的に後ろへと飛び退いていた。

 直後、ヴァネッサがいた場所に巨大なクレーターが出来上がる。獣がその拳を床に叩きつけたのだ。

「くそっ……」

 弾がなくなった銃を投げ捨て、子供達の後を追って横道へと入る。

 だが、小さな背中が遠ざかっていくのを見送って、ヴァネッサは近くにあったレバーを引いた。

 すぐに大きな音を立てて防火扉が子供達とヴァネッサを分断する。

「ヴァネッサ、やだよ、一緒に来て!」

 防火扉の奥からノエラの声が聞こえる。

 背後からは重たい足音が。

「私もすぐ行く。君たちは早く空間転移で逃げろ」

「でも……!」

「アネットに教えてもらったんだろう? なら大丈夫だ」

 足音に合わせて床が戦慄く。

「生きてくれ、ノエラ。みんなを頼んだぞ」

 ひゅっと風を切る音が聞こえた瞬間、ヴァネッサは頭が割れるような頭痛を堪えて空間転移を行った。

 飛んだ先は〝獣〟の背後だ。

 その背中に飛びかかり、ナイフを首筋に突き立てる。

 だが――。

「うっ……、あッ」

 振り払われた勢いで壁へと叩きつけられ、間髪を入れずに片手で首を掴み上げられた。

 巨大な手はヴァネッサの細首を容赦なく締め上げ、頸椎を破壊しようとしている。

「ぐ……」

 足をばたつかせる。意識を保つために。

 まだだ、まだ早い。

 まだ――。

「あ……?」

 怪訝そうな声を漏らしたのは獣の方だった。

 空気の揺らぐような独特な感覚。これは魔法を行使したときの現象だ。

 獣は防火扉の奥から魔法使いの気配が消えたことに気づいたのだろう。

 ニコラはやったのだ。

 子供達は全員地下から撤退できた。

「逃げやがったか……まあ、いい」

 獣の視線が防火扉からヴァネッサへと向き直る。

「てめえを殺せば大方片付く」

「ああ、その通りだな」

 ヴァネッサは着ていたジャケットの裾を掴んだ。

「お前がいなくなれば、すべて片付く」

 その時、ヴァネッサの脳裏を過ぎったのは、全てを失ったあの日に憧れの人がかけてくれた言葉だった。

 ――生きてください。生きて、逃げ延びて。

 ――大丈夫。あなたは原初の魔女の血を引く強くて勇敢な魔法使いです。

 ――だから何があっても生きて……みんなを守ってあげてくださいね、ヴァネッサ。

「ごめんなさい、アドミラリィ様。……私は、約束をひとつ破ります」

 ヴァネッサがジャケットの裾を捲り上げると、そこには大量の爆弾が巻き付けられていて――。

「チッ……」

 獣が忌々しげに舌打ちをした刹那、閃光が全てを呑み込んだ。

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