ATONEMENT#3 /2
「アネット……いや、アンドレア」
どくん、と心臓が跳ねる。
「君は聖女なんかじゃない」
叩きつけるような一声に、シャロンは口を噤むことしかできなかった。
「君は、あんな風にみんなから崇められて、都合のいい偶像みたいに扱われていいはずがないんだ。君は……普通の魔法使いで、普通の人なんだよ」
それはあまりに意外な言葉だった。
静かに驚いているシャロンをそのままに、ロブは強く両手を握りしめ、絞り出すように続ける。
「みんな、君に自分の求めるものを重ねてるだけだ。君という一人の人間のことなんて何も考えていない。サミーおじさんも、ヴァネッサも……。だから許せなかった。君を聖女として消費してるみんなのことが。だって、君は」
ロブの声がかすかに震え出す。
「君は、僕と同じ傷を抱えた魔法使いで、チェルミ駅の仲間で、そして……僕の大事な友達なんだから」
そう口にしたロブの顔は、今までの空虚なそれとは違って強い感情が滲んでいた。罪悪感と使命感、そして深い友愛が。
「ロブ……」
シャロンは友人がようやく閉ざしていた心を開いてくれたのだと思い、後ずさった一歩を踏み出す。
けれど、すぐに思い出した。
サーフィットとの対話を経て、ロブは明らかに様子がおかしくなったこと。
ロブは〝何らかの目的の為に〟誰かを殺そうとしており、すでに十三人もの人を殺害しているということ。
そして、思い出した時にはもう遅かった。
シャロンの足は、何かに操られるように意図していない二歩目を踏み出していた。
「ッ……!」
踏みとどまろうと試みるけれど、まるで体が言うことを聞かない。首から下が別の生き物になってしまったかのような感覚だ。
ロブは糸を手繰るように指を動かし、シャロンを自身の方へと引き寄せた。目が真っ赤に血走り、鼻から血が垂れているにもかかわらず。
「ロブ、やめてください! それ以上の魔法の行使は……」
「鼻血くらいどうってことないよ。――これに比べれば」
首筋にチクリとした痛みが走る。
ロブに何かを注射されたのだと分かった瞬間、強烈な騒音と不快感がシャロンの頭の中を埋め尽くした。
「な、……っ」
体に自由が戻ってきたのか膝がガクンと折れる。シャロンはそのまま頽れ、床に倒れ込んでしまった。
気が狂いそうな不協和音が延々と頭の中に響き渡り、目の奥がチカチカと明滅している。形容しがたい感覚に全身の神経がざわついているのか、上手く呼吸ができない。
頭を押さえながら前を見上げれば、そこには憐憫を滲ませてシャロンを見下ろすロブの姿がある。手には注射器が握られており、シリンジの中は空になっていた。
「魔女狩り連中はすごいよね。魔法が使えないくせに、魔法を阻害する薬は作ってしまうんだから」
「魔法を、阻害……」
「僕達は意識を集中させることで魔法を使う。つまり、集中できない状態だったら魔法は使えない。今の君みたいに、頭の中がぐちゃぐちゃだったらね」
ロブはそっとシャロンの前に膝をつき、愛おしそうに――あるいは哀れむようにその両頬を手で包み込む。
「辛いよね。でも君を逃がしてしまわないためには、こうするしかないんだ」
「ロ、ブ……」
口を開いただけで強い吐き気に襲われる。
それでもシャロンは縋るようにロブの腕を掴んでいた。
この部屋を出たら、彼はまた人を殺しに行くと知っているから。
「サーフィットさんに教えて貰ったんだ。君のそれは聖女の呪いなんだって。運命が君を聖女たらしめている。その運命を破ることができれば君は聖女の呪いから解放される。……だから、殺さないと」
「殺すって、誰を……」
「アダムってサーフィットさんは言ってた。それが誰なのかはもう分かってる。あいつさえいなくなれば、君はただの魔法使いに……僕の友達に戻ってくれるはずなんだ」
ゆっくりとロブが立ち上がる。
その腕を掴んでいたシャロンの手は力なく滑り落ちていき、最後には袖すら掴めないまま床に横たわった。
「ここで待っていて。ちゃんと、あの男を殺してみせるから」
(待って)
扉の方へと歩いて行く後ろ姿へ手を伸ばす。
(行かないで)
届かないと分かり、拳を地面について死に物狂いでロブの元へと這い進んだ。
これ以上、罪を重ねて欲しくない。
狂気に堕ちて欲しくない。
だが、シャロンを突き動かしていたのはもっと別のものだった。
とてつもなく嫌な予感がする。
逃れようのない破滅が迫っているかのような、形容しがたい恐怖が。
「ロブ……!」
振り絞った声は、一瞬だけロブを振り向かせることに成功した。
しかし彼は曖昧な笑みを浮かべると、扉の向こうに消えた。
蝶番の軋む音が暗闇の中に吸い込まれていく。
その後、部屋の中に残されたのは、鎖の擦れ合う音と冷たい施錠の音だけだった。




