ATONEMENT#2 /2
「オ、オランジュ捜査官」
ふと、背後からエディを呼ぶ男性の声があった。おそらくロトス島警の制服警官だろう。
「何かあったか?」
声がした方を振り返る。
その一瞬、目を見開くアネットの顔が視界の端を掠めた。
「え……」
目の前にあったのは直径九ミリの真っ暗な孔――銃口だ。
「逃げてください、オランジュ捜査官……ッ」
若い制服警官がトリガーにかかった人差し指をぐっと引き絞る。
横合いからの衝撃。
全てを劈くような発砲音。
視界を焼く閃光。
(な――)
瞬きをした瞬間、鈍く輝く銃弾はエディの目の前で凍り付いたように動きを止めていた。
(どう、なって)
状況が呑み込めない。
分かっているのは銃弾が空中で静止しているということと、いつの間にかアネットが横から抱きついてきているということだけだ。
アネットの淡い色の瞳は発砲した制服警官へと向けられている。
そして制服警官は引き金を引いてしまったことを恐怖するように浅い呼吸を繰り返していた。
「エディ、さ……」
「……ッ!」
アネットの苦しげな声で我に返り、エディは咄嗟にアネットを突き飛ばしてから制服警官の腕を掴んだ。
制止していた銃弾は地面に落下し、乾いた音を響かせる。
エディは制服警官から銃を奪い取ると、腕を背後で拘束して地面へと引き倒した。
「オランジュ捜査官、俺に手錠をかけてください。体が勝手に」
体が勝手に――その言葉でエディは全てを察した。
だからこそ、背後の異変にもすぐ気づくことが叶った。
「な、なんだ!? オランジュ捜査官、避けッ――」
間一髪で放たれた銃弾を避け、アネットを小脇に抱えて走り出す。たった今発砲した制服警官はパットが制圧してくれたようだったが、まるで乗り移るかのように別の警官が悲鳴と共に銃を抜いていた。
銃弾を掻い潜り、少し離れた所に積んであった角材の影に身を潜める。
脇のホルスターからSIGP226を抜くと、いつでも迎撃できるよう下手に構えた。
「大丈夫か、アネット」
てっきり怯えきっているかと思ったが、アネットは妙に落ち着き払った様子で辺りを警戒している。
「私は大丈夫です。エディさんは」
「俺も無事だ」
少し思案してから、エディは小さな声で付け加えた。
「……君のおかげだな」
「何のことか分かりません」
アネットは敢えて視線を合わせず、吐き捨てるようにそう口にした。
先ほどのあれ――エディの目の前で銃弾が制止した謎の現象は、間違いなく魔法だ。
自分が魔法に目覚めてしまった可能性もゼロではないが、普通に考えて咄嗟に抱きついてきたアネットが魔法を使用したのだろう。
(やっぱり、この娘……)
胸の奥に形容しがたい感情が沸き起こったその時、人影がバリケードの中に転がり込んできた。
「……っ」
素早く、そして冷静に銃を構えるも、銃口の先にいたのは――。
「待って撃たないで! 僕だよ、僕!」
フレッドは顔を真っ青にして両手を高く上げた。
「驚かせないでくれ、フレッド」
「ごめん。銃弾を掻い潜るのに必死で……うわっ」
直後、銃弾がエディ達の頭の上を飛んでいく。
エディ達は反射的に身を竦ませ、頭を低くした。
「おいエディ! お前どんだけ島支部に嫌われてんだ……うおっ」
少し離れた場所からパットの声と銃声が聞こえてくる。
パットの方へ銃弾が飛んでいったということは、声が聞こえてきた方向から考えて、銃口は今こちらを向いていない。
エディは銃を構えたままバリケードから顔を出し、制服警官が手にしている銃を正確に撃った。
拳銃は弾き飛び、弧を描いて遠くまで飛んでいく。
その隙に、近くにいた他の制服警官が彼を取り押さえた。
「ちょっとちょっと、危ないよ君!」
エディのすぐ側で緊張感に欠ける声を放ったのはフレッドだ。
どうやらアネットがバリケードから顔を出していたようで、フレッドは小柄な体躯を駆使して少女をバリケードの中へと押し込んでいる。
その時、銃声と共に何かがエディの頬を掠めた。
(くそっ、またか……!)
バリケードの中へと頭を収めた刹那、背後の壁には小さな弾痕がもう一つ刻まれていた。
「誰か止めてくれ! 体がまったく言うことをきかない……」
銃声と共に聞こえてくるのは悲鳴にも似た情けない声だ。もうなりふり構わなくなっているのか、操られているだろう制服警官は手当たり次第に発砲している。
操られている人間を止めるのは簡単だ。だが、一人止めたところで次の人間が操られるだけである。相手の狙いがなんなのかは不明だが、最悪この場の全員が操られるまで終わらない可能性すらあった。
(目的は一体何なんだ。俺か? それとも……)
「あっ、ちょっと君……!」
視線をアネットへ向けるのと、フレッドが情けない声を挙げるのはほとんど同じタイミングだった。――アネットがフレッドを振り切ってバリケードから飛び出して行くタイミングも。
「待っ――」
慌てて掴もうと手を伸ばすも、長いブルネットの髪が指先を掠めただけで、アネットを引き留めることは叶わない。
「くそっ」
エディは銃を構えたままバリケードから顔を出し、銃を乱射している制服警官の右手に銃口を縫い止めた。
(ん……?)
何故か制服警官の動きが止まる。
走り去っていくアネットを見て動揺しているようにも見えるが――。
(いや、それよりもまずは……)
銃声が辺りに響き渡る。
エディが放った銃弾は制服警官の膝を掠め、そのまま数メートル先のアスファルトに吸い込まれていった。
「ううっ……」
制服警官は、まるで糸が切れたマリオネットのように膝を折り、その場に頽れる。一拍を置いて身を潜めていた他の警官達がわっと遮蔽物から姿を現し、倒れた制服警官を取り押さえた。
他に操られていそうな人間は――見渡す限りはいない。
エディは素早く周囲を確認してアネットの姿を探したが、それらしき人影は見つからなかった。
「はあ……」
緊張の糸が切れたエディは、脱力しながら背後の壁に背中を預ける。そのままずるずると背中を滑らせるように地面へと腰を落とした。
傍らでは未だに遮蔽物の中でしゃがんでいるフレッドが一生懸命ハンドヘルドデバイスを操作している。
「怪我はないか、フレッド」
「ないよぉ。エドワード君も災難だったね」
「とりあえず死人が出なかっただけでもよかったよ。傀儡師が何で諦めたのかは分からないけど……」
「見つかったからじゃないかな」
「見つかった? 誰に」
「アネット君に。……ほら」
フレッドはハンドヘルドデバイスの画面をエディに見せる。
表示されているのはGPS信号か何かだ。対象はここから少し離れた場所を移動している。
「これ……アネットか?」
「そうだよ」
「いつの間に」
「さっき覆い被さったときに、ちょっとね」
エディは絶句したまま目を瞬くほかなかった。
フレッドがその雰囲気に反し切れ者であることは重々承知しているが、まさかあの一瞬でアネットに発信器を取り付けるとは。
「君が銃撃戦をやってる間にアネット君のことを見ていたけど、明らかに誰かを探している雰囲気だった。で、誰かを見つけたような顔で飛び出して行った。僕の超絶スーパーウルトラプロファイリングは、アネット君の探し人はチェルミの傀儡師なんじゃないかと推測してる」
「……つまり?」
「アネット君を追いかければ、チェルミの傀儡師の元へ辿り着けるかも……ってこと」
エディは再び溜息をつく。先ほどよりも大きく、そして多分に呆れと感服を含んだ溜息を。
「あんたは最高だよ、フレッド」
「どういたしまして」
フレッドの少年めいた笑顔を見届けてから、エディは勢いよく立ち上がって相棒を呼んだ。
「パット、いるか!」
「どうしたぁ、相棒」
制服警官達の間を縫ってパットが姿を見せる。
「容疑者を追う。一緒に来てくれ」
「銃撃戦の次は追いかけっこかよ。定時には上がれるんだろうな?」
「それは俺達とフレッドの頑張り次第だ。行くぞ」
軽口を叩きつつもパットは迷いなくエディのもとへと駆け寄る。
二人はフレッドに手を振られながら、騒然とするイヴァノフカの町へと駆けだしていった。




